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好きってそういうことじゃないの

 翌日。


 昨夜も寝付けなかった亜貴は、気だるげに落ちてくる髪を耳にかけ、鞄を持ち直す。歩き慣れた廊下が長く感じられた。今朝洗面台の鏡を見ると、目の下にクマができていた。三年生とは階が違うので、こんな顔を焔に見られなくてよかったと思っていたその時。




「!?」




 焔に似ている。確かに似ているのだが、放つ雰囲気があまりに違いすぎて、違和感しか感じない。


「はあ……」


 亜貴はなんだか疲れて深く息を吐いた。眼鏡をかけた刻が視線の先には立っていた。


「……よお」


「……」


「無視!? 待てよ」


 耳障りな大きな声に顔をしかめて、亜貴は振り返る。座った目が刻を睨んでいた。


「あら~、ご機嫌斜め?」


「……デリカシーって言葉、知ってる? あんた。昨日の今日でよくそんな真似できたわね。馬鹿じゃないの!?」


 吐き捨てるようにそういうと亜貴は自分の教室へ入った。


「……ちっ」


 残された刻が舌打ちして複雑な顔をしていたのを亜貴は知らない。




 その日、亜貴は目の前をうろちょろする刻を見ないふりをして、口ももちろん利かずに部室へ行った。


「亜貴。何そのクマ? 体調悪いの?」


「ちょっとね」


 ちらちらと部室内を盗み見ると焔の姿はなかった。


「どうかした?」


「ううん、何でもない」


「そういえば、亜貴が昨日、お昼男子といたって真奈美が言ってたけど?」


 その言葉に亜貴は顔をしかめた。


「ちょっとね。いろいろあって」


「何、いろいろって?」


 その場にいる亜貴の友人たちは興味津々な顔で亜貴を見た。亜貴は面倒なことになったとますます顔を曇らせる。


「あー、まあ、付き合うことになったの。たぶんすぐ別れるけど」


「え?! 何それ!」


「誰と?」


「えっと、ちょっと用事があったの思い出した! ごめん、またね!」


 亜貴は逃げる様に部室を飛び出した。


(女子はこういう話ほんと好きよね。しばらく部室に行くのもやめよう)


 自業自得とはいえ、なんでこんなに面倒なことになってしまったのかと気が滅入る。地面だけを見て速足で校門を出ると人とぶつかった。


「すみません!」


 慌ててとっさに謝ると、会いたくて会いたくない焔の心配そうな顔があった。


「大丈夫? 高城さん」


「だ、大丈夫です!」


 告白した日から二日目。しかもこんなに近い距離で焔の顔を見ることなんてなかなかない。どんな態度をとっていいかわからず、亜貴はうつむいた。早くこの場を立ち去りたい。


「体調悪そうだけど……?」


 優しい声音で言われて、亜貴は泣きそうになる。やっぱり焔は優しい。でも焔は誰にでも優しいだけで、亜貴は焔の特別ではない。


「ちょっと寝不足なだけです」


「そう? 今日は眠れるといいね。帰り気を付けて」


「はい」


 亜貴は無理やり笑顔を作り、焔に頭を下げると駆け出した。頬を冷たい風がかすめる。


(だめだな、私。まだこんなにも好きだ。なのに私、何やってるんだろう)


 勢いで刻と付き合っている自分が情けなかった。


(刻には明日、断ろう)




***




「おっす」


 亜貴が朝廊下を歩いていると、刻はこの日も眼鏡をかけたままの姿で亜貴の教室の前の壁に寄り掛かり、亜貴を待っていたようだ。


「……おはよう」


 憮然としながらも亜貴が返すと、刻は表情を和らげた。


「おう」


「刻、今日、お昼話すことがあるから」


「? なんだよ、改まって」


「とにかくこないだお弁当食べた場所にいて」


「? わかった」


「じゃあ」




 午前中の授業の間、亜貴は刻になんて言おうかを考えていた。だが結局うまくまとまらないまま昼休みを迎えた。


 急ぎ足で校庭の方へ行くとベンチの前に刻が立っていた。


「それで? なんだよ、話って」


 亜貴は少し躊躇って、そして、腹をくくったように刻を見た。直球で行くしかない。


「な、なんだよ?」


「うん。やっぱりこの勝負やめない?」


「は?」 


「だから」


 もう一度言おうとした亜貴を刻は制した。


「内容は理解できてるって! そうじゃなくて、何今更言ってんだってことだよ」


「そうね。私が言い出したことだからね。勝手なこと言っているのはわかってる。でも、一カ月で人の心が変わるなんて思えない。私はあんたも分かってるように樋口先輩が好きなの。こんなことしても無駄だと思う」


 亜貴の言葉に刻は亜貴の瞳を見つめてきた。その目がやはりどこか焔に似ていて、亜貴は目を逸らす。


「そういうことだから」


「……じゃあ、負けを認めるんだな?」


「は?」


「途中でやめるってことは負けだ」


「負けじゃないわよ!」


「じゃあなんだよ」


 亜貴は苛立たし気に息を吐いた。


「……だから、勝ち負けの問題じゃないのよ」


「お前、ほんと勝手だな。勝手に人の告白に首突っ込んで、勝手に勝負をたたきつけて、そして、勝手にやめる」


 亜貴は刻の言葉に押し黙る。


「あの日、亜貴は兄貴に振られた。あれは単なる腹いせだったのか?」


「……」


「なんだ、結局あの女子のためなんかじゃなかったんだな。お前は自分のために割って入ってきただけだったんだ」


「……」


 それは違う。違うと思いたい。


「何も言えねーのか」


 刻の言葉に耐えられなくなって亜貴はきっと刻を睨みつけた。


「っ! それだけじゃない! 本当にあんな理由で振ろうとしたあんたが許せなかったのよ!」


(そう。自分があんなこと言われたら許せないから!)


 不覚にも涙が浮かびそうになって、亜貴はぐいと目をこすった。


「だったらやめるんじゃねぇよ! 自分の信念貫けよ! 俺をこっぴどく振ってやるんだろ?」


 亜貴は唇を強く噛んだ。


「俺は人を特別に好きになったことはない。だからわかんねぇけど、人間は一生一人しか好きにならねぇのか? 違うだろう? まだ三日。俺の何がわかった? まだ二十七日もあるんだ。俺は負けるなんて思ってないね。だからやめてやんねぇよ!」


「……っ」


 亜貴は何も返せなくなった。悔しいと思った。不敵に笑う刻が少しだけかっこよく見えたのが余計に悔しかった。


「飯食おうぜ。時間がない」


 亜貴の返事を待たずに刻は弁当箱を開けて食べだす。


「……。後悔するわよ。私は心変わりなんて絶対しない。だから刻は私に勝てないんだから!」


 亜貴はスカートをぎゅっと掴んで言い張った。


「はいはい、それはどーだろうな。一カ月後が楽しみだな。


まあ、お前も食えよ」


「……」


 悔しくて仕方がない。納得がいかないまま亜貴は弁当箱を開けた。


「おにぎり一個くれんだろ? もらうぜ」


 すかさず亜貴の弁当箱に刻が手を伸ばした。あっけにとられている亜貴の前で刻は満足そうに亜貴のおにぎりを頬張っている。そんな刻の顔を見ているとなんだかすべてが馬鹿馬鹿しくなった。


「……眼鏡」


「ん?」


「眼鏡、やめなさいよ」


「なんで? 兄貴に似てるだろ? こうやって眼鏡かけてると」


 眼鏡をくいと上げて満足気に笑う刻に、はあ、と亜貴はため息をついた。


「あんたって本当に人を好きになったことないのね」


「なんだよ、今更。言ってるだろ?」


「そこ、胸を張るところじゃないわよ」


 亜貴はもう一度深く息を吐いて、刻の眼鏡に手をかけた。


「何すんだよ?! 眼鏡が好きなんだろ?」


「馬鹿ね、ほんと、あんた。


好きになるとね、好きになった人が一番かっこよく見えるものなの。眼鏡が似合っていれば、眼鏡も素敵だと思える。でも、眼鏡をかけていなくてもその人であればいいの。逆に、別の人が眼鏡が似合っていても、好きでなければなんとも思わない」


 亜貴は焔を思い浮かべて言った。遠くを見つめるような亜貴に刻が咳ばらいをする。亜貴が刻を振り返ると刻は不機嫌な顔をしていて、亜貴から目を逸らした。


「何よ?」


「べーつに」


 刻は面白くなさげに答える。


亜貴は話題を変えることにした。


「刻は目は悪くないの?」


「右が0.8で左が0.7。なくても見える」


「そう」


 亜貴は手にした刻の眼鏡を見た。焔のと似ていた。


「本当に馬鹿ね」


 そう言った亜貴の声はどこか優しくなっていた。


「はいはい。馬鹿ですよ。わざわざ買っちまって損した」


 刻は眼鏡を取り返すと鞄に乱暴にしまった。


「買ったの?」


 亜貴はちょっと罪悪感を覚える。自分が悪いわけではないのだけれど。


「……勿体ないから家で勉強するときにでも使ったら?」


「だったらほとんど出番はないな」


「ふふっ」


 亜貴はなんだかおかしくなって笑ってしまった。


「なんだよ?」


「ううん。ほんと、あんたはそんな感じだから」


「ふん。変な奴。泣いたり笑ったり」


「な、泣いてなんかいないわよ!?」


 真っ赤になって言い返す亜貴。


「そうそう、亜貴は怒っているのが亜貴らしいんじゃねえ?」


 にかっと笑って言った刻に亜貴は余計にむっとした。


「それは刻の前だからじゃない?!」


「へえ、兄貴の前の亜貴を見たいものだ」


「あんた、ほんっとにむかつくわね!」


 亜貴は思わず刻の肩を叩いた。


「叩いてる暇があるなら飯食えよ。もう昼休み終わるぜ?」


「っ」


 すっかり刻のペースだ。


(あ~、むかつく! やっぱりこっぴどく振ってやろう)


 もぐもぐと口を動かしながら、亜貴は一時間前とは別の考えに落ち着いたのだった。だが、不思議と心は軽かった。


(絶対この勝負勝つんだから!)


 春の訪れを思わせる空を見上げて亜貴は自分に誓った。

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