秋の花粉症
「くしゅん」
可愛らしいくしゃみが聞こえた。
ここ最近くしゃみと言えばバルタサルだったが、彼女のくしゃみの音じゃない
シルビアだ。
部屋の中でアマンダさんの手伝いをして、洗濯物を畳んでたシルビアがくしゃみをした。
「大丈夫か?」
「ちょっと、お鼻がむずむずします」
「風邪か?」
近づいて、おでこをくっつけて体温を測る。
「うーん、ちょっと熱があるな。やっぱり風邪かな」
「ち、ちち違います、これは風邪じゃないんです」
「うん? でも熱があるぞ。それに顔も赤くなったし」
「旦那様」
アマンダさんが口を開く。
「念の為、魔法で計ってみていかがでしょう」
「ふむ。それもそうだな」
魔法で計った方が正確だ。
「『サーモメーター』」
シルビアに魔法をかけた、温度を測るだけの魔法だ。
「ふむ、三十六度一分、平熱だな」
「はい」
「でもちょっと熱があるように感じるんだがな」
またおでこをくっつけて計る。
「――っ」
「ほらやっぱりちょっと熱い」
「旦那様。旦那様はもっとご自分の魔法を優先しては? そのようなはかり方はあまりなさらない方が」
「たしかに、魔法の方が正確だな。わかったなるべくしない」
「ほっ……ありがとうございますアマンダさん」
「差し出がましい事を致しました」
シルビアがアマンダさんに何か言ったけど、それよりもシルビアだ。
「くしゅん!」
そんな事をしてる間もシルビアはまたくしゃみをした。
「ハックション!」
ドアが開いて、ナディアが中に入ってきた。
くしゃみをしながら小走りでおれのところに近づいてくる。
「ルシオくん――ックション。ちょっとベロちゃんと――ックション、ココマミの散歩に行ってくるね」
「ああ、それはいいけど。お前風邪か?」
「ううん、そんな事ないよ? なんかベロちゃんもさっきからくしゃみが止らないけど、そう言う日なんじゃないかな」
「くしゅん!」
「ほらシルヴィも。それじゃいってくんねー」
ナディアはそう言って、また小走りで部屋の外に出て行った。
「ナディアに……ベロニカも?」
眉をひそめた。
流石にちょっと見過ごせない事態だ。
「旦那様」
「うん?」
「もしかして花粉症なのではありませんか?」
「花粉症? 秋なのに?」
「秋でも発症する方がございます。花が咲く季節であれば花粉は舞ってますので」
「春だけじゃないのか、花粉症って」
「はい。奥様の様子を見てますと――」
シルビアの方を見る、おれもつられてそっちを見た。
眉をハの字にしたシルビアから鼻水がだらー、と垂れている。
「そっちなのでは、と」
「なるほど。そうかもしれないな。花粉症ならちょっとしょうがないな」
「うん、ガマンする」
「よろしいのですか?」
「なにが?」
アマンダさんを見る、あまり意見をしない彼女が今日はやけに饒舌だ。
「奥様がたがみな花粉症となりますと……」
「なりますと?」
なんだろう。
そんな事を思ってると、部屋のドアがまた開いた。
「あー、ルシオちゃんここにいたー」
今度はバルタサルが入ってきた。
最近はおれにべったりじゃなくてあっちこっちに遊びにいったりもするバルタサル。
何故か蝶々と追いかけっこするのが大好きで、今も肩に蝶々が一頭乗ってる。
「どうした」
「バルね、また胡蝶ちゃんとお友達になったよー」
「そうか、よかったな」
「ルシオちゃんも胡蝶ちゃんに変身してもいいのよ?」
「そのうちな」
「うん! 行こ、胡蝶ちゃん」
バルタサルが部屋の外にでた。
蝶々がヒラヒラとんで後についていく。
虫だが、本当に仲良くなったみたいだ。
それを見送った後、ふとシルビアとアマンダさんの表情が目に入った。
二人とも微妙な顔をしてる。
「どうした」
「ルシオ様、今おもったのですが」
「うん?」
「バルタサル――くしゅん!」
言いかけてまたくしゃみをするシルビア。
鼻水もまた垂れてきて、見るからにつらそうだ。
「ちょっとまって、今なんとかしてやるか――」
――ら?
花粉症? くしゃみ?
「……バルタサル?」
彼女が出て行ったドアを見た。
「さようでございます」
アマンダさんがぼつりと言った。
もしかして……かなりヤバイ?
何せバルタサルはくしゃみで魔力を爆発させるんだ、そんな彼女が花粉症になったら?
「確証はございません。旦那様の魔法に反応するくしゃみと、花粉症のくしゃみでは違うかもしれませんので」
「いや、よく気づかせてくれた。そうか、くしゃみか」
「生まれたばかりだからまだ花粉症になってないんですね。それに魔王様だから、ならないのかもしれまくしゅん!」
シルビアがフォローをする。
まったく慰めにならない、そんな事をいうシルビアがまたくしゃみをした。
なんかヤバイ気がする。
ちょっと想像してみた。
花粉症発症したバルタサル。
一日中くしゃみして、その度に魔力がおれの顔を直撃する。
「……さすがにちょっといやだな」
どうしようかなと思った。花粉と、バルタサル。
どうにかするとしたらどっちかなって考える。
「花粉を根絶やしにした方がよろしいのでは? 他の奥様方もそれに悩まされていることですし」
「そうだな。よし、花粉をなんとかしよう」
そういって立ち上がる、アマンダさんの言うとおり花粉をなんとかしよう。
外に向かって歩き出そうとして、ふと立ち止まる。
なにか引っかかりを覚えた。
なんだかわからないけど、なんか引っかかる。
「どうしたんですかルシオ様」
「いや……うーん」
なんだろうな、いったい。
「くしゅん!」
シルビアがまたくしゃみをした。
「旦那様。奥様のことをお考えになって」
アマンダさんに急かされた。かなり真に迫った顔で。
「そうだな」
そう言って再び歩き出そうとして――また止った。
アマンダさんに急かされた?
引っかかりが具体的な形になった。
アマンダさんが急かす? おれを?
今まで一度もなかったぞそんなの。アマンダさんと言えば妙に超然としていてツカミどころのないメイドさんだ。
いやメイドさんなのかどうかもあやしく思える時があるくらい、謎の多い美女だ。
そんな彼女がおれを急かしてる、微妙に感情的に。
「もしや……」
そうおもって、アマンダさんを見た。
一瞬だけアマンダさんがぎょっとした。ほんの一瞬だけで、すぐにいつもの超然とした表情に戻った。
取り繕ったのか? それともおれの勘違いか?
次の瞬間、向こうから答え合わせをしてくれた。
「ふ、ふ、ふぁ……ふぁくしょん!」
ガマンしきれなかった様子で、盛大にくしゃみをするアマンダさん。
「っくしょん! ……ふぁっくしょん!!」
それまでガマンしてた反動だから、立て続けにくしゃみをするアマンダさん。
みるみるうちに目も、鼻の下も赤くなっていった。
「アマンダさん」
「なにか」
キリッとするアマンダさん。いや何かじゃなくて。
よくみればいつもの顔だか、鼻だけひくひくしてる。
またガマンしてるのか。
「……ぷっ」
「……」
むすっとして、睨まれた。
睨まれるのもこっそり初めてなのかも知れない。
ますますおかしくなって、今度は吹き出すのをガマンした。
「よし、ちょっと行ってくる。みんなの為に花粉の源を絶滅させてくる」
「えええええ、ルシオ様そこまでしなくても」
「行ってらっしゃいませ」
慌てるシルビア、いつも以上に真顔のアマンダさん。
「……ぷっ」
背中を向けて、見えないように小さく吹き出して、屋敷を発った。
アマンダさんの可愛らしいくしゃみを心の中で反芻しながら。
☆
余談だがこの年を境に秋の花粉症が消滅して世間ではちょっと騒ぎになった。
バル回とおもったらアマンダさん回でした、まる。的なお話。