サイン本
この日は朝から図書館で国王と一緒に魔導書を読んでいた。
昼頃になって、珍しく客がやってきた。
客は女子高生くらいの若い子で、メガネに三つ編みの、いかにも文学少女って感じの子だ。
「あの! せ、千呪公様はいらっしゃいますか」
「ぼくがそうだよー」
「わたし! タニア・アガンソって言います」
「タニアさんっていうんだ。えっと、ぼくに何か用かな」
子供モードのまま聞く。
タニアはおれをしばらくじっと見つめたあと、一冊の魔導書を差し出して、ぱっと頭を下げた。
「サインを下さい!」
「……え?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
サインって、あのサインの事?
「えっと、どういう事なのかな」
「わたし、ずっと千呪公様のファンでした!」
「余の方がずっと前から千呪公のファン――」
騒ぎを聞きつけた国王が奥から出てきた。
話がややっこしくなりそうだったから背中を押して奥に戻してやった。
戻ってきて、タニアと向き合う。
「ぼくのファン?」
「はい! それで、この魔導書に千呪公様のサインをもらえたらって思って」
「サインかあ」
ちょっと困った。
サインなんて今まで一度もしたことないから、なんて書けばいいのか。
名前を普通に書いて……いいのかな。
「あの! みんな言ってます!」
おれがためらってると、タニアは更に言ってきた。
「言ってるって、何を?」
「魔導書に千呪公様のサインをもらうと、そのご加護で魔導書をちゃんと読めるようになるって」
「ご加護って」
おいおい、そんな噂があるのかよ。
「だから――お願いします!」
タニアはまたパッと頭を下げて、持ってきた魔導書を差し出した。
ものすごく必死な様子で、断ったら泣き出しかねない勢いだ。
仕方ないからサインをしてあげた――サインなんてものはないけど、とりあえず魔導書を開いて最後のページに名前をサインっぽくしてやった。
「ありがとうございます! 一生大事にします!」
タニアはそう言って、魔導書を大事そうに抱えて去っていった。
「参ったなあ」
その姿を見送って、図書館の奥に戻る。
国王が魔導書を持っておれを見ていた。
「ごめんなさい」
おれは先制攻撃した。
「王様にサインはしないよ」
「なぜだ!」
背景に雷が落ちたような、そんな大げさな驚き方をする国王。
「だって王様の魔導書にサインなんてしたら、その魔導書をいろんな人に見せびらかすよね」
これまでのつきあいで絶対そうなると思った。「余の千呪公のサインだ、羨ましいだろう」ってやる国王の姿がありありと想像できる。
ただでさえ恥ずかしくて死にそうなのに、そんな事をやられたら恥ずかしさが限界突破してしまう。
「そんな事はしない!」
国王が力説した。
本気でしないって顔で、ちょっと意外だ。
「あっ、しないんだ」
「もちろんだ! 余の千呪公がサインをしてくれた魔導書、国宝指定して大事にとっておくに決まってる!」
「それはもっと恥ずかしいよ!」
やっぱりサインなんてしない、ヘタにしたらやばいとおもった。
「どうしてもしてくれないのか」
「しない」
ちょっと強めにいった。さすがに国宝指定は恥ずかし過ぎる。
「むっ、余の千呪公はいけず過ぎる」
いけずっていうな。
国王はしばらくぶつぶつ言った後、あきらめて魔導書を読むのに戻った。
おれも一緒に魔導書を読みだした。
図書館の中、いつも通りのゆるい時間が流れる。
「千呪公様!」
「うん?」
図書館の入り口から声が聞こえた。
さっき聞いた声、タニアの声だ。
どうしたんだろうと思って表にでると、魔導書を抱えたタニアがキラキラ目をしているのが見えた。
並のキラキラ目じゃない、「超」ってつくくらいのキラキラ目だ。
「どうしたの? タニアさん」
「ありがとうございます! 千呪公様」
「ありがとう?」
「はい! 千呪公様のおかげで魔導書が読めました」
「え?」
「『ファイヤボール』」
タニアは片手を掲げて、図書館の外に向かって魔法を撃った。
火の玉が飛んでいって、空の彼方に消えた。
「おー」
「千呪公様のサインのおかげです! 本当にありがとうございます!」
「いや、それ多分偶然……」
「本当にありがとうございます! この魔導書、一生大事にします! じゃあ!」
タニアはそう言って、ぱっと去っていった。
風の様にやってきて、風のように去っていった。
というか……まさかね、ただの偶然だよね。
「余の千呪公よ」
「ギグッ」
名前を呼ばれて、おそるおそる振り向いた。
そこに魔導書をもって、タニア以上にキラキラ目をしてる国王の姿があった。
「余にもサインを」
「うっ……」
さすがに断れなかった。国王が出してきた魔導書にサインをした。
「やったぞ、余の千呪公のサインをもらったぞ!」
国王はそう言って、タニアに勝るとも劣らない程の勢いで図書館から飛び出した。
……おいおい。
ちなみに、サインのはやっぱり偶然だった。サインをしたからって、国王がそれを読めるってことにはならなった。
……ただし、サイン本はしっかり国宝になったのだった。
大人気ルシオ先生! 的なお話でした。




