表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/99

おやじな花精霊さんと優しい弟君、過去に震える私

「昨日から――いえ、弟君ではなく主様にですが。奇妙な発言ばかり、失礼しております。もちろん、顔に出ない方もいらっしゃるでしょうし、でも、だからといって、えと、弟君のごとく素敵な笑顔は拝見していて、こちらも美味しくなるというか!」


 簡素な丸椅子が、音を立てて倒れた。シーナさんには申し訳ないが、そちらに気を向けている余裕はない。私の目下の目的は、弟君をわずわらせないこと。あと、自己弁護。

 勢いよく、しかも身振り手振りで言い訳を続ける私を見て、弟君は端整なお顔に似合わない調子だ。つまり、ぽかんと口を開け放っている。


「一言に過敏な反応でした。お騒がせして申し訳ありません。でも、決して他意はなく。それに、つい商家の頃の考え方が抜けなくて」


 楽しげに椅子を起こしてくれたシーナさんに礼を述べ、すごすごとそこへ戻った。未だに綺麗な金色の瞳を、見せたり隠したりしている弟君。

 本当は商家なんて関係ない。夢見がちと笑われた私の性格からの発言だ。私だって全ての物に妖精さんが宿っているなどという、妄想は抱いていない。けれど、感謝の気持ちは大切だと思う。それ故の表現として、なのだ。


「お茶、お代わり淹れますか?」

「あぁ」


 手持ち無沙汰になってしまい、ポットを持ち上げて見せると。反射なのだろう。弟君は、カップを差し出してきた。これまた優雅な仕草で一口含み、そっとカップを下ろす。

 と、俯いた弟君の肩が小刻みに震え始めた。よもや馬鹿げた発想で、茶を汚すなと怒り心頭なのだろうか。いや、これは――。いやな予感に頬を引きつらせたのと、爆笑が響き渡るのは、ほぼ同時だった。


「失礼じゃないですか。自分はお嬢ちゃんの考え方、わかりますよ。料理人として」

「ぶっ! いっいや、すまない。むろん、ぐっ、ヴィッテを、笑って、いるのでは、ない」


 机に突っ伏し、腹を抱える弟君の否定は、全く説得力がない。ぐってなんですか、ぐって笑い声。お初にお目にかかります的な表現だよ。

 屋敷の主様の爆笑癖と異なり、弟君のそれは時間差攻撃らしい。二人揃ったら、さぞかしやかましいだろう。個人的には、笑うのに溜めはやめて頂きたい。

 熱くなっていく頬を自覚しながら、平静を装ってお茶を飲んでおく。貴方も落ち着いてくださいと、横目で見てみるものの。冷静ぶった私の姿さえ、弟君のお笑い神経を刺激するらしく、ひーひーと喘鳴されてしまった。

 立派な男性が、これほどまでに声をあげて、しかも涙を浮かべて笑う姿にはなかなかお目にかかれない。しかも、元が綺麗な顔だからか、なんというか、涙を拭って腹を押さえている姿は、とても可愛いのだ。綺麗と可愛いは連なっている。


「シーナさん、いいんです。どうせ、私は笑われなれてますので。昨晩も、主様には弟君に負けない大笑いを頂戴いたしましたし」

「すっすまない、ヴィッテ。拗ねないで、くれ。いや、随分と懐かしい記憶がな、蘇ってきたのだ。今の言葉、幼い俺に聞かせてやりたかったよ」

「ほぅ。奥様がご健在でいらした頃のお話ですな」


 シーナさんは、弟君が言う『懐かしい記憶』にすぐ検討がついたようだ。三白眼の瞳を細めた。幼い弟君ということは、彼の奥方ではなく、お母様だろう。

 シーナさんの言葉に、弟君の笑みは少し苦味を含む。懐かしい、今はもう会えない人との思い出に思いを馳せる味。

 こくんと飲んだお茶は、甘味が薄まっている気がした。


「あぁ、五つだったか。年の離れた兄弟ばかりの俺は、すぐ上の三つ離れた姉に相手をしてもらうことが多くてな。末だった性格も影響していたのだろう。ある日、そんな俺を心配していた母と姉が共謀して、俺を夢から覚まそうとしたわけだ」

「結構、ざんこ――いえ、普通は剣術の道へ投げ込んだり、身体的に鍛えられそうですのに」


 いずれ現実を知り夢から切り離すのではなく、抱いている夢を打ち砕くとは。お姉さまとお母様は随分と豪快のようだ。豪快は変かな? 薄れさせるより、完膚なきまでに打ち砕く、という計画だったのだろうか。

 残酷と言いかけた単語は、飲み込んだつもりだったか。弟君は察したようで、ぶほっと、いっそ気持ちよいくらいに噴出した。


「剣術や魔術は、すでに手習いを始めていたからな。俺は優秀だったんだぞ?」

「はいはい。よーく覚えていますよ。子どもの甘い笑顔で無邪気に大人を蹴散らすので、女神の園から使わされた魂喰いとか呼ばれてましたよね」

「それはさぞかし恐ろしい光景でしょう。無邪気ほど恐ろしいものはありません」


 女神を敬愛する私からしても、なにその恥ずかしいふたつ名と同情せずにはいられない。

 さておき、剣術も魔術も完璧。なのに、そんなふたつ名を持ち、夢見がちな少年じゃ、確かに将来が不安になるのも仕方がない。ちぐはぐすぎて。

 とはいっても、能力的な問題ではなく嫁事情だろう。貴族は幼少から許婚を持つ方も少なくない。

 うちの幼馴染は親の溺愛ゆえ、ふさわしい女子が現れないと言われ続け、結局十七でも許婚と呼べる女性はいなかった。本人にも焦った様子はなかったしね。


「色々、大変だったんですね」

「ヴィッテは自己完結する性格だろ。色々に含みがありすぎるぞ」


 思考の殻に閉じこっていたようだ。シーナさんと弟君の視線を受け、とってつけたような同情を吐いてしまった。棒読みでありませんようにと祈るばかりだ。彼の反応からして、成就しなかったのは悟ったが。

 弟君は頬杖をついて、唇を尖らせている。……ほんと、この方いったいおいくつなのだろう。表情と仕草だけを見ていると、下手をすると年下なのではとも思えてしまう。体格や風格から、それはないだろうけれど。

 半ば睨むようにじっと見つめられ、むずむずと変な感覚がわいてきてしまったのを誤魔化すため、丁重に頭を下げておいた。自慢じゃないが、恋心を気のせいだと嘲笑するのは得意だ。


「いえいえ、特に深い意味はございません。美味しいお茶の効果か、わずかに記憶旅行に出ていただけですので」

「おぉ、それは楽しそうだな! 俺も一緒したいものだ。シーナ、この茶はすごいな! 飲むと懐かしい記憶旅行に出かけられる茶とは。今度、漆黒の君にも飲ませてやろう。あいつ、ともに切磋琢磨した青春時代を思い出せば、俺への風当たりが弱まるやもしれん」


 ……もしかしなくても、弟君は若干、というか、かなり、あほの子の素質がおありなのだろうか。調理場にいらっしゃった際の威厳は、もはや欠片もない。

 シーナさんの見守るようで、かつ生温かい視線が、決定事項なのよヴィッテと語りかけてくる。ふと目があったシーナさんに、視線で謝られた気がした。

 一瞬だけ、貴族の方々がやんわりと投げてくる嫌味の部類なのかとも捉えてしまったが、シーナさんへお礼を言う彼の笑顔は本物だ。彼は真性らしい。おっ恐ろしい。それこそ、色んな意味で私の心臓が大変な状態だ。


「漆黒の君と弟君の関係はわかりましたが。差し支えなければ、お母様とお姉様が弟君になさった思い出を伺いたいです」

「そうだったな。その頃の俺は愛らしくも、お茶やお菓子、花々には妖精が見えていたのだよ。実際、花にはいるのだがな」

「ヴィッテ嬢ちゃん、ものすごく胡散臭く聞こえるかもだがね。一応、この方、凄腕の魔術師でもあるんだよ? おじさんにはよくわからんがね、基本魔法の他に、花精霊を見れるらしいんだ。ちなみに、漆黒の君も同じ瞳をお持ちなんで、信憑性高いだろう? なんせここは花の都フィオーレだしねぇ」


 すみません、シーナさん。私、そんなにしょっぱい顔してましたかね。こそっと耳打ちしてくださり、ありがとうございます。

 途中までは、微笑ましい少年だったのに、最後の一言でちょっと心配しちゃいました。これがステラさんの麗しい唇から紡がれたのなら、即刻信じていたものの。漆黒の君なら、納得出来る。なんとなく、迫力で。

 

「花精霊って物語だけじゃなかったのですね。私の母国にはいませんでしたし、お伽噺だけだと思っていました。花の精霊が見えるって、羨ましいです」

「ヴィッテにも今度見せてあげよう。短時間なら、術者以外にも可視出来るんだ。イメージとかなり違う、小さいけどごっついおっさんみたいなのもいるけどな」

「はっはぁ。それはまた、イメージとは恐ろしいものですね。先入観を持つのはよろしくないと、切実に教えていただいた気がします」


 お花の精霊なのに、おじさんて。花からしたら勝手に想像してんだろ、と啖呵きりたくなるかもしれないが。凡人の私にはあまり想像つかない。例えるなら、ピンク色の小さなお花であれば、ぴちぴちワンピースをおじさんが着ているイメージなのだろうか。うーん。

 ふと、また思考を飛ばしかけて、慌てて頭をふる。

 また笑われるかと思ったのに。何故か、弟君はふんわりと微笑みかけているではないか。真意をはかりかね、首を傾げてしまう。が、弟君は


「ヴィッテならわかってくれると――そういってくれると思ったぞ」


と笑みを深めるばかりだ。

 え、何を? ごっついおっさん精霊の存在を受け入れるって意味? それが蕩ける蜂蜜な微笑みを浮かべるほど、嬉しいのだろうか。うん、普通の可愛い女子には受け入れ難い現実かもだが。


「ようするに、花精霊は見えていたわけだ。当時は、それこそ甘い菓子や美味い茶に精霊が宿ってないわけがないと信じていたのだな。精霊が宿っている菓子や茶に出会えるまで、食べ続けると宣言していた俺に、さすがに健康的にも精神的にも危険を感じたんだろう」

「よしんば宿っていたとして、ちょっと食べる光景がグロテスクですね」

「ははっ。宿っているとはいって、本体ではないからな。花だって、切花も大切に生けてやれば宿り続けるし、枯れても転生するからな」


 なるほど、よかった。これから花を摘むのに腰がひけていたところだ。実は、こっそり。摘んだ瞬間、見えないところで「ぐぎゃー!」と悲鳴が上がるのかと冷や汗をかいていたのだ。食物となれば、殊更だろう。

 あっ、ちょっと待って。シーナさんが私を見る目が、弟君と同類認定したものに変わっている。誉められたことではないかもしれないが、私は愛想がない割りに、人の表情や感情の変化には敏感だ。それは商家の娘というよりも、劣等感や恐怖がなせる技だから。


「でだ。可愛らしいオレンジタルトと最高級品の紅茶が出てきた日だ。ついにケーキがしゃべった! と感動した俺だったのだが。聞こえてきたのは『夢からさめろ、ぼけ』という声ばかり愛らしい罵りだったのだ」

「そっそれはなんと。まぁ、花精霊にごっついはげのおじさまがいるくらいですから。声が可愛くとも口の悪い精霊もいるかもしれませんね。ほら、オレンジって酸っぱいのもあるじゃないですか。たぶん、それだったんですよ」


 可能ならば想像したくないが。遠い目をしてしまった自覚はある。が、爆笑が響いたのは言うまでもない。今度はシーナさんまで、だ。何故! はっ、そうか。弟君はハゲとまでは言っていなかった! 

 つい、憎き貴族と重なっていたのか。ごめんなさい、花精霊さん。あんなボケ親父と同列にしてしまって。


「ちょっ! 弟君?!」

「こんなに笑ったのは、久しぶりだぞ」

「えぇ、えぇ」


 別に笑われたのはいい。弟君だってシーナさんだって、とっても素敵な笑顔だ。嘲笑ではなく、楽しげな音だと伝わってくるから。聞いてる私も失礼を承知で一緒に笑い声をあげたくなるような。でも、私には出来ない。

 私が今、抗議の声をあげたのは弟気味の爆笑に対して、ではない。弟君が、私の頭を抱えてきたからだ。正直、過去の経験から、男性に触れられるのには抵抗がある。触れられるというよりも、突然接触されるというべきか。

 私としてはさして気にしていないつもりだが、身体と防衛本能が刻んでしまっているのだろう。母様がみまかられた直後、不躾に乗り込んできたボケ親父から受けた、頬への衝撃と、全身へ振りかかる杖の硬い感触を。

 そういえば、あの時の痣はまだ消えていないはずだ。身体を清めてくださった方――ステラさんだろうか。不快にさせていなければ良いのだが。


「あの、私。ごっごめんな、さい」


 意識の問題ではなく、体が勝手に拒絶してしまう。けれど、昨晩の、漆黒の君の例といい、不思議と心地よい。怖くない。もっと髪を滑る感触に浸りたいとさえ思うのに、震えが止まらない。

 弟君の無邪気な体温は、私の戒めを溶かす。

 けれど、弟君の指が頬に触れ、私の自制心は一気に吹き飛んでしまった。


「やっ」


 ごめんなさい、ごめんなさい。私が全部悪いんです。姉が駆け落ちしたのも、両親が亡くなったのも、家人を首にしたのも。私が、ちゃんとしてなかったから。私が、生まれてきたから、いけないんだ。

 だから、あの日。母様が亡くなって、ボケ親父――バーク子爵が乗り込んできて、私を言葉と暴力でなじったのも、当然だと思った。肉親が人を傷つけたのだ。立場ではなく、幼馴染の両親の心を。ならば、私は姉の妹として、非難を受け止めようと思った。

 母を見届けてくださった医師である方の戒めと警告があり、貞操は守られた。幸い、娼館に売り飛ばすとか特殊趣味の公爵の妾にしてやるという罵りの実行は、免れたのだ。

 けれど、制止されてなお、ぶつけられた感情ちからは身が覚えてしまっている。


「ごっごめん、なさい」

「ヴィッテ?」

「やっ! やだ! ごめんなさい、許して、ください。いたい。違う。これは、当然の、むくいだけど、せめて、母様の、前では!」


 がたがたを歯を鳴らして震え始めた私にかけられたのは、戸惑いの声色だった。

 だめ、だめ。私は、ここで新しい自分として、前の自分を捨てて生きるって決めたんだ。なのに、どうしてか。筋肉の痛みも、涙も。止まってくれない。違う。痛くなんてない。

 私の腕を掴み、息を呑んでいる人を見て。私は生きていてよかったのだろうかと、はじめて思った。


「大丈夫だ、ヴィッテ。ここに、君を傷つける者などいないから。俺は君の全てを守るから。だから、謝らなくていいんだ。俺を掴んでくれて良い。それでも死にたいと願わなかった君に、俺は救われた」

「うっ――! ――っ! 私は、全てを失ったのに、それでも、生きたいと、思ってしまったのです。ごめんなさい。私は、どこまでも、卑怯で汚い。私は、あの時、死ぬべきだったのに。私は、生きたいと、願った。生きていて、嬉しいって、思ったの」


 ごめんなさいと繰り返し、自分自身を拒絶する私を。弟君は、いつまでも抱きしめてくれた。拒絶したからと、離さずにいてくれた。謝罪を繰り返す私。拒否する私はどう客観的に考えても可愛くない。

 なのに、ずっと、髪を梳き、ぬくもりをくれた。泣き喚く私を、抱きしめてくれた。醜く生への執着を語る私を、抱きしめてくれた。嗚咽をもらす私を、シーナさんも、弟君も、ただ受け入れてくれた。

 あぁ。これ以上の幸せがあるだろうか。自分さえ捨てた己を笑ってくれた。

 触れる優しい手つきが苦しくて。私は、ただ言葉と涙を流し続けた。

 父様を亡くし、姉が去って。母様が死んでから、初めてのことだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ