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雨の日、美しくなる美雨

作者: ハヤシ・ツカサ

朝から降り続く、春の雨。梅雨とは違い、ジメジメ感はないが「シトシト」といった表現が似合う。

「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」

勇は、初めての子供の誕生に思わずガッツポーズを突きつけた。予定よりも二日早く、父親になったのだから無理もない。出産を終え、ベッドの上で放心状態の妻・千秋の手を取り、勇は思わず、男泣きした。

昨晩から降り続いた雨。勇は「赤ちゃん名付け親辞典」を片手に、直前まで決めていた候補名を却下した。

「春の雨の日に生まれた…春雨。いや、これじゃ中華料理になっちゃうから、美しい雨、ってことで『美雨』にするか」

そのとき、僅かだけ小降りになった窓の外から、ほんの少しだけ、勇らの部屋に、光が射した。


「えー、みなさんには、必ず『名前の由来』というものがあります。みなさん、自分の名前、好きな人、嫌いな人、いろいろいると思います。今日、おうちに帰ったら、お父さんやお母さんに『私の、僕の名前、なんでこの名前なの?』って、聞いてください。これは、今日の宿題でーす」

小学生になった美雨の、ある日の国語の時間。やっと自分の名前に使われる漢字を習ったばかり。練習帳や教科書に書かれた名前も、ぎこちないがしっかりとしたお名前用油性マジックでの直筆の文字が、誇らしげに自己主張している。

「ねえ、ママ。私の名前、どうして『美雨』っていうの?」

千秋は、笑顔で応えた。

「あなたはね、あなたが生まれた日に雨が降ってたの。ママも、病院の窓から雨が降ってたの、しっかり覚えてる。パパね、あとで聞いたんだけど、パパの初恋の人の名前を付けたかったんだって」

「それで?」

「それでね、窓の外の雨を見てたら、そんなことすっかり忘れちゃうくらい綺麗で、感動したんだって。あ、感動、っていうのは、何かを見て、うわー、すごーい、とか思っちゃうことよね。美雨もあるでしょ?で、『美しい雨』だから、『美雨』、になったの」

「雨、降ってたの?雨、そんなに綺麗だったの?」

小学生の美雨には、その意味が半信半疑の様子だ。

「パパが言うにはね、一瞬だけ、窓の外に光が降り注いだんだって。たまに、あるのよね。雨が降っちゃってるんだけど、ちょっとだけ晴れる、ってことがね」

「えー?雨が降ってるのに晴れるの?へ~んなの!美雨、わかんな~い」

美雨には、チンプンカンプンの世界だった。

「美雨。美雨は、自分の名前、好き?」

千秋は、美雨の髪の毛を整えながら訊いた。

「うーん、まあまあかな?あ、こないだ尚美ちゃんから『ミウ』っていうジュース飲んだよ!って言われたとき、ちょっとだけムカついた」

「アハハハッ!そういや、あるわね。でも、パパがすごく感動して付けてくれた名前なんだからさ、美雨も、大人になったら雨の日に好きな人ができたりしてね」

自身も雨の日に勇からプロポーズされた千秋は、当時を懐かしむかのように、笑った。


「はーい、今日は雨なので、サッカーができません。数学の補修テスト、しまーす」

中学生になった美雨。雨が降ると、朝から何かしら心の中がワクワク、ドキドキする自分に気付いていた。男子たちはブツブツ言いながら、プリント用紙を紙飛行機にしたりして、弄んでいる。美雨は、無理言って窓側の席にしてもらったせいか、いつしか、窓の外ばかり眺めている不思議な少女になっていた。

「ねえねえ、美雨。私、コクられちゃった~!いいでしょ~。今度、彼とデートするんだ~。雨、降らなきゃいいな~」

親友・尚美が満面の笑みを浮かべながら美雨に話しかけてきた。

「マジ!?それって今日の話なの?」

その日も、朝から雨だった。美雨の周りでは、雨の日に限って、面白くて楽しい出来事が立て続けに起こっていた。

「尚美~。雨、降らないほうがいい?」

「あったり前じゃん!雨降ったら遊園地とか行けないし、服とかも濡れちゃうから、晴れたほうが断然良いに決まってるでしょ」

「そうかなあ~?私は、雨の日に傘さして歩くのが、超好きなの。なんか、ひとつの傘にずっと入ってなきゃなんないじゃない?だから、より親密になるんじゃないかな」

「バッカじゃない?冬とかだったら、寒くて風邪ひいちゃうじゃん」

美雨は、周りから変わった女の子として有名だった。遠足が雨天中止になるとひとりで喜び、周りのひんしゅくを買う。運動会の前日、千秋がせっかく窓に吊るしていたてるてる坊主を、夜中に逆さまにしてひとりで喜んでいたり、雨が降り出すと理由もなく外へ飛び出し、千秋らに何度も叱られたり。


今日も雨。高校三年生になった美雨は、自宅の前を雨の日に限ってジョギングをしているひとりの男性の存在が気になっていた。長身で、レインコートから滴り落ちるたくさんの雨粒がくうを切る。絵になる瞬間だ。

次の日も、また次の日も止まぬ雨。だが、自宅の前を必ず通り抜ける男性が気になった美雨は、週間天気予報で雨の予定日を調べ、その週の土曜日、自宅の前で男性が通り過ぎるのを、待とうと決めた。

予報通り、雨になった土曜日。

男性がやってきた。

彼の後ろを、同じくレインコートを身にまとう美雨が追う。

美雨は、彼が何故雨の日に限ってジョギングをするのか、その謎が知りたかった。


吉野は、雨の日にジョギングをしなければならない理由があった。


美雨が、吉野の後を追いかけ始めて一年。美雨は、雨の日のたびに吉野を追いかけたのだが、美雨には彼に声を掛ける勇気がどうしても出せなかった。

六月の長梅雨が終わり、長い夏もやがて終わろうとしていた。

「西から張り出した低気圧が日本海側を覆うため、今夜からはほぼ全域で雨になるでしょう。全域で久しぶりの雨量となりそうです。河川の増水、低い土地での浸水等にお気を付けください」

お天気キャスターが、明日の空模様を伝えている。

「明日、雨になる?よし、明日こそ、あの人に理由を訪ねてみようっと」

 

いつもの時刻。美雨の思い通り、吉野が現れた。いつもと変わらぬ表情で、何かを吹っ切るように、まっすぐ前を見て走っている。今日も雨粒がくうを切る。

美雨は、いつものようにレインコートを着込むと、吉野が自宅の前を横切るタイミングを、静かに待った。一年もの間、吉野の後を走り続けたせいか、美雨の足腰は自然と鍛えられていた。

ぐんぐん、少しづつ吉野に近づく美雨。市道の角の、煙草屋のポストの角を曲がったところで、美雨は思い切って吉野に声を掛けてみた。

「あの…、すみません。突然でごめんなさい…。どうして、雨の日に限って、ジョギングしてらっしゃるんですか?」

いきなり声を掛けられ、少し驚いた吉野だったが、ペースを落とし、しかしそっけない態度で美雨に応えた。

「俺が何故、走ってるかって?君に答える必要はないと思うけど」

「私、雨の日にいつも私の家の前を通るあなたが以前から気になってて…。一度、その理由を訊いてみたかったんです」

「君の家の前?…そうだったんだ。だけど、俺は好きで走ってるんでね。雨の日になると、無性に走りたくなっちゃうんだよ」

美雨は、なをも訊いた。

「私、雨が好きなんです。雨の日に生まれたから『美雨』って名前、付けられたんです」

吉野の足が止まった。

「ちょっと、こっちおいで」

吉野は、公園の大木の下に美雨の手を取り、引き寄せた。

「偶然って、あるもんだな。実はね、僕の娘も…」

「娘さん?娘さんも、雨の日に生まれたんですか?私と同じだ」

美雨は、自分と同じ雨の日に生まれた女性の存在を知り、笑顔になった。

「いや、娘は、生まれてすぐ。死んだんだ」

吉野は、思いがけない事実を美雨に、告げた。

「え、えっ?そうだったっですか…」

吉野は、自分にとって初めての娘を病気で亡くしていた。そして、そのショックで、妻も同様の病気で亡くしていたのだった。一度に愛する妻子を失った吉野。そして、吉野は美雨にとって更に思いがけない事実を語り始めた。

「君の名前、なんて言ったっけ」

「私、美雨。村本美雨です」

「美雨…ちゃん?え?ミウ、って、ひょっとして『美しい雨』って書くの?」

「そうです。私も、雨の日に生まれて…、それで、父が窓の外の雨を見てて美雨、って付けてくれたんです」

「美雨ちゃん。君は、娘の生まれ変わりかも知れない」

衝撃的な言葉が続く。

「美雨ちゃん。実は、死んだ娘にも『美雨』って名前を付けようとしてたんだ。その日も雨が降っててね…。その雨の日のことを忘れたくって、家にいるとつい、頭の中がワーッとなってさ…。なんだか、無性に走りたくなってきたんだ。美雨を、そして亡き妻を忘れようと思って」

美雨の顔は、涙と雨でぐちゃぐちゃになっていた。

「わ、私、娘さんの、生まれ変わり…。なんか、私、なんか悪いこと聞いちゃったみたい…。ごめんなさい」

「そんなことないよ。今、俺も、君に会えて、すごい動揺してて…」

吉野も、うっすら涙を浮かべている。木の枝から落ちる大量の雨粒が、二人を濡らし続ける。

「美雨ちゃん…。君、いくつ?」

「昨日で、19になりました。母と同じ大学を目指してたんですけど、一浪しちゃって…。今、本当は受験勉強の真っ最中なんです」

「結婚してくれないか?」

「えっ?」

「だから、俺の家で受験勉強すればいいじゃないか」

「えっ…、でも、そんないきなり言われても…」

心の底から湧き上がる喜びと動揺が、美雨の中で葛藤する。生まれてわずか19年で、雨の日に人生始めてのプロポーズを受けた美雨なのだった。


いつの間にか、雨は止んでいた。「女ごころと秋の空」のことわざ通り、秋の天気は、変わりやすい。

「わかりました。じゃ、とりあえず、お友達からってことでよろしくお願いします」

美雨は、そっと右手を差し出した。

「こちらこそ。僕は、吉野徹、っていいます。先月、25になりました。美雨ちゃん。あなたを、一生、幸せにします」

差し出された美雨の右手を自分に引き寄せ、吉野は美雨をレインコートのまま、抱き締めた。


気が付けば、二人を祝福するかの如く、いつの間にか再び雨雲が近付いていた。そして、吉野と美雨の頭上に、静かに雨が降り注いだ。

「あ、また雨だ」

美雨が生まれた日と同じ、とても美しい雨だった。

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梅雨 告白 不思議ちゃん
― 新着の感想 ―
[良い点] 美しい雨と書いて美雨、その名前にまつわるエピソードが優しいタッチで描かれているところに好感を持ちました。 [一言] ありがとうございます。
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