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第1話『砕けた聖杯と弁償方法』

 王都クリスタはゆるやかな坂を形成しており、大きく分けて三つの区画に分かれている。

 王族が暮らす上層区。

 貴族や商人が暮らす中層区。

 そして、平民や冒険者達が暮らす下層区。

 王の政治が良いおかげか、何処の区域も基本的には治安がいい。

 だから民は基本的に笑顔で平和に暮らしているし、基本的に不自由もしていない。

 だが……あくまで「基本的」にだ。

 その基本に該当しない、不幸な民の前にのみ『リアルブレイカー』は現れる。

 ある時期、そんな噂が都市内に流れていた。




*****




 下層区で人気を誇る和の定食屋『こまち』。

 この店は店主のカズマとその娘アキナが二人で切り盛りしている。

 この国では滅多に食べられない和の料理と、可憐な容姿を持つアキナに惹かれ、『こまち』は今日も変わらず繁盛していた。


 「カズマさん、五目チャーハンお願いしまーす」

 「あいよぉ!」

 「アキナちゃーん! スマイル一つくれー!」

 「えーと、本日もご来店ありがとうございます!」

 「「「ふぉーーーー!」」」


 今の時間はちょうど正午を過ぎた辺り。

 それは定食屋が最も忙しい時間帯である。

 実際、腹を空かせた冒険者や平民達が店内のテーブルを全て埋め尽くしていた。

 銀髪の少年は店主にいつもの料理を注文し、看板娘であるアキナに笑顔を求める冒険者達はご機嫌よく酒を楽しんでいる。


 「ふふふ。今日もお客さんが一杯だね!」

 「そうだな! これで休みが欲しいだなんて贅沢な悩みだぜ!」


 アキナは父の作った料理を、客が美味しそうに食べる様子を見るのが好きだ。

 特に隅っこの席で無表情を装いつつ、頬が綻ぶ顔を全然隠せていない銀髪の少年を眺めるのは、アキナにとって最も楽しみにしている時間の一つであった。


 「美味しいですか?」

 「むぐぁ!? ゲホゲホ!」


 わざと後ろから声を掛けてみるとこの通り、少年はすぐに驚いてむせてしまう。

 そんな少年の背中を擦ってあげることはアキナにとって至福の時間なのだ。毎回似たような目に遭う少年にとっては気の毒だが。


 「……美味しいですよ。ここの飯は」


 しかし、少年は文句も言わず、きちんとアキナの質問に答えてくれる。そんな律儀なところがまたアキナの心にトキメキをもたらしていた。


 「「「「……ぐぐぐぐぐぐ……!」」」」


 そんな彼女の様子を、カズマと冒険者達は血涙を流しながら見守っている。

 心優しい彼等はアキナの恋路を邪魔するつもりは毛頭ないのだ。しかし、もしも少年がアキナを悲しませた場合、死よりも恐ろしい報復をする気は満々である。

 今日もそんな風に平和な一日が過ぎる筈だった。




 「ハッロ〜! エブリバディ〜!」


 そんな慣れ慣れしい挨拶を交わす男が店の中に入ってくるまでは。

 紺色を基調とした煌びやかなスーツを着込んだ金髪の優男。その豪華そうな服装から、店内の人間全てが男の身分が貴族なのだと察した。

 しかしアキナだって接客のプロだ。例え相手が貴族だろうが物怖じせず、いつものように応対してみせる。


 「いらっしゃいま……きゃっ!?」

 「あうちっ!?」


 だが男の傍まで近付いたアキナは、突然誰かに足を掛けられバランスを崩し、勢い良く男の体に体当たりをしてしまった。

 すると貴族の男は大袈裟なまでに尻餅を付き、何故か手に持っていた翡翠のグラスを床に落としてしまう。

 その際、グラスは床に落ちた衝撃によって無惨にも粉々に砕け散ってしまった。


 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!? 僕の家に伝わる聖杯が見る影もない哀れな姿にぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 「ご、ごめんなさい!?」


 顔を青ざめていた男はアキナの謝罪を聞いて、今度は顔を真っ赤に変化させた。


 「ごめんじゃないだろぉ!? これはあらゆる毒を清めてくれる特別な魔力を秘めた聖杯だったんだぞぉ! 僕がいつも肌身離さず持ち歩いていた祖父の形見だっていうのに! 君は! ごめんなさいだけで済ますつもりかい!?」

 「ご……ごめん……なさい!」


 割れてしまったグラスが魔具だったと知り、アキナの顔から血の気が引いた。

 なぜならこの世界で魔具というのは到底金で買えるような代物ではないからだ。

 名のある魔術師でさえ同じ物は滅多に作れないという魔具は、ほとんど唯一無二の宝であるも同然。それを自分の不注意で壊してしまったとあっては弁明のしようもない。

 下手をすれば国宝紛失罪の罪を突きつけられ、牢獄の中に閉じ込められる可能性も出てくるのだ。

 怯えるアキナの顔を見て、男は下衆な微笑みを浮かべる。


 「まあまあまあ。そんなに怖がらないでよぉ。僕だってさっきのは不注意だったからねぇ。お互いに悪かった。だけども君が僕の聖杯を壊してしまったことには変わりない」

 「は……はい」

 「だぁから、僕のお嫁さんになるなら許してあげようと思うんだ」

 「……え?」


 その男の言葉にアキナを慕う者達が一斉に立ち上がった。

 アキナに想い人がいると知っている彼等にとって、今の話は聞き捨てならない。

 だが男はそんな彼等を鬱陶しそうに睨みつけるだけだった。


 「ん? 何? やるの? 僕はゴルディ家の長男だぞ? イカレタス・ゴルディとは僕のことだ。君達は貴族に喧嘩を売るってことがどうなることか分かっているのかな? かなかな?」

 「「「「……くっ!」」」」


 イカレタス・ゴルディと名乗った男に睨まれて、立ち上がっていた客達は全員席に座りなおした。

 悔しいことだが、平民の力では貴族に逆らうことなどできないのだ。

 大人しくなった店内を一瞥して、イカレタスは満足そうに鼻を鳴らした。

 それからアキナの右手を取って、その甲に軽くキスをする。


 「ひっ!」

 「……む! 良いのかな? そんな態度取ってもぉ! 君は僕に償わないといけない身だっていうことが分かってないのかなぁ?」

 「ううう……」


 イカレタスは気持ちよさそうにアキナの右手に頬擦りしている。

 そんな彼の行いを、アキナは目に涙を浮かべながら必死に耐えていた。

 その時、とうとう我慢ができなくなったカズマがイカレタスに向かって叫んだ。


 「待ってください!」

 「むあ?」


 カズマは床の上に土下座をして、心の底から懇願する。


 「どうか! どうか娘には手を出さないでください! こいつはこの店の大事な看板娘でもあるんです! 娘がいなくなったら、俺はこの先生きていけない」

 「ふうむ。……知らないな」

 「そんな!?」

 「煩いなぁ。……爺よ。何か提案はないか?」


 イカレタスはカズマの頼みを一蹴し、店のテーブルに座っていた一人の老人に声を掛けた。

 カズマはその老人を見て一気に顔が赤くなる。


 「爺さん。あんた、グルだったのか!」

 「ほほほ。人聞きの悪いことは言わないで頂きたい。私は最初からレタス坊ちゃまの爺でございます」

 「おい爺よ。僕はレタスじゃなくてイカレタスだぞ」

 「ほほほほほ。そうでしたな、イカレタス坊ちゃま」


 イカレタスとその爺は二人揃って愉快そうに笑い出す。

 そんな彼等に対し、カズマは心の中に暗い炎を灯した。


 (こいつら……絶対殺す!)


 しかし、今衝動的な行動を起こすと間違いなく自分は牢獄の中に叩き込まれてしまうだろう。

 そうなれば後はアキナを守れる者が誰もいなくなってしまう。

 カズマは歯を割れんばかりに噛み締めて、必死に自分の心を抑えた。

 そんなカズマを一瞥した爺が、面白そうに手の平を叩いた。


 「そうでした! 何か坊ちゃまに代わって提案をしなければならないのでしたな!」

 「そうだったな。爺よ、何か良い案でもあるのか?」

 「そうですねぇ。なにも壊れた聖杯を直せとまでは言いません。同じように解毒の効果を持った魔具を用意して頂ければ、それで今回の件は無かったことにする……というのはどうでしょうか?」


 爺の提案にカズマは眼球が飛び出しそうなくらい目を見開いた。

 魔具を用意する。しかも魔法効果は条件付き。

 そんな無理難題に応じられるわけがなかった。


 「あはははははは! それはいい! 実にいい! 宜しい! 僕のお情けによってこれより一週間の猶予を授けることにしよう! 一週間後、またこの汚い店に顔を出してやる。その時に代わりの魔具を用意できなかった場合は……容赦なくお前の娘を貰っていくぞ!」

 「ま、そういうわけですので。どうかよろしくお願いしますね?」


 イカレタス達はご機嫌に笑いながら店の中を出て行く。

 そんな彼等を、カズマを含めた店内の客達が悔しそうに睨みつけていた。

 ただ一人。

 砕け散ったグラスの破片を観察している銀髪の少年を除いて。


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