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フィオーレの街と涙のぬくもり、幸運な私

「あっ、あの。主様は、大丈夫でしょうか」

「放っておいてかまいません」


 行き倒れるまでの経緯を吐露とろしてしまった。同情など、引きたくなかったのに。

 後悔と相反する爽快感、半分の私。自分の心情に愕然がくぜんとしながら、目の前の皆さんの負担になってはと焦ってしまう。

 一人、せわしなく動く私の耳に入ってきたのは、男性の号泣だった。それは見事なまでに、ずびびと大人らしからぬ音を響かせている。聞いたことのないような、鼻のすすりよう。

 衝立の奥から届く悲音に、堪らずガラスポットに手が伸びた。


「お水などを、お持ちしたいのですが」


 純粋に、嬉しかったのだ。

 だれかではなく、私を拾った人物が、後悔ではない感情を向けてくれたのが。すくわれる、とはよく言ったものだ。

 掬うとはまさに救うなのだ。死の淵、絶望からのすくいあげ。


「耳障りでしょうが、お気になさらずに」


 漆黒の君が眉ひとつ動かさずに、ふぅっと吐息を落とす。

 今の私は己のハンカチも持ち合わせていないし、あちら側が顔を見せたくないのなら近寄って背中を摩って差し上げる程度のお礼も出来ない、全くの無力な人間。

 ゆえに、ポットを抱え、おろおろとするばかりだ。地味な女がうろたえる姿は、実に滑稽だろう。証明するように、無表情だった漆黒の君が、これまた似合わない調子でふきだした。やけにおかしそうに口元を押さえ、笑う漆黒の君。

 かくいう状況だが、私の心情どうのこうのよりも、隣でものすごい形相を浮かべているステラさんが、胃を痛めてくる。


「では、ありがたく頂戴いたしましょうか」


 私の悲壮感に負けたのか、ステラさんの睨みに負けたのか。どちらかは不明だが、漆黒の君が口の端を落として手を伸ばしてきた。

 握り締めたあまり、ぬくくなっていないかと危惧するが。漆黒の君は気にも留めず、受け取った。


「はい、よろしくお願いいたします。とはいっても、お水も私が用意したものではないので、なんとも微妙な感じではありますが」

「ヴィッテ。気持ちを、頂戴するのですよ」


 ふんわりと。それはそれは、蜂蜜のごとく柔らかい調子で微笑まれ。私といえば、あほのように、ぼぅっと見上げてしまった。漆黒の君は、間抜け面の私を見て、また小さく笑いを零した。

 優しい眼差しと硬い声調のギャップが、胸の奥をむずむずとくすぐってくる。


「え、あ、その、えっと」


 意味を成さない、愚かな発音。我ながら、溜め息が落ちる反応だ。

 それにしても。いつの間にやら呼び捨てになっている。全く嫌な気持ちにはならないけれど。漆黒の君が呼ぶ名は、やけに心地よいリズムで、気恥ずかしくなってしまう。

 初めての感覚に襲われ、私はただ、肩を縮め「はい」と返すのがやっとだった。


「漆黒の君は、いつも美味しいところばかり持っていきますのよ? ヴィッテ様、お気をつけなさいませ」

「そうだ、そうだ! お前らヴィッテを見習え! ヴィッテの女神のような優しさを!」

「そんな鼻水だだ流しの人に、誉められてもねぇ。ヴィッテちゃん、さ、デザートでも食べましょ」


 屈託のない声色に、かぁっと体温があがった。一言で称すなら、罪な人だ。

 が、すぐに、行き倒れた女を拾ってくださる心の広い主様は、水を差し出しただけの子どもに、女神を引き合いに出すほど、日ごろ虐げられているのだろうかと心配が勝った。

 会話を耳にしていても、その可能性が濃厚だ。頑張れ、屋敷の主様! 助けていただいたご恩で、ヴィッテは心の中で応援させて頂きます!


「本日のデザートは、木苺のムースです」

「わぁ! 可愛い!」


 執事さんが差し出してくださったお皿には、「可愛いでしょ? ねぇ可愛いでしょ?」と自己主張しつつ、可憐に見上げてくるムースがのっていた。メインの木苺の隣には、紫色のベリーが、彼女を着飾るように取り囲んでいる。

 はっ! いけない、また食妄想の世界へ旅たつところだった。というか、半分、入りかけていた。私がそうしている間に、皆さんはお上品な仕草で、ムースを食されていた。


「はむっ」


 私も慌てて、ぱくりと口に含む。

 おぉぉ!! 思わず零れそうになった奇妙な声を我慢出来たのを、誉めて欲しくなるような美味しさ! ふわりと沈むフォークにどきどきもしたが、口の中に含んだとたん、とけていくこの感覚ときたら。まって、もうちょっと味わわせてくださいと懇願する私に、しれっと後姿を消すもどかしさが、また手を進める。


「そこまでうっとりと食されれば、デザート冥利につきますね」

「ヴィッテ様ったら、可愛い!」


 はっ、いかんいかん。再び、意識が飛んでいたようだ。けれど、妄想世界へようこそと私を手招きするデザートが悪い。

 責任転嫁しつつ、それでも、落ちそうな頬を押さえ、悦に浸ってしまう。なにやらステラさんに頭を撫でられているような感触もあるが、私は今、口内の幸せに感謝するのに忙しい。


「うちのコックはお菓子の魔法が使えるからねぇ。まぁ、外見はただの中年太りしたおじさんなんだけどね」

「お菓子の魔法ですか。私としてはお料理の魔法も使える方かと。すごいなぁ」

「ヴィッテ様は、よくフィオーレまで無事に辿り着けましたわね……」


 私の髪に可憐な指を滑らせたまま、ステラさんの声のトーンが少し落ちた。なんだか呆れられているのか? 田舎娘との蔑みがないのが、余計に恥ずかしい。

 このご時勢、魔法が使えること自体はなんら珍しいことはない。が、私が知っているのは極一部だろうし、目の前のお菓子は、魔法がかかっているとほのめかされれば、信じざるを得ない美味しさなのだ。とはいえ、私も子どもではないので、冗談半分本気半分だったのだが。


「だって、ヴィッテ様ったら、瞳がきらきらしてらっしゃるんですもの。金平糖を瞳にうつして、蜂蜜の溜め息を落とされては、本気と取られても仕方ありませんのよ?」

「ステラさんは、心も読めるのですか」

「えぇ、可愛らしい方のお心ほど顕著に」


 さすが女神の園の女神様、という言葉は飲み込んでおいた。先ほど漆黒の君を御使い呼ばわりして、呆れられたばかりだしね。

 いや、私が顔に出しすぎなのかと反省するべきところである。はい。

 初対面の方の前では自重しようとしていた癖があれよあれよと出て、猫をかぶる暇もない。でも……この屋敷の皆さんの前では、かぶりたくないとも思えた。


「ステラ、あまり少女をからかうもんじゃないぞ。フィオーレはステラや漆黒みたいな人物ばかりだと警戒されては悲しい」


 しつこいようだが、主様は鼻声かつ鼻を摘んで声を変えていらっしゃる。たぶん、字面だけ見ると、威厳あるお言葉なのだが。いかんせん、しつこいようだが、涙声だ。

 けれど、どうしてだろう。不思議と、変人よりも、とても素敵な男性だと思ってしまうのだ。それは、十中八苦、優しくして頂いている立場と甘えているずるい部分から湧いてくる贔屓だろう。私は、親切に感謝する自分の気持ちさえ、歪んで捉えてしまう嫌な人間。自覚はある。

 可能ならばちゃんと目を合わせ、お礼を申し上げたい。感謝だけは、素直な思いだとはわかるのだ。だから、せめて、視線が交わらなくとも、確かに抱いた感謝は伝えよう。

 すっと、背を正した。


「ありがとうございます。でも、私、この街が好きに……この街で、頑張れそうです」

「フィオーレは美しい街であるし、治安も良い。世界有数の王都であるし、荒んだ部分も少ない。だが、ヴィッテはまだ街にも出ていないというのに」


 主様のお言葉はもっともだ。

 情報や憧れはあるものの、私は実際のフィオーレを知らない。曽祖父の自伝や旅人の話から得ただけで、生活者の意見に触れた機会はない。


「主様のおっしゃる通りです。ですが、私は二度死んだと思っています。一度目は母様が寂しそうに微笑みながら亡くなった日。そして、全てを捨てて旅立ち行き倒れた時」

「ヴィッテ様」


 皆さんからしたら、たかだかソレくらいかと思われる境遇かもしれない。立場じゃなくて、年齢じゃなくて。私は、皆さんの人生を知らないから、そう思う。もしかしたら、私なんかよりもずっと悲しさを背負っているかもしれない。反して、平穏な人生だったかもしれない。

 そういうことじゃなくって、私は、今目の前のいてくださる方々に、自分の気持ちを知ってほしいと思ったのだ。

 前は少しでも大きいことを言うと、姉に叱られていた。出来ない目標を立てるな、口にするな、考えるな。

 けれど、私の命を拾い、心を救ってくださった皆さんの前でなら、ちょっとぐらい素直になって、わずかに強がってもいいかなって思ったんだ。もちろん、同情を引きたいんだと思われる感謝は、微塵も言葉にするつもりはないけど。


「だから思うんです。十の辛い出会いと別れより、一の素敵な想いを大切にしようって。前の私は、それが出来ていなかったから、死んだんだって、今になって気付けたんです」


 ぱくりと、行儀が悪いが、甘い調べを口に含む。

 こみ上げる涙を押し込めるように、頬があがった。あがって、止まらない。


「今日の食卓は、私にとって素敵な想いに包まれた時間だから。この街に貰った、生まれ変わりのきっかけだから。私は拾われる直前、言い訳しようがないほど、生きたいと願ったのです」


 私、ちゃんと言葉に出来てるかな。

 しんと静まり返ってしまった空間が怖くて、俯いて自分の手を握り締める。あぁ、しっかり顔をあげて、高らかに口に出来たらどんなにいいか。けれど、豪語しながらも、臆病な私は、俯いて語るしかない。

 自分が生きたいと願うように、たぶん、だれかに生きていていいよと肯定して欲しかったのだろう。どこまでも卑しい自分に、腹が立つ。でも、ごめんなさい。私は、認めて欲しい。生きて……笑ってていいよって。

 ほぅっと落ちた息。衝立の向こう、同じ色の溜め息が広がった気がした。


「生きていてくれて、よかった。生きたいと言葉にしてくれて、よかった。でなければ、俺は君を殺して、今も闇の中にいた」

「まったくですよ。私も地獄に立ち会わずにすみました」


 主様の切羽詰まった声色と、漆黒の君の冗談めかした声。

 なぜ涙が溢れるのか、わからない。生きたいと望んで許しを得たからか。はたまた、自分の生死の負担を、他人にかけずに済んだのにほっとしたのか。叶うならば、前者がいい。


「君の命をすくいあげたのは、俺の都合だ。ヴィッテが考え込む必要などない」


 衝立の奥。笑った主様に、ある日の父様が重なった。

 日ごろ無口な父様が、一緒にお酒を飲んでいる際に、ふいに零した笑みを思い出す。辛い思いも多く、やるせなくなることもあるけれど、たった一度の涙や笑みで、あぁこの仕事をしていて良かった……心が輝く瞬間に立ち会えてよかったと思えるのだよと、教えてくれた父様。書類整理という裏方ながら、携われる現実に感謝した。

 あの時は羨ましいなと軽くとらえていたけれど、今ならその喜びがわかる。感じられる。


「とにかくですね。どん底の不幸続きでしたけど。奇特な方に助けて頂き、最高の食事を堪能して、もう縁のないと思っていたぬくもりに会えたんです。私、これから頑張って生きていけそうです!」

「わたしでよけりゃ、おばあちゃんと呼んでくれてもいいんだよ」


 ばあやさんが、おいおいと泣きながら後ろから抱きしめてくれた。それでも足りないと言わんばかりに、腕を摩られ、顔を撫でられる。

 あったかい。こうして抱きしめてもらったのは、いつぶりだろう。容赦なくまわされる腕は痛いけど。全然嫌じゃない。ぎゅっと唇を噛んでも、やっぱり瞳は焼けるように熱くなった。


「せめて、お母さんです」

「あら、ヴィッテちゃんはお世辞なんて言っちゃって」


 ひたすら腕を摩ってくれる体温に微笑み返せば。ばあやさんはおどけて頬を軽く叩いてくれた。泣きすぎて頭はずきんずきんと痛むのに、ちっとも不快じゃない。毒素が全部流れていくような爽快感さえ覚えた。

 目が合った執事さんに、にこりと微笑まれ体温が急上昇したのは内緒だ。


「あっ、でも! 今日、一晩は泊めて頂けると嬉しいです! この季節のフィオーレの気温は存じ上げないので!」


 誤魔化し気味にあげた声はうわずっていた。

 屋敷の中、特にこの部屋は人が集まっているおかげか、ひとつの暖炉の火でも充分暖かい。魔力がさして強くない私なので、何かしらの温熱魔法がかけられているかは判断できかねるが。

 私が察することが出来る空気と言えば、人の肌の香りと纏う空気。それだけ。


「もちろんだ! 明日の朝も、ヒュン――我が家のコックの美味い朝食を食わせてあげるぞ!」


 我が『家』の。それだけで、屋敷の主様の人柄が伝わってきた気がした。

 朝食!! なんと魅力的な単語か!

 朝食を抜くご婦人は珍しくない。が、食いしん坊を自負してやまない私は、きっちりと朝食も平らげる人間だ。東洋の米に、鶏の生卵。醤油をとっとと足せば、完全無欠だ。おっと。海鮮物の恩恵にも預かっていた私は、白身魚も逃さない。ちょいっと味噌で加工した赤みも大好きだけどね!

 雑食というか、いかなる食材も愛する私。フィオーレの朝食に想いを馳せて、涎がとまらない。


「フィオーレの滞在手続をとって頂く必要がありますが。家業の補助を行っていたということは、読み書き――しかも、当国の言語も話されるというのは、文字の扱いも可能ということでよろしいですか?」

「はい。愛読書の曽祖父の自伝はフィオーレの言語でしたし、大国の語学を習得するのは貿易商の娘として、当然というか」


 あせあせと、詰まりながら答えた私に、漆黒の君が浮かべた笑み。

 生涯、私は忘れはしない。……まぁ、色んな意味で。というか、主に背筋が凍る意味合いで!




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