プロローグ はじまりの緑
――――ごめんなさい、ごめんなさい
泣き声にまみれた喘鳴が木霊する。
あどけない悲鳴にも似たそれは、まるで、罪の告白。
延々と続く涙声に耐えきれなくなり、重いまぶたをこじ開けたが、見えるのは闇。
長い午睡にまどろんでいたのに、急に冷水を浴びせられた気分だった。
固い地面に転がされた気怠い体に鞭を打ち、なんとか起こす。体は恐ろしいほど凍えていたし、いたるところ関節が、筋肉が、キシキシと悲鳴を上げる。
見渡せば、そこは陽の光の介入を許さぬ闇。鉄壁で囲われた地下牢のようだった。
感じるのはカビと、埃と、生ぬるい鉄の香り。
嗅ぎなれた紅の匂いが、この暗闇を支配していた。
果たして自分は、この部屋でなにをしていたのだろうか。醒めきっていない脳では思考が追い付かない。そもそも、眠る前に自分がなにをしていたかさえ思い出せなかった。
定まらない焦点で闇に眼を凝らせば、闇の中央で、血の池の中にうずくまり、咽び泣く少女の姿があった。
「ごめんなさい兄さん、ごめんなさい。ごめんなさい……!」
少女は狂ったように呟き、大きな眼をこれでもかと見開いて涙をこぼしていた。彼を呼ぶのは、確か、自分が汚れてでも大切に守ってきた少女。
人形のように愛らしい服も、傷のない純白の手も、長く伸びた絹糸のような髪も、全てが紅に染まっていた。じわりと赤いシミが服を蹂躙していく様は、ひどく不快だった。
――どうして泣いている?
問いかけようとした言葉は、音にもならずに喉の奥で砕け散った。かわりに紡いだのは、掠れた呼吸音。
なにを恐れているのだろう。
なにに謝罪しているのだろう。
なにもわからない。なにも知らない。少女とずっと共にいたはずなのに。
だが、少女が恐怖と後悔に押し潰されまいと必死に肩を揺らし、赦しを乞う姿を見て――誰が咎めようか?
氷のように冷たい両手で少女の頬を撫でる。掌を伝う涙も、少女の体温も、焼けるように熱い。
「大丈夫だ。俺は、君のそばにずっといるから」
凍えた唇でようやく発した、声にもならない渇ききった言葉は、少女を慰めはしなかった。
暗闇の中で、涙で輝く瞳は、絶望に染まっていて。
彼女がどうしようもない罪を犯してしまった事を、明瞭に告げていて。
――少女の瞳は、涙に溶けた美しいエメラルド色に染まっていた。