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自覚もない奴が、いっちょ前に悋気かい。

 目の前でベッドに横たわっているスチュアートは、呼吸が荒い。憎くて仕方がないはずなのに、額に浮かぶ汗を拭いたくなる。けれど、やはり、心のどこかで許せなくて。伸ばしかけた手を膝に戻し、スカートを握りしめることしか出来なかった。

 俯く顔があがったのは、肩に沁みてきた優しい温度のせい。


「アストラ様。アクティさんとのお話は終わったんですか?」

「あぁ。念のためアクティと懇意にしている医者を呼んで貰った。諸々の事情がある患者に慣れている人だから、面倒ごとはないだろう」

「何から何まですみません」


 立ち上がり頭を下げることしか、今の私には出来ない。

 ぽんと、柔らかく頭に乗ってきたのは大きな手。顔をあげた先にあるアストラ様の表情は容易に想像がつく。想像がついて、私にはもったいないと思った。


「ヴィッテ、謝罪などいらないよ。俺はヴィッテが甘えてくれたのが嬉しくて、もっと力になりたくて勝手に動いているだけだからな!」


 明るい声に惹かれて顔をあげた先にいたアストラ様は、むんと胸を張っていた。今更ながら気が付いたが、魔術騎士団の制服から私服に着替えられている。

 その影響だろうか。見える。ないはずの尻尾が見える。つんと天井に伸びた耳と、ぶんぶんと振られる尻尾が。

 って、私ってば失礼な幻を見るんじゃないよ!


「わかってはいるよ。ヴィッテがどうあっても申し訳なさを抱いてしまうのは。それも承知しているからこそ、嬉しいのだよ」

「アストラ様――」


 名を呼べば、首を傾げながら「うん?」と返事をくださったアストラ様。本当に、そう考えて下さると伝わってくる。見返りなく助けてくださっているって。


 私は――どうして、あの時、今の境遇が山賊に襲来された時によるものだと思ったのだろう。いや。確かに身に余る恩恵を受けている立場だという自覚はある。


 それでも、彼らの真摯な対応を疑うようなこと。

 違う。いつもの私ならどんな理由や背景があっても、自分が抱いている感謝だけを信じただろうに。邪魔にだけはなりたくないって、自分の身の引き方を考えただろうに。すごく悲しくて、やるせなくなってしまったのだ。


「ヴィッテ。彼が目を覚ます前に少し話をしよう」


 ベッド脇。アストラ様は私の隣に椅子を引いてきて、隣に腰掛けた。

 きたっと身が強ばる。移動中、私は意識を失っていたというか寝てしまっていた。せっせめて二人きりではなく、階下にいるフォルマやオクリース様、それに駆けつけてくれているだろうメミニを交えてにして頂きたい。

 でも、せめてきちんと謝罪はしないと。


「はい。すみませんでした。私、ほんと。なんとお詫びを申し上げてよいのか」

「俺はヴィッテの身元保証人で上司だからな! 迷惑なんて思ってないし、むしろ見えないところでヴィッテが苦しんだり、どうにかなったりする方が嫌だぞ?」


 ベッドに額を押しつける勢いで頭を下げていた私に視線を合わせるためだろう。アストラ様はベッドに頬をつけて、顔を覗き込んできた。そして、にっかりと笑った。お日様の香りがしてきそうな笑顔。やっぱり、あの夢の少年はアストラ様だ。

 軽く。そう軽く、私に似た女の子に昔出会ったことがないか尋ねてみようと思いながらも、今は色んな感情が混ざり合って言葉が出ない。


「アストラ様……」

「うん?」


 駄目だと思いながらも、当たり前のように返ってくる柔らかい声に瞳が潤む。人間、優しくされると泣きたくなるのは何故だろうか。

 いっそのこと、迷惑だと眉間に皺を寄せてもらえたらいいのに。なら、私は強くあれる自信があるのに。


「スチュアートに纏わる事情は、アストラ様に拾っていただいた当初、お屋敷で語ったものがすべてです。彼に関することで、アストラ様やオクリース様に隠し事はありません」

「うむ。ヴィッテを疑っているのではない」


 アストラ様の肯定に、後ろめたさを抱いた訳ではない。言葉に嘘はない。

 ただ、幽霊のことを相談して良いのかは迷う。突拍子もなさすぎるだろう。自分でも受け入れているところが怪しいのだ。って、おや? そういえば、幽霊の姿が見えないな。


「ヴィッテが隠し事をしていないのは重々承知だ。俺は、ヴィッテがスチュアートをどう思っているのかを知りたいのだ」

「えっ? 私が彼をですか? どうも何も。幼馴染みで、姉様と駆け落ちをした子ということしか」


 思わぬ問いかけに瞬きを繰り返してしまう。

 向き直ったアストラ様は自分の両膝に拳を添えて、口を引いている。私をしっかりと見て下さっているが、ぐぬぬっという音が背に見える。


「そうか。だが、相手はヴィッテのことを『婚約者』と呼んでいた。それに、明らかな好意が見て取れたが」

「あれは、その、子爵側で勝手に動いていたことで、私はもちろん、両親も寝耳に水な話でした。好意は……子どもの頃からずっと遊び相手だった私に固執しているだけかと」

「つまりは、ヴィッテが彼に心を寄せていることは、全く、これっぽっちも、微塵も、ない。つまりは皆無、と言うわけだな?」


 なっなんで重ね重ね確認されているのだろう。しかも、表現を変えて。

 冷や汗もかきながらも、アストラ様のあまりに険しい面持ちを前に、こくこくと無言で頷くしかない。


「すまん、つい熱くなってしまったな。このような部分には、いくら身元保証人であっても踏み込んで良い域ではないと、アクティに諫められたばかりなのだが――どうしても、気になってしまってだな」

「私はアストラ様に踏みいっていただいて、嫌な部分などありませんが?」


 私が踏みいっちゃいけないならともかく、逆はあり得ない。

 うんうんと頷いている私の前には、渋い顔をしたアストラ様。えっ、なんで?


「それに身元保証人だからこそ、きちんと伝えておくべきかと。あれです。普通の恋愛ごとならまだしも、現にご迷惑をおかけしていることですし」

「普通の恋なら、俺には内緒にしておくということか?」


 ひぇっ! 渋い顔がさらに眉をしかめてしまわれた。それでも端正なお顔には変わらないが、だからこそ、迫力が増すとも言う。

 詰め寄られて、しどろもどろな言葉しか出てこない。前に掲げた両手の指を掴まれた直後、アストラ様のこめかみに豆みたいなのが突っ込んできたじゃないか!


「ああぁぁアストラ様!? 大丈夫ですか!?」


 ベッドに横倒れに突っ込んだアストラ様に声をかけるが、返答はない! 肩を揺するが、なんかしくしく聞こえるだけだ。

 襲撃かっ! と振り返った先にいたのは、呆れ顔のアクティさんだった。


「アストラ、あんたってほんっとーーーに面倒くさい男さね。自覚もない奴が、いっちょ前に悋気りんきかい」


 リンキとは。頭を抱えて必死に頭の中の辞書を検索するが、ヒットしない。

 普段は不便を感じないのだが、時折、知らない単語が出てきてしまう。推理小説から恋愛小説、はたまた歴史書を読んだりするが、人生勉強の連続だと再認識する。


「アクティさん、ご教示ください。『リンキ』とは、どんな意味でしょうか!」

「……あんたもソッチに注目する子だよねぇ。ほんと、あんたらって二人して敢えて遠回りしてるみたいだねぇ」


 階段をあがってきたアクティさんの手には、湯気をあげているスープとおしぼりがのせられている。

 平素ならここは特別な客を迎える宿を兼ねた空間らしい。アクティさんに言わせたら、悪酔いする常連を大人しくさせる部屋とのことだが。


「そうだ。お詫びが遅くなり失礼いたしました、アクティさん。すみません、ステフを運び込んでしまっただけではなく、彼のスープまで用意していただいて」


 目を伏せた私の口に、スプーンが押し込まれた。スプーンからは、ちょっぴり甘いスープが喉を流れてきた。

 ほうれん草ベースのスープだ。あぁ、美味しい。休日や夜にアクティさんのお店を手伝った際にまかないをいただくのだけれど、ヤンおじさんの料理は本当に胃に染みてくる。


「なに言ってんだい。これはあんたのだよ。最近顔色が悪すぎだよ。ちゃんと食べてるのかい?」

「そうだぞ。ヴィッテは普段、アクティの気まぐれな手伝い要請に快く応じているんだから、当然の待遇だ」


 すくりと立ち上がったアストラ様は胸を張った。腕を組んだまま、うんうんとご満悦の表情で頷いている。

 私にカップごと渡して手が空いたアクティさんは、アストラ様の頬を引っ張っる。力の限り。


「あんたが胸を張る謂れはないだろ、アストラ」

「いでででっ! 元傭兵のお前に引っ張られたら肉が裂ける! というか、戦場の猪を捌いていた手つきを思い出すな!」

「アストラは、戦場の死神なんて思い出させない間抜け面じゃないか」


 ぽんぽんとテンポよく交わされる会話に、失礼と承知しながらも笑いが零れてしまう。

 オクリース様の冷静な突っ込みとはまた違った賑やかなやり取り。共通点と言えば、アストラ様を『死神』だった時と比較する言動だろうか。


 私が知らないアストラ様。冗談で使われるけれど、具体的な話はみんな避ける。話してくれない。


 知りたいけれど、それこそ私ごときが踏み込んではいけない部分だと思う。アストラ様に必要とされているのは、死神の彼を知らない私だと思うから。

 少し前なら、自分に与えられた立ち位置を理解して、納得できていた。今はどうだろう。


「知ったところで、どうにもできないのに。前と同じで。何もできないなら、深入りするべきじゃない」


 口の中で呟いて、血の気が引いた。体が冷たくなった理由はわからない。でも、私にとってとても重要な意味を持つと思った。感情が伴った響きに、戸惑いが消えない。

 誤魔化し気味にコップから暖かいものを流し込む。あぁ、喉から胃から、熱が行き渡っていく。舌はちょっとやけどしたけれど。


「アクティさん、ごちそうさまでした。沁みるほど、美味しかったです」

「食いしん坊の名に負けない早飲みだね。よけりゃ、おかわり持ってくるけど?」


 おぉ! 本当ですかと。コップを受け取ってくれたアクティさん目がかけて、自分でも現金だと思うくらい、笑顔になった直後。


「うっうん。あれ、ここは、僕は、夢を見ていた、ような。ヴィッテ? あの魔女じゃなくて、本当に君か?」


 隣のベッドから体を起こした存在に、頭が冷えた。

 眼前のステフは寝ぼけているのか、意味不明なことを呟きながら頭を抱えている。立ち上がって牙を剥く私の様子にも気が付いていないようだ。


「ヴィッテ、大丈夫だ。俺が傍にいるぞ」


 私はよほど噛みつかんばかりに歯をむいていたのだろう。怒りに震える体に触れてきたのは、優しい体温だった。こつんとぶつかりあった頭の横が、堪らなく熱い。

 いつもなら恥ずかしさから逃げてしまうところだ。けれど、今は怒りに震える自分が怖くて、甘えてしまう。


「はい。はい、アストラ様」


 アストラ様の袖を握ってしまっていた。それどころか、自分の方へ引っ張るように指に力が入った。私はひとりぼっちじゃない。そう思えてしまった。

 私は弱くて。まだ、誰かの迷惑になるのはとても怖い。死んだ方がましだとも思う。

 それでも、この瞬間に隣にあってくださる体温に応えられるくらいは、信じられる自分になりたい。


「あっあぁ、うん。あれ、うん?」

「……自分から頼れと口にしておいて、盛大に照れてるんじゃないよ。ほんと、あんたって、変なところで青臭い――若造なのは変わらないんだから」

「アクティさん! アストラ様は父様のように包容力がある方です!」


 拳を握って主張である! ここは譲れません!!

 って、しまった!せめてお兄様と表現するべきだったよ! アクティさんも、アストラ様も、ものすごく残念な子を見る目つきだよ!


「っていうか、さっきも言ったけどね。アストラは自覚もないくせに、一丁前にあたしと同じ空気になってんじゃないよ。オクリースの心労が理解できるね」

「オクリース様の心労とは」


 アクティさんの言葉に、整ったお顔をうんざりと崩したアストラ様に、さらに冷や汗が溢れてくる。けれど、ちっとも嫌じゃない。


「ちょっと。貴方はヴィッテのなんなんですか?」


 スチュアートが、両頬にかかっている赤茶の髪をうっとおしげに掻き上げた。魔術騎士団で再会した時は気が付かなかったけれど、私の知る面影よりも少しばかり肩幅が大きくなり、顔つきもしっかりしている。

 でも――中身は、そのままだ。周りのことなんて知ろうとしない、守られた少年のままの彼が私の前にいた。



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