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美味しい食事と素敵な食卓、満腹な私

「いかがでしょうか」


 ステラさんが、鏡越しに微笑みかけてきた。

 大きな鏡台はうるしと不思議な色を纏う飾りで出来ている。おそらくだが、飾りは貝だろう。私の故郷よりはるか東の国から仕入れた品と酷似しているから。何度目にしても飽きない、美しい色を宿す装飾だ。こんなところにも、商家――貿易商の娘が顔を出す。書類整理専門だったくせにと、内心、溜め息が落ちた。


「ありがとうございます。私、こんなにすばやく、しかも綺麗に整えて頂いたの、初めてです」


 先ほどまで無造作に流されていた藍色の髪は、ステラさんによってハーフアップに整えられた。髪飾りも木苺を模した、小ぶりながらも可愛らしいガラス細工だ。この屋敷の主は、本当に趣味が良い。商売的な立ち位置で上から目線になってすみません。

 それはさておき。私の髪は前向きに表現すれば癖がないのだが、逆に整髪剤をたっぷり使わないとセット出来ない。お手伝いのマリーさんに、毎度愚痴られたものだ。

 なのに。ステラさんは、とろみのあるクリームをわずかに掌に馴染ませただけで、見事に結い上げてくれた。


「ヴィッテ様の髪は、静かに月を抱くような、滑らかで純粋な闇色の髪ですものね。けれど、その分、とても素直で、わたくしの手には馴染みましたの。自分でも驚くほど」

「ステラさんは、詩人ですね。魔法のように、印象を変えてくださる」


 正直なところ。凡人な私には、ステラさんの表現はちょっと理解出来なかった。自分の髪に対してだから、余計になのだろう。まぁ、理解不可能というよりも、現実からずれすぎているという意味合いでの否定だ。

 うふふと頭に頬を近づけてきたステラさん。途端、称賛とも嫌味ともとれる言葉を返してしまった事実に、自己嫌悪が湧いてきた。

 私は、自分のこういうところが大嫌いだ。捻くれて、可愛くなくて――むしろ、柔らかい声色をくれる人を傷つけてしまう。

 内心でだけ反省すればいいものを。無意識のうちにぎゅっと唇を噛み締めてしまった。


「あら、嬉しいですわ。己の感性を誉められるなんて、滅多にないですし。言葉の魔法というものですね」


 はっと振り返った私に、怪訝な表情を浮かべるのでもなく。ステラさんは


「照れてしまいますわ。ヴィッテ様の感性にお礼を返すべきですのに」


と愛らしく頭を傾けた。

 数秒、私は馬鹿みたいに口を開いて、ステラさんを見上げていた。

 が、じんわりと広がっていく言葉に、顔がゆっくりと俯いていった。奇妙な行動をとった私の顔を覗きこんで心配してくれるステラさんに、ぎこちなくしか笑い返せない。


「私の方が、いっぱい、ありがとうございます」


 たぶん、相当な顔芸レベルで引きつっていたのだろう。証明するように、ステラさんは、数度瞬きを繰り返した。

 たっぷり一分程は間があっただろうか。徐々に不安を抱き始めた私の髪を、ステラさんの指が滑った。言葉なく、瞳で答えてくれたステラさん。私は、それだけで幸せになれた。


「さっ。そろそろ食卓の準備も調っている頃合でしょう。参りましょう?」

「あっ、はい。洋服から髪のセットまで、申し訳――」


 謝罪を口に仕掛けた私の唇に、白く滑らかな指が押し付けられた。おぉ?! そんな、艶っぽく微笑まないで!

 ステラさんの意図を必死で考える。ここで私が侘びをいれるのは当然だろう。半ば死んだのではと考えていたことから気にしていなかったが、私の体は数日間山中をうろついた挙げ句、雨に打たれたとは思えないくらい、さっぱりしている。胸辺りまである髪もだ。

 ということはつまり、それほどまでに丹念に清めてくれたのだろう。ステラさん本人かは別にしても。

 おまけに、私が今纏っているのは至極肌触りの良いドレスだ。普段着仕様とはいえ、紺色を基調とした膝丈ドレスは、充分に高級品だとわかる。これに恐縮せずにいられるだろうか。

 うんうんと唸る私を前に、ステラさんは眉を垂らして笑った。

 あぁ、そうか。


「ありがとうございます」

「はい。けれど、ヴィッテ様の胃袋としては、この時間はたいそう不満だったでしょうね」


 満足そうに笑ったステラさんは、とても綺麗だ。ほぅと見とれた私を余所に。ロングスカートのメイド服を翻したステラさんが、ドアを開けた。



******



 目の前には、女神の園が広がっている。まさに花畑。漂ってくる香りは腹の虫を鳴かす。

 ほんのり甘さを含んだ湯気を立ち昇らせているポタージュ。かりっと焦げ目のついた鶏肉。ふつふつと泡を膨らませているチーズ。みずみずしさを隠しもしない、トメトにキューリ。焼きたてですよーと触れまわりたいほどの、丸いパン。


「おいしそう」


 世界の全てが輝いて見えた。口の中が一気に湿っていくのがわかる。


「念のため療養食もご用意しましたけれど……本当に食欲がありそうですわ」

 

 うっとりと食卓を眺める私を、ステラさんはうふふと笑った。

 正直、今の私は待てを限界まで守っているわんこである。円卓に並べられた数々のメニューに、よだれが溢れる一方だ。


「では。みな揃ったな。女神の祝福に感謝を」

「はい、我が主。今日の糧、恵みを感謝します」


 衝立の向こう、屋敷の主様と思わしき人からかけられた、柔らかい声。低すぎず、高すぎず。耳にだけではなく、心にすっと染み渡るような……どちらかというと、男性は低めの渋い声色が好きなのだけれど、好みとか全部吹っ飛ばして好きだなって思えるのだ。

 それを受けた初老間近の執事さんが、掌を合わせた。

 さほど大きくない部屋の中央に、長机が置かれている。小さな暖炉の中、薪が爆ぜる心地よい音が鳴っている。

 ここにいるのは、ステラさん、ばあやと呼ばれる恰幅のよい茶色い髪と瞳のおばあちゃん、それに当の執事さんだ。執事さんは白髪のオールバックであるが、しゅっとした体格と口髭は、胸をときめかす。緋色の瞳が、これまた素敵だ。


「この日、この時。賢人との出会いに、感謝申し上げます」


 首を傾げつつ両の手を握り、恵みに感謝する。口の中で呟いた感謝の祝詞は、やけにうそ臭く聞こえた。

 私の呟きはともかく。食卓に感謝を捧げるのは万国共通だ。私も皆さんに倣いつつ、心の中ではシンプルに「いただきます」と食物、それに料理人、なにより生産者に感謝の気持ちを告げた。昨今、この感謝の意味を理解しない若者が増えているというが。そんな輩は、自分で生活の品全てを揃えてみろと頭を殴りたくなる。うん、「いただきます」の方があったかい気持ちになる。

 食べられる現実に感謝を捧げ、スープにスプーンを潜らせる。もったりと窪みに盛られたスープを口に運べば。あまりの美味しさに、ぽろりと雫が落ちた。


「ステラ、そっちのパンをおくれ」

「ばあやさん、これはお客様であるヴィッテ様に差し上げませんこと?」

「いや。ヴィッテ様はお若いのだから、もっと洒落たパンを」


 目の前の交わされる会話に、私の涙腺は閉まることを知らない。折角の甘いスープに、塩味が混ざっていく。スプーンを握りしめる指がかたかたと震えて、行儀悪く皿を鳴らした。それが恥ずかしくて、どうにか手を離すが。流れていく涙と鼻水は止められそうになかった。

 だれかと食事をとる。しかも、大衆食堂などではなく、自分を認識してくれている人と。今の私に、これほどまで、幸せな行為はない。


「あらあら。可愛いお顔が台無しですよ?」

「ごめ……なさ……い」


 ばあやと呼ばれた妙齢の女性が、エプロンで目元を拭ってくれた。それが余計に、私の中の人恋しさを刺激する。姉に馬鹿にされ、置いていかれる度、庭師ゼファさんの奥さんが呆れながら拭ってくれたのと、同じだ。痛いけど、痛くない。

 小さな少女の頃と、私はなにひとつ変われていない。

 触れてくれるあたたかさに、申し訳なさと嬉しさが混ざり合い、涙が溢れた。


「うちのコックの料理は、泣けるほど美味しいだろう」

「貴方がうろたえないでください」


 声色から、衝立の奥で男性が胸を張っている様子が、ありありと想像できた。その隣で、お供の方が溜め息混じりに諌めているのも。

 あぁ。どうして。

 私はこんなにもあたたかい人たちに拾われてしまったのか。熱いものが止まらない。苦しい。吐きそう。だるい。

 ここ数年、姉は外で済ませてくる機会が多かったけど。私は父様や母様、それに屋敷で働いてくれている皆とわいわい食べる食事が好きだった。家人皆、同じ部屋で食事をするのが代々の風習だった。

 もしここで貴女を騙してましたよと売り飛ばされても、もう良いかもしれない。いや、しんどいのは、いやだけど。


「はい、とてもとても。魔法がかかったみたいに、美味しいです。すごく……あったかい」


 皿にとってもらったパンを口に含むと、やはり、涙が出た。

 父様が亡くなり、母様が病に倒れ。屋敷で働いてくれる皆に給金が払えなくなる前にと、私は雇っていた人全てを解雇した。変な噂が立つ前にと、急いで書いた紹介状とわずかな給金。

 すでに、姉と駆け落ちした馬鹿幼馴染の父親きぞくの圧力がほろほろ垣間見えていたので、急がざるを得なかったのだ。せめて、アクイラエ家を知ってくださる方の恩寵があるうちにと、みなの誠意を無視した行動は、子ども染みていたのかもしれない。今も、正解などわからない。

 けど、それでも、残りたいと……母の世話を見たいと申し出てくれた者もいたが、必要ないと断ったのは私自身だ。本当は、傍にいて欲しかったけれど。でも、気持ちを拒んだ。


「ずっと、一人だったのかい?」

「ちがっ。一人じゃ、なかった。母様が、いました。気遣って、くださる、方々も。でも……おろかな私は、優しさを拒んだんです。自分の想いしか、見てなかったから。自分しか、信じられてなかったから!」


 父が亡くなって、姉が幼馴染と駆け落ちして。しかも、家財を奪って逃げた。

 愚かな私は、何を信じれば良いのかわからなかった。きっと、周囲を信じていれば変わっていたのかもしれないのに。掌を返したように追い詰めてくる人々を恐怖に感じる方が勝ってしまったのだ。そのあまり、自分を思ってくれる人を信用できなかった。

 大切な人を、守れなかった。


「物を口にする作業は、いつも一人で。母様が食べられないのに、目の前で、私がおいしそうに食べるのは、罪な気がして。母様が、あったかいもの召されないのに、私が、口にすること自体、違う気がして」


 生前、母は食べるのが好きだった。異国の物はもちろん、自国の食文化を愛していた。美味しいモノを食べた時、人は笑顔になるのよと教えてくれたのも母様だった。実際、我が家の食卓には、いつも笑顔が溢れていた。

 だからこそ。病に倒れ、自分を責め、食事を拒否した母様をさしおいて食事を取れるはずがなく。次第に、私も冷たい、保存食だけを少量とるだけになっていった。


「ごめん、なさい。こんなにも、おいしい、しょくじ、台無しに」

「ここに、貴女を責める者など一人もおりません。何も、笑いあうだけが、食卓でもないでしょう」


 ひざ掛けに顔を埋め、ただ子どものように嘆く私。命を助けてもらっただけでもありがたいのに、こんな思いを吐露してどうする。関係ないのに。私、一人が背負うべき、懺悔なのに。

 ぎゅっと固めた肩に触れたのは、大きな掌でした。

 ぐちゃぐちゃな顔をあげた先にいたのは、私によく似た、というのも失礼なくらい、綺麗な紺色の髪に夕焼け色の瞳をもつ男性だった。ステラさんと同じく、顔の造形はお人形さんみたいに整っていて、頬に流れる紺色の髪は夜の安堵を灯していた。

 思わず涙も止めてしまうほどに、美しい。


「御使い、さま?」

「ヴィッテ様、いい加減、女神の園から離れてはどうかしらと思うのですけれど」


 ぼけらとのたまった私の横、ステラさんが頬を摩りながらおっしゃった。

 いえ、無理ですよ。だって、私の頭を撫でているのは超美形な魔術師様ですよ。いえね、魔術師様かは存じ上げませんけど。纏われているマントやらお洋服からの予想だ。

 顔を覆っていた両手をあげ、ぱちくりと瞬きを繰り返してしまう。ステラさんが、鼻水を拭いてくださいました。


「と、衝立の向こうに居られる方が嘆いておりますよ」

「あの、ですね! このあたたかい食事の場をくださったのを感謝こそすれ、過去を悲観する材料などにしているわけではなく!」

「うむ。わかっている」


 衝立の奥から聞こえたのは……あれだ。鼻を摘んだ時の声。私より酷い鼻声なのでは。思わずといった調子で返って来た言葉に、闇色の男性は


「黙っていてくださいと申し上げたはずですが」


と目を細めた。美形は睨む姿もさまになる。



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