10話
「よかった、てっきり嫌われたのかと…… 」
「うん、ほんとゴメン」
「でもそういう事なら稲にお任せください 」
「お任せくださいって……虫除けスプレーでも持ってるの? 」
「すぷれー?というのは持ってませんが、虫除けの法なら心得ています! 」
「それっていわゆる、妖術的な? 」
「はい! 」
不味い……この流れは非常に不味い!多分このままだと稲ちゃんのおっちょこちょい属性が発動してしまう、どうせ……"あ、間違えましたー"とか言って大量の虫を呼び寄せるんだ。そして奴等は僕へと狙いを定め……
「神様助けて殺される」
「きゅ、急に拝み出してどうしたんですか? 」
稲ちゃんがこちらを心配そうに見ている。
僕は何て失礼なことを考えていたんだ……彼女の中に打算は無い、あるのはこちらを気にかける善意のみ。それを裏切るのか?いや、それだけはあってはならない!それによく考えてみろ……彼女は妖狐だ。
好きな日本の妖怪TOP10にランクインする妖狐だぞ?ならば、心配する要素など皆無だ!
どうやら僕は度重なるストレスで錯乱状態、情緒不安定かつ人間不信に陥っていたらしい。ああ、こんな簡単なことを忘れていただなんて!
そうだ、もう一度……"信じることから始めよう"
「それじゃいきますよー 」
「あぁぁあぁあぁぁ、かみさまー!かみさまー‼︎ 」
「あの……染井さん、終わりましたよ? 」
「おたすけ……へ? 」
「終わりましたよ 」
「もう終わり?呪文は?光ったりしないの? 」
「はい、このくらいなら呪文を唱える必要もありません。光ったり?もしませんよ」
……嘘だ。
こんなお手軽に虫除け出来るなら世界から戦争なんてとっくに無くなってる「ちゃんと術が掛かってるか"試します"ねー 」それに……待て、今なんと言った?"試します"?何をだ?
そこまで考えた時、あり得ない光景を目の当たりにした。
彼女は落ちている虫を拾い上げこちらに振りかぶり、投げたッ⁉︎冗談だろ‼︎
やはりあの時のことを根に持って……そう思い稲ちゃんの顔を伺う。
……悪意のカケラも無い清々しい程の笑顔だった。
(わぉ、すっごい楽しそう。悪気は無いんだろうな…… )
"母さん母さん!"
"どうしたの?"
これは僕の幼い記憶……
過ぎ去りし日の思い出がフラッシュバックする。
「ぼくね、いいもの見つけたんだ! 」
「あら、そうなの?お母さんにも見せてほしいなー」
ああ、あの頃に戻りたい。
「えへへ、いいよ!目つむって手だして」
「ふふっ、何かしら? 」
無邪気に笑えたあの日々に。
「え……ほんとに何かしら?モゾモゾ動いて…… 」
「なんかよくわかんない虫!かわいいでしょ? 」
「…………ぃ」
「お母さん? 」
「嫌ぁああぁ!気持ち悪いわこの野郎‼︎ 」
「お母さん⁉︎ 」
僕は親不孝ものでした、今なら貴女の気持ちが痛いほど分かります。
悪意が無いってほんとタチ悪いですよね。
……そこで無情にも現実へと引き戻される。
(走馬灯見ちゃったよ……ッ⁉︎そうだ、そんなことより)
生命の危機が目前に迫ることで時間の感覚が引き伸ばされる最中、死は無慈悲にも僕へと狙いを定め襲い掛かる。
(このままだと顔面直撃コース!考えろ、考えるんだ!この状況を打破出来る何か……なにか…………無いな。あ、これもう無理だ、母さん待ってて今そっちへ行くからね)
今もなお健在の母親を勝手に殺し、僕はその場に立ち尽くす。
もはや打つ手なし、このまま顔面ストライクを決めるかに思えたが……そうはならなかった。
こちらに向かってきていたはずの死は急に方向転換して彼方へと飛び去っていった。
「……え、なんで? 」
「これは人避けの結界を応用したものなんです、おばば様直伝だから効果は折り紙つきですよ?ほら、このとおり虫が飛んできて……もッ‼︎ 」
「はぁあぁぁあぁ‼︎また投げたね⁉︎またしても君はそうやって僕に走馬灯をみせようとする……あ、どこかに飛んでった 」
「決して染井さんに近付くことはありません」
「ほんとに? 」
「稲は嘘つきません」
「……ちなみに効果はどれくらい? 」
「術を解かない限りほぼ永続的に」
「稲"様"と呼ぶのも吝かではないよ? 」
「え⁉︎そ、それは嫌です……その、今まで通り稲"ちゃん"のほうが…… 」
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気を取り直し山を登る。
しかしまあなんとも言えない不思議な気分だ。先程まで一喜一憂していたくせに、いざ虫の一匹も居ないとなると若干寂しくもある。別に出て欲しいわけではないが……なんかこう、違和感があるのだ。
まあ違和感の原因なんてすぐ分かる、普段あるべき場所にいるはずだったものが無いのだから……そう感じるのも当然だろう。
それに、彼らが生まれた時から住んでいる場所に余所者の僕が勝手に踏み込み、あまつさえ彼らを退けるというなんとも身勝手な行いに申し訳なく思うが、こればっかりは我慢してもらおう。
どんなことであれ"楽しむ"ためには身の安全が確保されているのが大前提なのだ。
「悪いな虫共……それにしても、けっこう辛いな」
自然に出来た窪みに足を掛け一歩一歩慎重に進む、もし焦って先を急ごうものなら簡単に転んでしまうだろう。
「おーい、稲ちゃん! もう少しゆっくり行かない? 」
僕の前を先導する、いや遠すぎて先導すると言っていいのか分からない状態の彼女に声をかける。
「え?あ!ごめんなさい! 」
「いやいや、謝るのは僕の方だよ。それにしても登るの早いね」
「人の身体で登るのは初めてなのでどうかなとは思ってたんですけど、案外どうにかなりまして……いつもと違う感覚が面白くてつい先へ先へと行っちゃいました」
「なにか簡単に登れるコツとかあったりするのかな? 」
「うーん、多分無いです、気付けば上手くなってました」
やはり慣れるしかないか……それにコツとかあっても実践できる気がしないし。
それから僕が四苦八苦しながら登る合間にも稲ちゃんはいろんな事を教えてくれた。
このキノコは猛毒です、とか。
ヨモギに似てますけどこれはトリカブトです、食べたら死にます、とか。
この花の根は食べたら死にます、即死です……とか。
なんとも野性味溢れる野草講座だ、おそらく役立つ日は一生来ないだろう。
「はぁ、ちょっと休憩……少し休もう? 」
「はい!あ、さっき見つけた木ノ実食べます?すっぱくて美味しいですよ! 」
「なんか怖いからいらない……それはともかくけっこう上の方まで来たんじゃないかな」
「半分まで来ましたからあともうちょっとです」
ああそうか半分か、これだけ登って半分か……地面に腰掛け黄昏ていると目の前をネズミのような生き物がうろちょろしていた、"ような"と僕は表現したがまさにそのとうりなのだ。
確かに見た目はネズミだが全体が異様に丸っこい、それにまったく逃げる素振りを見せない、つぶらな瞳がなんとも愛くるしい!……可愛いなぁ……うちで飼えないかなぁ……
「あ!"小玉鼠"ですよ!こんな所にいるなんて珍しいなー 」
そう言って稲ちゃんは小玉鼠をヒョイと持ち上げる。
「ずいぶんとおとなしいね、それも妖怪? 」
「はい!こうやって指でつつくと…… 」
すると、けたたましい破裂音がした。
「‼︎……え!ちょ⁉︎ 」
「この子達は自身に危険が迫ると、大きな音を出すことで外敵から身を守ってきたんです」
成る程、自然の脅威に対してそのような進化を遂げる妖怪もいるのか。……しかし僕が驚いたのは、けたたましい破裂音だけではない。
「えへへっ、丸っこくて可愛いですよね? 」
いや、確かに可愛い、ネズミのくせにまん丸なフォルムは可愛い……いや、そうじゃなくって。
「えい、えい」
稲ちゃんが指でつつくたびに破裂音がする、僕はいたたまれなくて目を逸らしてしまった。彼女は気付いているのだろうか?つつかれるたびに、それはもう嫌っそうな顔をするのだ。
まるで世界に絶望したような、救済など無いと悟ったような顔を。
……やめてくれ、そんな目で僕を見ないでくれ。
「あ、あの稲ちゃん?もうそれくらいで……………ね? 」
「あ!そうですね」
分かってくれたのなら良いんだ、僕から言うことは何も無いさ……過ちは誰でも犯すもの。
小玉鼠が僕を見ている、つぶらな瞳が物語る……"ありがとう、貴方のおかげで救われました"
いいんだよ、人として当然のことをしたまでさ。
「染井さんもどうぞ! 」
「ぇえ⁉︎ 」
「キュ⁉︎ 」
君は悪魔か⁉︎僕にそんなこと……出来るはずがないだろ‼︎
こんなにも愛くるしいプニプニのほっぺを指でつつくなんて!つつくなんて……つつくなんて…………つつく……なんて?
何だその上目遣いは……誘ってるのか?
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「すまない!小玉鼠、本当にすまなかった! 」
そう言い残し、僕は再び歩を進める。




