転校生がきた!
ひやりとした空気の廊下から一歩、教室に入る。暖房は心地の良い温度に設定されていて、僕を少し落ち着かせてくれた。
教壇の上に立ち、僕が一通り、ここ数日練習してきた無難な挨拶を何とかつっかえずに言い終えると、これからクラスメイトとなるみんなが温かい拍手をしてくれた。
クラスのムードメーカーっぽいお調子者が僕に自己主張の強いやじを飛ばして、担任がそれを注意すると、クラスが笑いに包まれた。
よかった__いい人たちみたいだ。
もちろん、転校生の物珍しさが大部分を占めるのだろうけど。そこは、これからゆっくり付き合いを深めていけばいいだろう。
担任に促され、窓際の一番後ろの席に座る。漫画なんかにありがちな、転校生御用達の席だな、と思って、少し口角が緩んだ。
心の片隅でほんの少し危惧していたが、その席に行くまでに足を引っかけられるということもなく、杞憂に終わった。
席に座ると、隣の男が人の良さそうな笑みを浮かべ、声をかけてきた。
「俺、押井!よろしくな」
人当たりの良さそうな男に、もう一度自分の名前を言って「こちらこそ」と言った。
「窓際の一番後ろの席って、漫画みたいだな」
さっき僕が思ったのと同じようなことを言って、押井は笑った。つられて僕も笑った。
とりあえず、なんとかやっていけそうだと思った。
◯
この学校の人たちはどうも人懐っこいというか、転校生である僕に興味津々だった。
どこから来たの?趣味は?部活はどこに入るの?等々。
漫画でよく見る転校生像をそのままに、質問攻めにあって、少々疲弊した。
ほどなくしてチャイムが鳴って、授業が始まった。
今日は、朝から数学だった。担当の先生に、これまた物珍しさで問題を当てられてしまった。転校前、塾でやったところだったので、過不足なく応えることが出来て、ほっとした。
昼前の授業は体育で、半々に分かれてサッカーを行った。冬も近くて寒かったけど、動いているうちに長袖のジャージも邪魔になって脱いだ。転校前の学校ではサッカー部だったので、ゴールを決めたりもした。押井を始めとした味方のクラスメイトたちとハイタッチを交わして、受け入れてもらえた気がした。
このクラスでよかった__僕は心からそう思った。
◯
「お前ってなんでも出来るんだな!さすが、転校生だぜ」
綺麗な色をした卵焼きを頬張って、押井が嬉しそうに言った。近くの席に座るクラスメイトたちもそれぞれお弁当を食べながら、うんうん、と頷いた。
「なんだよ、それ」
押井の冗談に僕が笑うと、押井は力強い言葉で続けた。
「いやいや。転校生っつーのは、昔からハイスペックでミステリアスって決まってるんだぜ?なあ、みんな?」
「ははは……」
押井の言葉に、みんながどっと沸いた。確かにそうだよなあ、とみんなも笑った。何にせよ、とりあえず今のところ、期待に応えられているようでよかった。
「押井のお弁当、色鮮やかで綺麗だね。お母さんに作ってもらったの?」
「いーや。両親共々、仕事で外国だよ。しばらく会ってねえな」
「あ……ご、ごめん?」
変なことを聞いてしまっただろうか。気まずさを紛らわすために、購買で買った焼きそばパンを大きく頬張った。
「謝る必要ねえって。変なとこ気遣い過ぎなんだよ。さすが転校生だぜ」
押井が言うと、周りのみんなが笑った。
「……転校生、関係ある?それ」
僕の疑問なんて気にも留めず、押井は続ける。
「外国に行く前からも多忙な両親だったし、家を空けるなんてしょっちゅうだったしさ。でもおかげで、ホラ。家事に炊事に、何でも来いだぜ?自分で言うのもなんだけど、うめえもんだろ?」
押井は机に広げた弁当箱を指して笑った。少なくとも、僕では演出出来そうもない、彩りのある見事なお弁当だった。
「お、予鈴だ」
昼休みの時間が、もうすぐ終わろうとしていた。周りのみんなも後片付けをして、次の授業の用意やお手洗いで散り散りになった。僕も、教科書とノートを出しておこう。
「食った、食った!」
お腹を撫でながら天井を仰いでいた押井を見ていたら、不意に彼が上半身を詰めてきて、僕にだけ聞こえる声で言った。
「なあ、今日ウチ来ねーか?」
◯
エレベーターから出ると、そこには爽快な景色が広がっていた。遠くに、僕たちの学校が見える。
「いい眺めだろ?こっち側の一番奥が俺の家だ」
「すごいな。マンションの10階って、初めてかも」
「そんな大げさなもんじゃねえって」
歩みを進め、押井の家にお邪魔した。センスのいい木目調に統一された、洒落た部屋だった。壁際にある本棚には、たくさんの漫画本が並べられていた。
「自由にくつろいでくれよ」
その日はテレビゲームをしたり、漫画を読ませてもらったり、お喋りをして過ごした。陽が傾きつつあったところで、「飯、食ってけよ」と押井が言うので、家に連絡を入れてから、厚意に甘えることにした。
とにかく、彼はもてなしはすごかった。サービス精神の塊だな、と感心した。
押井に作ってもらったナポリタンもとても美味しく、おかわりを要求してしまった。しかし押井は嫌な顔一つせず、自分の分のおかわりもまとめて作ってくれた。
押井が、盛りつけられたおかわりを机に置き、向かいの椅子に腰を下ろしたところで、唐突に押井が、神妙な面持ちに変わった。
「……なあ。一つ、聞いてもいいか?」
さっきまでの明るい声色ではなかったので、僕はごくりと生唾を飲んだ。一体どうしたというのだろう。
「うん、もちろん。何でも言ってよ」
僕の言葉に、押井は安心したような顔になった。
そしてひと呼吸を置いてから、こんなことを言った。
「お前、どこの星から来たんだ?」
「……へ?」
押井の言った言葉の意味が分からず、僕は素直に聞き返した。
「な、何?星?」
学校で、クラスメイトたちに言っていたような、そんな冗談を言っているような顔ではなかった。押井の顔は真剣そのものだ。
「いや、おかしいと思ったんだよ。勉強も出来て、運動も出来て。俺たちとは基礎能力が違う星から来たとしか思えねえんだよなー」
「またまた……」
僕は押井を、愉快な奴だな、といった心情が伝わるように、分かりやすく呆れて見せた。
「僕ぐらいの奴なんて、いくらでもいるって」
しかし、押井は至って真面目だった。
「異星人だってバレないように、力をセーブしてたんだろ?でもセーブしきれなくて、時折すごい動きしてたぞ」
「それは、昔からサッカーやってただけで」
「それだけじゃねえ。そもそも、こんな中途半端な時期に転校なんてしてくるか?11月だぞ?学期の変わり目でもあるまいし」
「それは、親の転勤でたまたま」
「それも怪しい。家族がいるっていう見せかけだろ?さっき電話してたのだって、きっとポーズに違いない。購買でパンを買ってたのは、作ってくれる家族がいないってことだろ」
「そんな、むちゃくちゃな。購買でパンを買うなんてみんなしてるし、僕は単に、母さんがが寝坊して作る時間がなかったって」
僕の弁明が押井に通用している感じはなく、むしろ彼は、どんどん鼻息を荒らげていった。
「そうだ!特殊能力見せてくれよ!あるんだろ?転校生なんだから」
「と、特殊能力?」
「瞬間移動とか、タイムリープとか、出来るだろ?あっ、シンプルに火を出すとかでもいいぜ!でも火事になったら困るし、制御はしっかりな」
「待って、待って、待って」
身を乗り出す押井を、僕は両手を向けて制した。
「そんなの、あるわけないよ。ただの一般人だよ?僕のこと、何だと思ってるの」
「だから、転校生だろ!」
押井の大きな声に、僕は目を見開いて動揺した。そんな僕を、押井が気にするはずもなく、なおも畳み掛けてきた。
「あるだろ!?なあ!?漫画の転校生は、みんな何かしら特殊能力を持ってんだよ!」
「そうじゃない場合も、あると思うけど」
「いいや、お前は持ってる!俺はそう思う!」
ドンッ、と、押井の拳が机を鳴らした。彼の目は、真っ赤に充血していた。
僕は誠心誠意、丁寧に言葉を選んで言った。
「本当に、持ってないよ。信じてよ」
「……本当か?」
「そうそう。本当だって」
「……」
押井は背もたれに身体を預けて、大きく深呼吸をした。
ようやく落ち着いてくれたと、僕も一息ついた。
「……そうだな。それもそうだ」
よかった__伝わったみたいだ。
そんな僕の安堵は、どうやら、間違っていたようだ。
「言えるわけねえよな?秘密をべらべら喋っちまったら、組織に命を狙われるだろうし」
「……押井?」
「でも安心してくれ。俺は口が堅いからさ。絶対に口外しないから」
「本当に、何もないって」
僕がそう言うと、押井が勢いよく立ち上がって、座っていた椅子を倒した。そしてこちらに回り込んで、僕の胸ぐらを掴んだ。
「お前、何が目的だ?まさか、俺たちのクラスをめちゃくちゃにしようと企んでるんじゃないだろうな?」
もはや何を言っても、信じてもらえそうになかった。
「転校生ってのは、特別じゃなきゃいけないんだよ。どの漫画だってそうだろうが!」
僕と額をぶつけて、押井はまくしたてた。
「転校生って、そういうもんだろうが!!」
押井は、『特別』に憧れているようだった。
自分が形成した『特別の象徴である転校生』という、偏ったイメージに。
そんなに『特別』がお望みならば。
君を__『特別』にしてあげよう。
僕は、今にも爆発しそうな押井の顔を見たまま手を伸ばす。
ナポリタンによって赤く汚れたフォークを手に取った。
◯
その日も、教室はざわついていた。
押井が学校に来なくなって、もう数日が経つ。
クラスメイトたちが、どうしたんだろうね、なんて話している。
僕はみんなに、こう言った。
「普段は明るい、押井みたいな奴でも、何かしら色々抱えているものだよ。何があったかは知らないけれど、押井が学校に来たいと思うようになるまで、僕たちは待ってあげるべきなんじゃないかな。それがあいつのために、僕たちが出来る唯一の方法だよ」
若干の間を空けてから、みんなも口々に、そうだね、みんな悩んでるんだもんね、と口にした。
「登校拒否って、そういうものだから」
確かにそうだよなあ、と誰かが言って、他のみんなにもそれが移って、次第に落ち着いていった。
待ってあげよう待ってあげよう、と、みんなが言い始めたところで、次の授業が始まるチャイムが鳴り響いた。
そうだ。待ってあげればいいのだ。
ずーっと。いつまでも。
みんなが待ち望むその時が、絶対に訪れないことを。
僕だけが知っていた。