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司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私  作者: 笠岡もこ
【第Ⅰ部】―行き倒れ編―
2/99

死神さんとお供の方、行き倒れな私

 あぁ、走馬灯が見える。駆け抜けていく記憶の映像たち。たかだか人生18年とはいえ、色々あったんです、これでも。

 って! ちょちょ! そんなことあったけ! という場面も容赦なく過ぎていくよ。どんだけの早さなのと、自分の記憶に突っ込みたい。何周か巡ってくれるなら構えて見送ることもできるけれど。

 とはいえ。駆け足な部分は決まった時期とこなので、大人しくしておく。私に自虐趣味はない。あ、いや。趣味はなくとも、そんな性格ではあるかもしれないけれど、いっ今はおいておこう。

 よくよく考えなくとも、私、ヴィッテ・アルファ・アクイラエ、年のころ18歳は、死の間際にたたされている。それも、一人きりで。

 

「こんな、鬱屈した気分になる、山の中で」


 絞り出した声は、冷たい空間にむなしく消えた。私の声以外にぐぎゅぎゅると響くのは、他ならぬ私の腹の虫である。

 空腹で体が動かない。昔から体力だけはあるし、何があってもすぐに回復するから、ちょっとやそっとの状況では死にそうにないと言われ続けてきたのに――。


「私、死ぬのかな」


 いけない。ついに幻まで見えてきた。私の幼馴染の貴族と駆け落ちし、商家を没した姉の艶めいた微笑みが私を見下してくる。

 お父様お母様。勇ましくお二人の墓前から旅立ったヴィッテを笑ってください。


「せめて……チョコレットなるものを、かじりたかった」


 人生の無念とはなんぞや。人それぞれ。ヴィッテ18歳は、恨みでもなく恋でもない。この腹を締め付ける空腹だ。


「幸せになろうって、故郷を出てきたのに」


 それなりに裕福だった実家の家業が潰れてしまった。そのうえ、身内を全員失った私は、これを転機にと故郷をたった。その移住先を、昔から憧れていた花の都フィオーレという大国に決めた。あまり生活に縁がなかった魔法が盛んなのにも、心が躍っていた。

 その花の都を前に山賊に馬車を奪われ、護衛や乗客かまわず襲われた。旅行者の集まりである貧相な馬車を襲うなと問い詰めたいが、それだけこの国の警備は厳しいという証なのだろう。他国から来たばかりの私にとっては、迷惑この上ない現状だが。死ぬ間際の愚痴ぐらいは許して欲しい。

 というか、なにが虚しいかって。私は山賊に襲われ息絶えているのではない。運よく山賊からは逃れたものの、数日間山中をさまよい歩き飢え死にするのだ。


「昔からの夢は、歴史書みたく、わが人生にいっぺんのくいなし! って高笑い、したかった、のに」


 荷物を脇に投げ、冷たい土の香りを吸い込む。この土でさえ、食べられるんじゃないかと思う。けれど、いまや、眼下の土をつかむ気力さえない。

 耳をつけた大地から、かかっかと踏みしめる音が聞こえてくる。あぁ、本当に私は運が悪い。死を間際にして、山賊どもの玩具にされるのか。これだけ弱っていれば、魔獣の餌だろうか。

 いや、これは馬だろう。ひづめが地面を鳴らすのがやみ、代わりにどっと地面を揺るがした音。男性でしょうね。私も女ながらに馬に乗り、田舎をかけまわっていたので、なんとなくわかる。かちゃりと響いたのは金属音。


「おい、お前。死んでいるのか」


 上から落ちてきたのは、男性の声だった。

 生存確認なのに、生きてるではなく死んでいると問うとは。救う気皆無だろと突っ込みたくなる。間違っているだろう。まずは生きているのを前提に質問しろよ。商家に生きてきたせいか、質問やら問いかけには敏感だ。裏方専門だったくせに。

 人の声が聞こえた瞬間。私の脳裏に浮かんできたのは、鮮やかな光景。チョコレット、オムレット、ステェキ、チーズ蒸し、ひよこ豆のスープ、鳥のフライ、極上のヴィヌム。ほこほこと湯気をあげる、愛しいメニューたち!


「死……たい」

「そうか。お前も、死にたいのか」


 ちょっと、ちょっと、待ってください!! だれが死にたいとのたまいましたか!!


「死ぬ……たべ……たい、きれ……」

「お待ちなさい。――、耳を寄せて」


 助かります! 見知らぬ、どなたか!


「――、なんだ。この少女は、きっとあの山賊どもに襲われたのだぞ」

 

 死にたいなんて言ってない。お前もってなんですか、お前もって。あんたの知り合いなんぞ存じ上げません。私は満腹で女神に召されたい。


「満腹で……姉に……化けて出て……幸せだったって……化けてから、召されるんだ……」


 あ、だめだ。水分など一滴も感じないほど枯れ切った喉に鞭を打ったのに。山中に響く腹の虫に打ち消されました。はい。


「この者、死を間際にして腹が鳴っているな」

「えぇ、それも地響きほどに」


 当たり前でしょ!! しつこいようだが、森に迷い込んでから数日間水しか口にしていない。

 目の前に現れた見知らぬ人に安堵したのか。私の脳内では、恨み言しか出てこない。

 そんな恨み言さえ、何ヶ月ぶりか。ここ数ヶ月、いや一年はひたすら自分が悪いのだとせめてきた。この優しい響きが私の心に眠っていた闇を刺激してくるんだ。ひどい。良い子で死ねれば、女神の園にまねかれたでしょうに。責任取ってくださいよ。


「チョコレット、オムレット、ステェキ、チーズ蒸し、ひよこ豆のスープ、鳥のフライ、極上のヴィヌム」


 動けなくなる間際。カバンから取りだした、食べたいものリストを、渾身の力で握りしめる。というか、奪わないで! 声の主が、私の掌からそっと抜いていくのがわかった。

 しかも、あれです。固まってますよ。死にそうな女が、食べたいものリストなるものを宝物のように握り締めていたら、そうなるか。

 放って置いてください。

 嘘です、助けてください。心機一転なんて意気込んだ裏で、実は死を覚悟してこの国に来た。それなのに、私まだ死にたくないって思っている。

 気がついて、涙が止まらない。けれど、流れるのは心の中でだけ。


「おい、この少女、今、食べ物を羅列していたか」

「少なくとも、私にはメニューに聞こえました」


 あっ。すっごい呆れた声だったよね。ついでに肯定した声は物凄く単調だったけど。

 呆れた声の主が私を指差している光景がありありと浮かぶ。

 沈黙の数秒後、爆笑が森を揺らした。ちょっ! そんな激しく笑ったら、山賊に気付かれるじゃありませんか! やめて! やめろ!


「死に際に!! 食べ物!! いや、戦場での飢えは、俺にも、理解出来るが!! まさか!!」

「アストラ……笑う気力が湧いたのは喜ばしいことですが。煩いです」


 煩いっていうか、私を助けるのが先でしょう。むしろ厄介ごとを背負ったなら、あなた方に同情します。

 そう、私は愛した人たちに見放され、救えず、生まれなければ良かった人間なんだ。でも――。


「さいご、人、笑ってくれたなら、よかった」

「なんだ? 遺言か?」


 ぽつりぽつりと頬をぬらす雨。次第に激しくなっていく雨音と逆に、静かになっていく鼓動。

 それでも。私の頬は緩み、安堵の息が漏れた。あぁ、よかった。この間際に現れてくれたのは、死神じゃなくって女神の使いだった。いや、醜い私の魂をひいてくれるのだから、やはり死神なのだろうか。どちらでもいい。だって――。


「ありがとう」

「は?」

「ありがとう。最期に笑ってくれて。あなたを笑わせて……死ねるなら……幸せ。笑い声を……聞かせてくれて……ありがと」


 優しい死神が、息を呑んだのがわかった。自分が狩っていく魂を前に、心を揺らしたのだろうか。でも、あなたが傷つく必要なんてないんだよ? だって、私が死ぬのは死神のせいじゃない。あなたの望みじゃない。私自身の、せいなんだから。

 でも。我がままを言わせてもらえるなら、美味しいものをたくさん食べたかった。太るなんて愚痴りながら、友達と甘いクリームなどを堪能して! 恋話などしながら!

 恋に想いを膨らませながらも、同時に。自分が死んで悲しむ人などいなくて良かったとも、胸を撫で下ろす。私が死んだところで、世の中のだれも涙することない。それだけが、私の死の救いだ。

 儚い夢でした。次生まれるなら、ぜひとも、もふっもふな動物かマッチョで屈強な騎士がいいな。マッチョいいよね、マッチョ。割れた腹筋を見せびらかして、可憐な嫁をゲットだぜ。


「いつも……楽しそうに……笑ってた、母様は……父様は……死ぬ間際……ただ……微笑んでた、だけだから。おもしろみのない……私は……声をあげて、笑わせて……あげられなかった、から。死神さん、ありがと。こんな……どうしようもない……価値のない、私でも……最期に、笑ってもらえたなら……笑ってくれて、ありがと」


 死神さんの笑い声は、全然嫌じゃない。爆笑という部類なのに、傷つかない。物凄く楽しそうで、声を聞いている私まで嬉しくなるような笑い声。一緒にね、喉を痛めるまで笑い続けたくなるような、あったかい声調。

 姉が私を笑う時、いつも私は唇を噛んでいた。商家の実家の手伝いをしていたのは裏方。表に立っていたのは、見目麗しく社交性のある姉。私は、そんな姉が自慢だった。嘲笑されても、尊敬していた。けれど、姉は私が大嫌いだった。

 両親は気にするなと慰めてくれていた。だから、私は自分に出来る事務能力で実家を支えようと思っていた。


「でも……私、まだ……死にたくない!」


 握り締めた爪に潜り込んできた砂利。冷たくて、痛くて、無機質で。でも、まだ私がここにあると教えてくれる。

 かしゃんと、金属が打ち合う音が掠れて聞こえた。これは、女神さまが鳴らす鐘なのだろうと思った。諦めきれないくせに、どこか安心もしていて。

 全身を包んだ温もりに、私は、やっと終われるのだと涙した。生きなければならない人を差し置いて、命の火を灯している自分が、苦しかった。





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