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亡くした両親と駆け落ちした姉、残された私

「ヴィッテ様、オムレットも美味しいですわよ」

「ぶほっ」


 突如姿を現した男性に呆気に取られていると。反対側から、ぐいっと頬をつかまれた。首が! ぐきって! ステラさん、細身の体に似合わないお力加減だ!

 首の痛みに悶絶する前に、口へ突っ込まれた黄色いふわふわのおかげで、頬が落ちたのは幸いだったが。

 オムレットとは、天使の衣か! ふわっ! とろ! 中にはチーズが入っていて、絶妙なタイミングで舌に降り立つ。ほんのりとした甘味が、涙が染みた口内のしょっぱさを刺激してきたのは、無視しておこう。


「おいひい、です」

「愛らしい様子で堪能してもらえたなら、たまごもうちのコックも本望ですわねぇ」

「ステラ、あの方を衝立から引っ張り出すような表現は、控えてください」


 膨らんだ私の頬を、やけに嬉しそう

に突っついてくるステラさん。たまごさんが先ですが。コックさんより。そう突っ込んでみたかったが、まだオムレットの甘味を堪能していたいのと、ついさっき笑顔で黙らされたのを思い出し、沈黙を守っておいた。

 母様、父様。ヴィッテは少し大人になったような気がします。……すみません。気がするだけなのは、承知しております。


「そういう貴方様こそ、ちゃっかり着席なんてされてますけれど」

「大型犬が賑やかで、落ち着きませんので」


 おほほ、うふふと。私を挟んで繰り広げられる微笑合戦のせいで、思わず、ごくんとオムレットを飲み込んでしまった。

 美人と美形の笑顔は恐ろしい。

 出来れば。挟まれるのは、初老のスマートで落ち着いた執事さんと、癒しの空気を纏ったばあやさんの間がいい。美しいものは大好きだが。

 無口な執事さんが素敵すぎるのだ。物腰穏やかながら、パンを取り分ける際の気遣いは悶絶ものだし、今だってさり気なく果実酒を差し出してくださった。


「甘味のある果実酒ですが、ヴィッテ様は果実水の方がお口にあいますかな?」

「いえ、お酒は大好きです」

「でしたら、もう少し強いものをお持ちしましょう。その方が、きっと寝付きもよいでしょう。目覚めが早くなるのが難点でございますけれど」


 一見、無表情そうな執事さんが、お茶目にウィンクし席を立つ。遠慮するのも忘れ、ぼけらと見送ってしまった。あぁ、素敵な姿勢だ。ぴんとのびた背中に見入ってしまう。

 執事さん、結婚してください。一目惚れと胸を打ち抜かれたのが、理由です。本気でお願いしかけたのを、必死に耐える。


「ステラも漆黒の君も、おやめなさいよ。ヴィッテちゃんがびっくりしているじゃないの。それに、主様も衝立に穴を開けようとしないでくださいまし」


 漆黒の君ですって。確かに、私の横、澄ました調子で果物を食していらっしゃる男性は、黒い裾長の服に紺色の髪と、典型的な魔術師のイメージだ。しかも、物静かな空気も漆黒の名にふさわしい。が、若干恥ずかしいような。余計なお世話だろうけれど。


「俺だけ仲間はずれだぞ」

「鼻を摘んで声を変えてまで、会話に参加しないでくださいな。威厳もへったくれもない」


 この屋敷の主様は随分と愉快な方のようだ。

 溜め息をついたばあやさん。彼女が先ほど私の涙やら鼻水を拭いてくれたのは、可愛いひよこのアップリケつきのエプロンだった。ちょっと歪んだ縫い目で布自体はよれているのに、お勤めの場で身につけているというのは、つまり。とても大切なものだと推測できる。お年からいって、お孫さんからの贈物だろうか。

 つい、観察……というか、物を『読んでしまう』しまうのは、私の悪い癖だ。だから、品物の取引や交渉にむかなかったのに。いや、もう家業など関係ないのだ。負い目など感じなくてもいいはずなのに。姉の侮蔑ぶべつの視線と声色は、私を責め続ける。


――ヴィッテは夢見がちで商人に向いていないわよね。まったく、末の娘なんてお気楽なものね。父様も母様も男子を望んで、貴女をつくったというのに。母様を身ごもれない体にしておいて、なんという有様なの――


 姉の言い分もわかる。だって、私が生まれてこなければ、跡継ぎへの希望はあったわけで、姉も好きに生きられたのだから。

 私は両親の愛情に甘えて、自分の立場なんて考えたこともなかったのだ。利益よりも背景を好み、現実よりも物語に浮かれた。商談よりも書類整理を得意とした。

 姉からしたら、私は邪魔者や嫌悪の対象にしかなりえなかったのだと思う。家人が幼い私を可愛がるのも、理由のひとつだったのだろう。幼い私は、与えられる愛情にただただ、笑っていただけ。


「もし、聞いてもよろしければ、わたくしはヴィッテ様の事情を知りたいのですけれど」

「まぁ、あれよ。全く事情を知らない人間になら、ヴィッテちゃんもぶちまけやすいわよねぇ。おばさんなりに、ちょっとやそっとじゃ揺らがないから、唇を噛んでいないでぶっちゃけてみたら?」


 じっと。手にした果実酒に視線を落としていた私を、ステラさんが覗き込んできた。

 あからさまに表に出ていた感情に、頬が熱くなっていくのがわかった。

 果実酒をぐっと飲み干すと、戻ってきた執事さんが「ほどほどに」と微笑みながら、新たなお酒をついでくださった。つんと、アルコールが喉よりも鼻を刺激してきた。

 良いのかな。話しても、いいのかな。


「貴女が話したくないのであれば別ですが。私どもは、貴女の命を拾った責務があります。ゆえに、耳を傾ける程度の覚悟はあります。今更、屋敷の外に放り投げたりなどしません」


 淡々と告げられた声。けれど、頭を撫でてきた大きな掌に、目を覆ってしまう。

 責務って、言葉は硬い。なのに、涙がまた、溢れてとまらない。声って不思議だ。

 あの頃、私は書類だけを前に仕事をしていた。人に対面していない時間の方が多かった。けれど、父様も母様も、社交的に表に出ていた姉から投げられていた評価とは反対のものをくれていた。むしろ、どちらかに偏っていないのが貴女の良いところと、誉めてくれたっけ。

 どうしてなのか、いまだにわからない。

 考え出すと止まらない。愚痴ってはいけないのに。でも、もう。私の口は閉じてはくれない。


****


 私は、貿易を家業とする商家に生まれた。ちょうど文化の色が変わる辺りに位置していた国柄、それに移住してきた家柄とが相乗効果となり、業績をあげたらしい。

 曽祖父は自国を重んじながらも、新天地の文化を吸収する人物だったようだ。もちろん、じかにお会いしたことはないが、父様やおじ様からの話で垣間見てきた。茶目っ気の入った自伝を読むのも、大好きだった。

 他文化の商品が、毛色の異なる文化圏でうけるのはもちろんだ。けれど、それ以上に私が胸躍らせたのは、異文化そのものよりも、文化に初めて接した人々の感動と興奮という、感情だった。

 幼い私は愚かだったのだろう。自分が新鮮な世界に触れる感動を、至高だと倒錯していたのだ。

 幼子が祭りで、きらきらと光を纏う飴細工に見惚れるような。魔法のすごさを実感する、空にあがる色彩に心奪われるのに似た感覚。

 次女に生まれた私は、光り輝く世界に、陶酔するのを許されていた。ただ、それだけ。


「私には姉がいました。美人で社交的な姉は、長女という立場もあってか、商談にも積極的でした。書類整理だけが得意な私は、裏方専門でした。だから、私と同じ年の幼馴染と駆け落ちしたのが、意外で。姉なら、貴族の嫁どころか、王様の寵愛でさえ夢ではなかったのに」


 大げさではなく、事実です。姉は、父様に似て、本当に美しかった。豊穣の薔薇と称されるほどの、美貌の持ち主だった。こっそりと覗いていた舞踏会では、姉のミステリアスな微笑みに、貴族どころか王族までも魅了されていた記憶がある。

 であるのに。姉は、我が家を贔屓してくれていただけの貴族の息子と駆け落ちしたのだ。正直、意味不明。


「姉が駆け落ちした私の幼馴染は、地方では有力貴族でした。でも、正直、あの幼馴染と、という感想で……姉が本気で好いていたならば、正規の手続きを踏んで婚約すればよかったのにと、思わずにはいられない状況でした」


 うんうんと首を傾げているのは、当事者の私一人だ。

 ステラさんや漆黒の君をはじめとした人々は、一様に「なんとまぁ、わかりやすい」とのたまったのだ。とはいえ、気にせずにと果実酒を注がれ。私はグラスに口をつけながらも、先を続けるしかなかった。


「父様が病に倒れ、あっという間に亡くなりました。元々持病のあった母様はショックで倒れ、私は表立って動いてくれていた姉と遺産相続やら家業の整理やらに追われて。そんな中、書類整理が苦手だと口にしていた姉が、私を頼ってくれたのが嬉しくて。私は姉にリストや全ての書類について詳細を説明しました。初めて……姉が私の言うことに真剣に耳を傾けてくれたのが、嬉しくてしかたがなかったんですね。きっと」


 けれど、悲劇は起こった。

 姉は私の声を聞いてなどいなかったのだ。私が把握していた財産に興味があっただけ。私の言葉など、文字の羅列にしか聞こえていなかったに違いない。


「それからすぐ。姉が宝石や権利書、一切合財を持って、幼馴染と駆け落ちしてしまったのです。そんな暴挙に出なくとも、長女である姉が家業を切り盛りしていくのに、だれも反対などしなかったでしょうに」

「わたくしは、割と、ヴィッテ様のお姉さまの魂胆が見えましたけれど……」

「えぇ?! でしたら、申し訳ありません。私の先入観が混じっているのかと」


 人差し指でふっくらとした唇を押さえたステラさんが、可憐に眉を垂らした。まさに苦虫を潰した顔で首を傾げている。

 姉の見事な戦歴を間近で見ていた妹の私でさえ、掴めていない心情。ステラさんが、私の言葉だけで把握したのであれば、それは間違いなく、私の声の抑揚や恨み言のせいだろう。


「貴女が気に病む必要はありません。他人事であっても、人が主観なしで語るのは困難なのです。ましてや、貴女――ヴィッテの境遇を考えれば、無理もないこと」

「あら、漆黒の君。フォローになっているような、なっていないような、という感じだわ」


 ばあやさんのからっとした笑いにも、動じない漆黒の君。

 黒といえば、ハンバーグだ。肉汁じゅわっと溢れる芸術品を思い出す。


「それで、ヴィッテ様がフィオーレにいらっしゃったのは……」


 垂れる涎を拭っていた私に、遠慮がちに尋ねてきたのはステラさんだった。漆黒の君は衝立から覗きかけた袖に、ナイフのごとく鋭い視線を投げている。

 屋敷の主が姿を頑なに隠す理由には、いくつか心当たりがある。私は正式な客人ではなく、あくまでも拾われた子なのだ。素性もわからない。つまりは、どこの馬の骨とも知れないわけで、もしかしたら同情を誘って主をたらしこむのではと警戒されて当然だ。……私に色気などはないので、誘惑関係は可能性が低いけどね。うん。


「まだ、長ったらしい袖がはみ出ていますよ」


 ぴゅっと音を立てて引っ込んだ屋敷の主に、失礼だと承知しながらも、小さな笑いが零れた。

 声や手の様子から、あまり年齢は高くないとは思うのだが。一体、おいくつなのかと不思議に思う可愛さがある。


「姉と幼馴染が駆け落ちした事態に、幼馴染のご両親が大層腹を立てまして。まぁ、当然でしょうね。世間のかっこうのネタです。貴族の馬鹿息子が男関係の華やかないち商人の娘の色香に惑わされ、思慮の足りない行動をとったなどと蔑まれたのです」

「なんだい。全くのあげ足とりじゃないか。迷惑こうむったのはヴィッテちゃんの方だろうに。ご両親まで亡くして」


 ばあやさんは、まるで自分のことのように顔を赤くし机を叩いた。

 心の中では嬉しくなりつつ、素直じゃない私は困ったように肩をすくめてしまった。


「だから、余計に癇に障ったのでしょう。あちらから見たら、贔屓にしてやっていただけの家に、裏切られたのですから。母が体調を崩し、なんというか、色々ありまして。父の右腕だった方も、とにかく皆さんへの報復があって、結局立て直せないまでになってしまい」


 母の病の件もあったが、世間知らずだった私は、とにかく姉の行動と財産を持っていかれたのに、ただただショックを受け、打ちひしがれていた。周囲の方が懸命になってくださったのを知ったのは、手の施しようがない段階になってからだった。

 だから、私が路頭に迷った原因は、私自身にも責任がある。あの時、背負った後悔を振り払いたくて、心機一転海を渡ったというのに、何も変われていない。


「幸い、父が私へと、母にだけたくしてくれていた宝石がありましたので。信頼のおける宝石商の方に金銭に換えていただき、路銀にしたんです。故郷では、もう、働き口がありませんし。あとは、ご存知の通り、はらぺこで行き倒れていた次第です」

「己の息子の思慮の浅さを棚にあげて、十八の少女になんという仕打ちを。腹ペコで行き倒れにするなど」

「わたくしも、同感です」


 いえ、はらぺこで行き倒れていたあたりは、完全に私個人の判断ミスなんですけどね。美形の口からはらぺこって、すごく違和感がある。

 漆黒の君は涼やかな目元や鋭い視線とは異なり、かなりの人情家さんらしい。


「でも、こうして皆さんに出会えた私は、間違いなく、幸福です」


 今の私には、笑顔で怒っているステラさんや吐き捨てるように言った漆黒の君、おいおいと泣いているばあやさん、無言で口ひげをせわしなくひっぱっている執事さん、それにがしがしと衝立を揺らしている屋敷の主さんのお気持ちだけで、胸がいっぱいだった。

 笑みで告げるにはあまりに恥ずかしい言葉だから、ぽつりと零したのに。小さいはずの声は、やけに響いてしまった気がした。



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