表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/99

極上コックさんと陽だまりの人、鼓動を鳴らす私

「ごちそうさまでした」


 朝食も、素敵に美味しかった。

 ちょっと甘めのスクランブルエッグに、ほどよく脂の乗った厚切りベーコン。爽やかにしてあげますよと言わんばかりの新鮮なサラダ。メインにはとろけたチーズを乗せる、ふわっとした焼きたてのパン。

 我ながら。行き倒れ直後であるのに、この量をよく胃が受け付けるものだと感心してしまう。それはそれと、食後の名残にほくほくとしていると、微笑んだステラさんが立ち上がった。

 今日はステラさんと二人の朝食だった。漆黒の君と屋敷の主様は、用事で朝早く出かけられたらしい。


「わたくしは片付けに参りますので、ヴィッテ様はどうぞお庭でも散歩なさっていらして?」

「私にもお手伝いさせてください」

「まぁ、お客様のお手をわずらわせるなんて」


 いえいえ。私、お客さんではなく拾われっこです。

 今日も今日とて。洋服も準備して頂き、さすがに申し訳なさ過ぎる。淡い紫色の膝丈ワンピースは、ほどよいレースで装飾されている。さすがにネックレスなどのアクセサリーは辞退しておいたが。

 それに、食器をさげにいくということは調理場だろう。すでにお皿を重ね始めているステラさんに近づき、ポケットから昨晩したためたモノを差し出す。


「可愛らしいカードですわね」

「私の国では、日常の中で感謝した一言を渡す習慣がありました。それで、昨日の美味しい食事をくださったお礼に皆さんへ書いたので、その、ご迷惑でなければ受け取って頂きたくて……」


 本当は、せめて一宿のお礼にと、所持品の中で一番価値のありそうな装飾品を受け取って頂きたかったのだが。屋敷の主様に、あっさりと断られてしまった。貴族へのお礼には失礼だったかと肩を落としたのも一瞬。主様は、拾ったのは自分の都合もあるのだから気にする必要はないと優しく諭してくださったのだ。

 カードは、まぁ、自己満足だし残るものだから、捨て置かれるならば、それでもいい。ならば、真心と労働だ! 

 とりあえず、カードは半ば強引にステラさんに押し付けておく。ステラさんは、私とカードを交互に見つめた後、ふんわりと微笑んでくださった。朝から眩しい。


「とても嬉しいですわ。みなにも渡しておきますわね」

「お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いします。あと、コックさんにも直接お礼が言いたくて。だから、一緒に食器を片付けさせて頂こうかなと」

「そういうことでしたのね。でしたら、お言葉に甘えてしまおうかしら」


 昨日食卓をともにしてくださった皆さんも恩人だが。なんせ飢え死にしそうだった私を救ってくれたのは、食事だ。あんな時間に、私の分まで用意してくださったのにも感謝だし、とても美味しかった。

 微笑ましいと子どもを見るようなステラさんの視線に気恥ずかしくなりつつも。陶器のお皿を持って、部屋を出る。

 大きな窓がいくつもある廊下は、朝日を存分に取り込んでいる。二階の窓ガラスには、そよそよと青葉がそよいでいる姿が映りこんでくる。


「調理場は一階の奥にありますの。裏口を出てすぐ、ばあやさんの趣味で小さな畑があって、昨日のトメトもそこから」

「道理で! もぎたての新鮮さがありました。私の実家も、庭師の趣味で野菜を育ててたんです。私も時折ですが手伝わせてもらっていました。とは言っても、草刈りとか収穫とかくらいですけど」


 わざとらしく肩を竦め、視線が落ちてしまう。一言、楽しかったと思い出を語ればよいのに、どうして私はいちいち後ろ向きな言葉を発してしまうのだろう。

 謙虚とも謙遜とも違う言葉。もっと会話が上手くなりたい。


「あら、草刈りも立派なお仕事でしてよ?」


 ステラさんは、本当に女神様のようだ。なんというか、陽のオーラというか。綺麗なのだけれど、静かな美貌ではなく、気持ちが明るくなる。

 涼やかな声に顔をあげられる。私も背が低い方ではないが、ステラさんは頭ひとつ半ほど高い。上からかけられる女性の声。それは常日頃ならば、姉を連想させられる。けれど、ステラさんのソレには押さえつけはなく、瞳を合わせたくなった。


「庭師――ゼファさんも、ステラさんのように笑ってくれました。顔についた泥を拭ってくれる手はちょっと荒れてたけど、私は、それが大好きで」


 ぽっと、心の中があたたかくなり、数秒前のもやもやを吹き飛ばしてくれた。目があったステラさんの眼差しは優しくて、自然と私のかたい頬にも笑みが浮かんでくれた。

 ここ最近、暗いことばかり思い出していたけれど。良い思い出もたくさんあるのだ。いい加減、姉の影に怯えず、前向きに生きていかねば。


「まぁ。泥をつけて一生懸命に野菜をもぐヴィッテ様は、さぞかし愛らしかったでしょうね。わたくしも拝見したかったですわ。今の笑みも、じゅうぶん可愛いですけれど」

「はっはぁ。なんというか、恐縮、です」


 って、ステラさん。私の決意をあっさりと砕かないでくださいませ。お世辞とは言っても、ヴィッテにはまだ、誉め殺しはハードルが高いのですよ。

 またしても可愛くないお礼が出てしまった。恐縮ってなんだ、自分。間抜けすぎる。慣れない言葉と子ども染みた動揺に、頬が熱を持っていく。心なしか、階段を下りる速度が速まってしまった。


「あらあら。ただし、男性の前ではお気をつけくださいな? 特に、昨夜のように漆黒の君などの前では」


 階下で待っていた私を追い越したステラさんには、黒い笑みが浮かんでいた。みっ見なかったことにしておこう。少し丸まった背のまま、大人しく横に並んでおいた。

 ステラさんと漆黒の君は馬が合わないのだろうか。昨晩も事ある毎に火花が散っていた覚えがある。まぁ、あれだ。美男美女のケンカップルは絵になるしね。遠目から眺める分には。


「こちらの部屋ですの」

「失礼します」


 調理場は料理人の聖地だという。食器を落とさない程度に深く頭を下げ、ステラさんに「どうぞ」と声をかけてもらってから足を踏み出した。

 先に朝食をとられた方の分だろう。ほんのり残ったパンと泡立つ洗剤の香りが交じっている。清潔感あふれる調理場の流し台には、大きな窓があった。奥が調理スペースなのかな?


「あいよ。っと、ステラの後ろにいる可愛いお嬢ちゃんが、例のお客さんかい?」

「シーナさんたら。年頃の女性に『お嬢ちゃん』は失礼でしてよ」


 鼻の頭に泡をつけたコックさんが、焼きたてのパンみたいな笑顔をくれた。ばあやさんがおっしゃっていた通り、というか、中年らしき男性は私よりも背が低めだ。私の国とさほど変わらない白い料理人服は、若干苦しそうに見受けられる。

 というか、この屋敷の方は枕詞的に『可愛い』をつける風習でもあるのだろうか! 冷却されかけていた身体の熱が、再燃していく。


「ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました。こちらの主様に行き倒れていたところを拾って頂いた、ヴィッテ・アルファ・アクイラエと申します」


 近くの机に食器を置き、がばっと頭を下げる。本来ならば淑女ぜんとしてスカートでも持ち上げ、腰をわずかに落とすべきなのかもしれない。

 実際、コックさんもステラさんも、驚いているのが空気で読めた。

 目の前のコックさんは、私の命の恩人だ。礼儀にかけるかもしれないが、私もあるべき自分でお礼を言うべきだと思ったのだ。


「昨晩のお食事、とってもとても身体全部に染みてきました! 美味しくって、あったかくて……幸せな時間を食べられました。あの、言葉足らずで、うまく表現出来ないのですが。命を救ってくださり、本当に、ありがとうございます」


 あぁ! 言い訳がましい言葉を加えてしまった! どうして、私は、こう。姉ならば、きっと、もっと語彙力に満ちた謝辞を述べられただろうに。

 けれど、今、かたちにした感謝の念に偽りはない。どんなにけったいだと鼻で笑われても、私は私としてお礼を伝えたかった。


「ほぅ。こりゃ、嬉しいねぇ。料理人冥利に尽きる。自分の方がお礼を言わせて欲しいですな」

「でしてよ。昨日のヴィッテ様といったら。魔法映写しゃしんにおさめて、ここに貼っておきたいくらいでしたのよ!」


 身悶えるステラさん。美人は何をしていても美人さんなんですけどね。行動の原因が私の涎たらす姿かと思うと、罪悪感が。シーナさんが全く引いてないのが余計にね!

 我が家にもコックはいた。シーナさんとよく似た雰囲気だった。

 父様や母様それにコックのハーンさんの性格上、私もよくお手伝いさせてもらっていた。幼い頃は、料理をするハーンさんや母様の後ろ姿を眺めているのが好きだった。たまにだが、卵を掻き混ぜたりクッキーの型抜きをさせてもらえるのが、楽しくて仕方がなかった記憶がある。

 母様が時々作ってくれる焼き菓子も大好きで、イベントごとに皆でお菓子や料理をこさえたものだ。


「ヴィッテ様、カードを」

「そうでした。これ、感謝の気持ちをしたためたカードなのですが。受け取って頂けると、嬉しいです」

「ほぅ! なんともこりゃ!」


 シーナさんの口癖なのだろう。ほぅっとまん丸に瞳を開いたシーナさんは、エプロンで手を拭い、カードを受け取ってくださった。その手つきに、また涙腺が刺激される。

 正直、いらないと捨て置かれるのも覚悟していたのだが。目を通してくださったあと、また柔らかい笑みを浮かべながら、胸元にしまってくれた。


「あと! お皿も洗いますね!」

「ヴィッテ嬢ちゃん、それはさすがにな」

「私、お皿洗いは得意なんです! お願いします」


 久しぶりの呼ばれ方に、うるっと瞳が湿ったのを誤魔化すため。意気揚々と袖を捲くった。皿洗いは好きだ。汚れが落ちて、綺麗になる様子は、まるで自分の心を洗っているように感じられるから。自分の淀んだ思いが、流れていってくれるように思えるから。

 だいぶ邪な感情が入ったが。シーナさんは、苦笑しながらも快諾してくれた。その姿に、母様が重なり、泣きたくなってしまったのは内緒にしておこう。



****



「ヴィッテ嬢ちゃん、助かったよ」

「いえ。私の方がすっきりさせて頂きました」


 ステラさんが去った後、食器どころか調理場全体の掃除をさせてもらった。シーナさんは笑ってくれるが、私が無理を言ってやらせてもらったようなものだ。

 ただ目の前の汚れを落とす。と言うほど、汚れてもいなかったのだが。とにかく、自己満足以外のなにものでもないのだ。私がした行為は。


「ほら、こっちにおいで。ヴィッテ嬢ちゃんのために、おじさん特製のお茶を淹れてあげよう」

「わぁ! 初めて嗅ぐ香りです! 爽やかなお花みたい」

「あぁ。わしの娘が送ってくれた異国の花の茶なんだよ」


 むろん、美味しいお茶を、しかも異国の商品を口に出来るのは興奮材料だ。商人の娘の性だろうか。けれど、注がれる湯に視線が奪われるのは別の理由だ。

 だれかが自分のために茶を淹れてくれる。

 それが、たまらなく嬉しい。


「俺も交ぜてくれるか?」


 とぽとぽと、ガラスの器に注がれる湯と広がる花に見とれていると。背後から心地よい声がかけられた。

 反射的に振り向いた先には、薄紫色の髪をざくっと流した長身の男性が笑みをたたえ壁に凭れていた。身に纏う空気は上品だが、首筋にそう髪は少年のような長さだ。ゆったりとした踝までの衣も、しゅっと着こなしている。

 間抜け顔で瞬きした私を映すのは、金色の瞳。思わず瞳を細めてしまうくらい、輝いているように思えた。


「はいはい。今、カップをお持ちしますね」

「悪いな、シーナ」


 一人呆然とする私をよそに、シーナさんは嬉しそうにカップを取り出す。自己紹介がないまま、私の隣に腰掛けた男性。年は、予想だが、二十を少し過ぎたところだろうか。高貴な服装の割に、浮かべている笑みは少年のように純粋だ。

 シーナさんの様子や彼が纏う空気から言って、この屋敷の、しかも主の関係者なのはわかった。が、私に直接向けられた微笑に、喉が詰まって反応出来ない。


「え、あ、私は、その」


 どくんと、胸が騒いだ。得たいの知れない、鼓動が響く。号泣した後のように、呼吸が苦しい。私の心の奥が、本体をさしおいて騒ぐ。どうしたのだろう。

 彼の笑みは何故か泣きたくなる。陽だまりのようにあったかくて、でもそれだけじゃなくって。お日様とお月様に、同時に見つめられたような混乱。


「君がヴィッテだろう。兄上が連れ帰ったという」

「あっ主様の、弟君でしたか! お兄様には類まれな恩寵を頂き――」

「名は把握している。俺は放蕩息子だからな。気を使わないでくれ」


 からからと笑った弟君。名乗らない点よりも、胸を鷲づかみにするような笑みに、動揺してしまう。シーナさんが、そんな私を笑った気がして、さらに動悸が激しくなる。

 ぎゅっとスカートをつかんで下を向いていると。シーナさんが、彼にもお茶をついだ。横目にとらえた弟君は、満面の笑みを浮かべている。


「うむ、ふんわりと甘くて美味い。シーナの娘に、感謝だな」

「庶民のお茶も負けてはいないでしょう? 貴方様には今更でしょうがね」


 シーナさんは気後れした様子もなく、胸を張った。ついでにと、いたずらっ子のように片目を瞑る。

 この方は一体。と不審に思わなくもないのだが。それよりも、なによりも。お茶を飲んだ瞬間の表情に……正直、見惚れてしまったのだ。だって、だって。


「どうかしたか? あぁ。大の男が笑顔で茶を含むのは、やはりおかしいか」


 おかしい? いや、全く、その真逆だ。

 私は、茶を飲んで、こんなにも素敵な笑みを浮かべる男性は知らない。父様も古今東西の茶を好んではいたが、弟君ほど全てを蕩けさせて舌福を表現している方に出会ったことはない。しかも、私が察するだけでもかなりの爵位な家柄の方だ。いわゆる、高級品を口にする機会も多かろう。

 決して、高ければいいという価値観を肯定するのではない。でも、私の知る限りの貴族はそうだった。が、どうしてか。弟君があまりにも幸せそうに笑ったものだから、私からはおかしな言葉が出た。


「おかしいの、ですか? 弟君の、その幸せな笑みが?」


 考えていたことと、全く違う疑問が。

 そうだ。おかしくなどない。弟君の私に質問した内容、それは、紅茶の格ではなく、男性が笑顔で茶を飲む行為に対してなのだ。

 私が知る男性――特に貴族ともなれば、茶の産地だの、希少性だの、薀蓄うんちくを語らうのが主だ。女性でさえ、ただ香りタカイと微笑むだけの人間は少なくない。


「確かに、貴族としては、らしくないかもしれません。でも、私個人としては、とても素敵だと思います。弟君のように幸せそうに飲んでもらえたなら、お茶も嬉しいでしょうし、育てた方も仕入れた方も、シーナさんの娘様もきっと」


 貴族には貴族の立場がある。示さなければならない権威もある。

 けれど、ただの拾われ子の前で、そんな地位など関係なく微笑んでくださったのが嬉しくて。ついつい、私も素直な考えを口にしてしまった。言葉足らずなのは、重々承知だが。

 隣に座る弟君は、綺麗な瞳を見開いた。もとより漆黒の君ほど鋭くはないが、凜と鳴る鈴を思わせる瞳だ。位の衣を脱ぎ捨て、カーニバルを初めて目にしたような幼子の様子が重なる表情。そんな表現は、私の傲慢な思いからだったのだろうか。


「お茶も、嬉しい……」


 茶に視線を落とし、小さく呟いた弟君に。しまったと息を呑んだ。

 私の悪い癖が出てしまったと。

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ