職業斡旋所の所長さんと急募にまつわる事情、意気込む私
結構な時間、街を歩いていたらしい。何個目かの噴水広場に踏み込んだのと同時、鐘の音が響き渡った。広場の時計から、夕刻前に鐘が鳴るのだと知った。いくつかの音色が重なっている。音の発信源はどこかな。
見上げただけで、すぐに発見出来た。王宮の近くに、大きな鐘と時計台があった。王宮や師団の魔法陣よりは下にあるが、充分に目立っている。
「大きな音だけど、煩くなくて。澄んで聞こえる。って、わぁ!」
不思議なことに、鐘が踊るのにあわせて、街中に花びらが舞ったのだ。すごい、すごい! 本物の花ではなく、魔法なのだと思う。光って見えたのは、太陽のせいだと思っていたけれど、地面に落ちる前に、ふっと姿を消していくから。
見慣れているだろう住人たちも、空を見上げて祝福を楽しんでいる。
「本当に、花の都なんだなぁ。私の国とは、全然違う」
一人、感慨深く呟いてしまった。晴天もそよ風も、心地よい。
地図を片手に見渡す街並みが楽しすぎて。どこの店に入るのでもないのに、胸が弾んでいる。たまに露店を覗いては、買い食いしてしまったけれど。だって。クレープなる、生クリームとフルーツを薄い皮でくるりと巻いたお菓子。それに、シンプルに塩で焼いたお肉を香草で包んだ目新しい誘惑には、勝てなかった。
「浸っている場合じゃなかった。夕刻前の鐘が鳴っちゃったんだから、急がないと」
ひとまず、自分の生活圏内は見てまわっただろう。まだ物足りないけど。
そろそろ、職業斡旋所に、登録と仕事探しに行かなければ。
「スウィンさんは、確かこの辺りだっておっしゃってたと思うんだけど……」
スウィンさんが地図に書き込んでくれた、丁寧な道案内のおかげで目的の建物はすぐに見つかった。広間を抜けて、やや歩いた所に、本とペンをモチーフにした看板がある。
ガラス張りのそこは、中の様子が把握出来るようになっている。強引な紹介――あれやそれやの方面の――が行われないように、との女性配慮の構造なんだって。スウィンさん知識より。
聞くところによると、王都では今、女性の職業への斡旋に力を入れていれ始めたところらしい。
「失礼、します」
扉を開けると、からんと鈴が鳴った。正面の掲示板には、求人票らしき紙が掲示されている。急募とか短期とか、大きな字で書かれているので、おそらくそうだろう。
見上げると、割と細かい求人情報が書かれているものから、簡素に仕事内容と詳細は顔合わせ時にと、様々だ。
「はじめての――登録希望者ですね。移住の方でしたら、滞在権の申請はお済ですか?」
「あっ、はい。身元保証人の方が、昨日、申請してくださっているはずです。あの、諸事情から、家名がわからないのですけれど……」
しまった。怪しさ満載である。しょっぱなから、やってしまったよ!
カウンターの奥にいる、中肉中背の柔和そうな男性の眉間に皺が寄ったのが、はっきりとわかった。
「身元保証人の氏名が、不明と?」
「えっと。あの、全くわからないとかではなくて」
なんと間抜けなことに、私、手続に関して詳しく尋ねていなかった! フィオーレでは、身元保証人の有無で就ける職種が異なる。という背景から、アストラ様が後見人になってくださったのだけれど。家名を聞いていないのだから、書類に記載も出来ない。
いきなりのピンチだ。これ以上、不審人物にはなりたくなかったので、心の中でだけ頭を抱えてのた打ち回る。
「お嬢さん、こっちに来て。本来なら、女性には同性のスタッフが対応するのですけど。今、出払ってるんです」
「所長、何かお手伝いしましょうか」
若干、疑わしげな視線ではあるが。手招きに加え、書類をくださった。奥からひょいっと顔を覗かせたのは、細身の男性だ。かちっとネクタイを締めて上着を羽織っている。所長が客対応するのか。ちょっと意外だ。
でも、確かに人当たりは良さそう。なんというか、安心して話しかけられる雰囲気の方だ。
「あぁ、アルブ。お願いします。お嬢さん、調べてみます。ひとまず斡旋所の登録書類に記入を。全部が不明でないということは、ファーストネームはお分かりですか?」
何とか、頷きだけは返した。挙動不審ですいませんです。
カウンター前の回転椅子に腰をかける。私は小柄な身長ではないけど、足がつかなくて、よけい落ち着かない態度になっている自覚はあります。はい。
一瞬。名前すら出して良いのかと迷いが生じた。でも、教えて貰えたのだし、大丈夫だよね。そもそも、後見人が必要だとおっしゃったのは、アストラ様ご本人だし。
「アストラ様、とおっしゃる方です。おそらく、ステラさんとおっしゃる女性が、役所に――」
「あぁ。なるほど。先日、ステラさんがお持ちになった書類の方ですね。斡旋所と役所とは魔法通信でデータのやり取りを行っていますので、手続にさして時間はかかりません」
「了解です。すぐに書類をお持ちします」
私が最後まで言い切る前に。納得したと大きく頷いたお二人。
えぇ?! もっもしかしなくても、アストラ様ってかなりの有名人なんだろうか! ステラさんも?!
無意味に上半身を右往左往させる私を、所長さんがくすりと笑った。私といえば、上品な笑みに、さらなる動揺させられるばかり。所長さんに書類の記入を再度催促され、ペンを握ることしか出来なかった。
幸いなことに、私以外の登録者がいなかったので。私の混乱しながら、書類にペンを走らせるという、奇妙な姿を晒すことはなかったのだけれど。
****
「終わりました。お願いします」
「はい。拝見いたします」
書類の内容は、いたってシンプルなものだった。現住所と滞在権の有無、希望の職種。それに、今までの就業内容。可能ならば、職能というか出来ること。身元保証人の欄は、所長さんが記入してくださるそうだ。
形式としてなんだろうなってのは、両親の身分や職種があった。
貴族のご令嬢が花嫁修業と称して、より高位、というか王宮に侍女としてあがるのは珍しくないと、幼馴染のステフに聞いた覚えがある。けれど、ご令嬢方は貴族間の紹介が必要だから、ここは利用されないだろう。身分的な意味ではないと思うし。私は知らない世界だから、しがらみなんかはよくわからないけど。
「ヴィッテさんは家業の貿易商を手伝われていらっしゃったんですね。ふむ。主に事務的な書類の整理とありますし、滞在権の申請書には、当国の言語に関する不自由はないと記載がありますが、いかがですか?」
「はい。家業では契約書や商品の搬入や関係者の方々やお客様へのお礼状など、主に裏方を担当していました。フィオーレの公用語は世界各国で使用されていますので、仕事面の方が不自由はないかと思います」
これは、両親が残してくれた財産だと思っている。母様は死の間際、私に何も残してあげられなかったって嘆いていたけれど。そんなこと、全くない。
母様と父様がおしみなく注いでくださった愛情はもちろんのこと。家業の裏方を手伝いたいと申し出た娘を、嫁ぎ遅れるなんて諌めなかった両親。むしろ、姉様や私が夢中になれることならば応援すると、笑ってくれた。
「ふむ。急に目つきが変わりましたね」
自分に自身がないことの方が多かった私。両親は、私が自信を持てる機会を設けられるならと、まずは経営に影響のない範囲を任せてくれていたのを知っている。だから、殊更、期待に応えたいと思った。頑張ろうと誓った。
ひたすら、がむしゃらに頑張ったあの頃を思い出せばいい。
自分の能力を活かしたいと願う一方、可能ならば自分改革のために、接客に限らず、色んなことに挑戦したいと思う。事務でも接客でも、機会があるなら、なんでも!
「おまたせしました。所長、確認が取れました」
「あぁ、ありがとな」
「ありがとうございます。曖昧でお手数をお掛けしてしまい、申し訳ございませんでした」
お手数をおかけしました。そんな意図を込めて礼を口にしたのだけれど。
なぜか、ぽかんと口を開けられてしまった。なして。首を傾げてしまう。
返って来たのは、こそばゆい笑いだったんだけどね!
「失礼。いや、まぁ、アストラ様らしいというか」
「私ではなく、アストラ様ですか? アストラ様は、確かに、不思議な抱擁感のある方ですけど」
よくわからない。
押し殺して笑うなら、いっそのこと大爆笑して貰った方がすっきりするだけど。目の前の紳士二人は、腹や口元をおさえて、上半身を屈めている。
ともかく! 奇妙な恥ずかしさに襲われた私は、早々に仕事と紹介して欲しくなった。一刻も早く、後見人であるアストラ様の話題からは逃げたい。
「でしょうね」
「所長、ちょうど良い依頼があります。礼儀面でも問題なさそうですし、いかがでしょう」
所長さんが受け取った書類が、長机に置かれる。数枚ある用紙のうち、なぜだか、魔術騎士団と赤々記載された書類に目が留まった。なぜってこともないか。そこには、『急募』の文字が綴られていたからに違いない。
視界に入れない方がいいのかなと考えつつ、やはり横目で読んでしまう。
「ヴィッテさんは、どの案件がよろしいですか?」
思いがけず声をかけられて、うっと息が詰まった。
まさか、こんなにもすぐ仕事を紹介してもらえるとは思っていなかったのだ。私が事前に手にしていたガイドブックには、職は自分の足で求人を見て得るべしとあった。
なので、店頭に貼られた求人と斡旋所、両方を利用しようと考えつつ。どちらかというと。失礼ながら、店舗の直求人の方が、採用の確立は高いんだろうなと考えていた節があった。
「とっ、とりあえず。魔術騎士団の一日臨時なんか、日給がよいですね」
「そこに行って頂けると、うちとしても助かります」
どれもほぼ同じ条件だったし、長期ではなかったため。ぶっちゃけ、どれにしようかな的に指差していた。決して、昼食付きにひかれたのではありません。えぇ、騎士団のまかないってどんなですかって、涎をたらしてたのではありませんとも!
仕事も明日一日のようだ。
強いて言うなら、目の前の餌に釣られるよりは、長期的な仕事を紹介して欲しいのだけれど……。私の渋りを悟ったのだろう。所長さんが、これ見よがしに天井を仰いだ。
「保証人様が保証人様なので、ヴィッテさんには正直に申し上げますけれどね。この仕事、元々女性の職業向上に向けての一環で、仕方がなく募集したものなんです」
「仕方がなく、ですか」
「いえ。昨今、騎士にも女性は少なくはありません。特に魔術騎士団は、古い慣習に縛られない気質です。けれど、『あぁいう場所』で、事務仕事を『周囲に飲まれず』にこなせる女性というのは少なくて。わが国で読み書きの不自由がなく、なおかつある程度の知識もあるとなると、令嬢に絞られるというか」
饒舌に説明していた所長さんの語尾が、にわかに濁った。
おっしゃりたい旨は、ある程度推測が出来る。つまり、結婚相手にふさわしいかはさておき。言い方は悪いが、貴族のご令嬢の物色場になりやすいという意味だろう。
「騎士団の中には、爵位持ちの家系も数多くいらっしゃいます。職に就こうとされるご令嬢は、貴族の中でも高位ではない方々になるんです。とすると、ねぇ。どうしても……。その点、貴女なら心配はなさそうですし」
「はぁ、私は大丈夫そうですか」
「いえ、これは失礼。決して、意地の悪い意味ではありません。これでも多くの――色々な方と関わる職業です。先ほどの貴女の語り口や態度を考慮して、まぁ、信用しているわけです。とりわけ――」
うっ。信用とか言われると、弱い。最後は良く聞き取れなかったけれど、アストラ様がどうのこうのだったような? アストラ様が、信用されてるという意味なのかな。
所長さんは、私の動揺などお見通しと言うように、綺麗に微笑んだ。
もちろん、全てのご令嬢が結婚目的ではないだろうし、私自身、裏方ながらにも関わったご令嬢は尊敬するというか、引き込まれる魅力をお持ちの方が、大多数だった。
けれど、フィオーレではわからない。分母が違うだけに、様々な方がいらっしゃるだろうし、事情も複雑になるのかもしれない。
となれば、所長さんと職員の男性の反応を、今は信じるのが無難なのかな。
「ご令嬢云々というのも、急募に関係しているのですよね? どんな仕事内容なのですか?」
目下、私にとって重要なのはそこだ。所長さんが私に全くの雑談をしたとは思えない。
狭い世界に生きてきたとはいえ、私も女性同士の面倒臭いあれそれは、多少だが理解はしている。
所長さんが軽く肩を竦めた。やや離れた場所で書類を整理している男性も、同様に。
「察して頂けると助かります。魔術騎士団をはじめとした機関で、臨時職を募るにあたって、事前調査も含めて、まず四日間の短期、書庫やらの書類整理を募集したんです。書類と言っても、機密事項関連ではなく、いわゆる、まぁ、雑務に近い仕事です」
「ですが、書類整理は想像以上に重要な任です。だからこそ、臨時職とはいえ、採用試験も兼ねて募ったのです。けれど……募集と言っても、ほとんどが名ばかり。貴族のご令嬢や有力商家の婿探しの場になってしまったというわけです」
男性お二人が項垂れる姿は、とても物悲しい。斡旋所の方が、女性の事務職の場を広げる機会だと捉えていらっしゃったのだと、想像に難くない。
今回の件が上手く運べば、各要所に、女性への仕事斡旋の可能性が広がるのではと、素人ながらにも思うもん。
苦虫を潰した顔で固まる私に、所長さんがひらひらと手を振って見せた。
「それでも、魔術騎士団や魔術士団は、司令官や魔術師長の性格上、公平な採用をしてくださるとは思ったんですけど。いかんせん、その前の段階に当たる人選が……」
なんと答えてよいものか。迷っている私に気がついたのか。男性が頭をかいて、言葉を切った。
初対面の私に愚痴るぐらいだから、よほど困っていらっしゃるのだろう。私にぼやいたところで、告げ口する当てなんてなさそうだってのも、あるだろうけれど。言いません。ヴィッテには、人の愚痴を声高に広める趣味はございません。
「まっ、まぁ。それで、騎士たちとの繋がりを期待していた方にとっては、全くと言って良いほど接触もなく、部屋にこもって続ける仕事に嫌気がさし、怒ったり、音をあげたりして辞めた方もいらっしゃれば。続けているものの、仕事自体が進んでいないという状況らしくて。ヴィッテさんは後見人の点でも、実務経験や人員補充を斡旋した実績という観点でもね、残り一日だけでも参加して頂けると、面目が立つんです」
所長さんは愚痴りたくて仕方がないのだろうか。あまりの勢いに、口を挟む隙がなかった。溜め息をついたと思ったら、今度は項垂れちゃうし。
初対面の私にここまでぶっちゃけちゃう精神状態とは、いかに。腹部を押さえているのは、絶対ストレスからだろうな。所長さんの体調も心配。それ以上に、頭の中を駆け巡っているのは、アストラ様の名が出ただけでここまで信用されるって、どんな人物なんですか! という驚きだ。
「はぁ。貿易商の書類しか目を通した経験はありませんけれど、私でお力になれるなら」
「細かいことは、指示係りがいるはずです。大丈夫でしょう。いや、ありがたい」
頼まれた色が強いとはいえ、私としては、とにもかくにもお仕事を紹介してもらえたのだ。それに、私はフィオーレに来てずっと、随分と助けられている。当人でなくとも、少しずつ、返せれば良いなって思う。
逆に、面目が立つとまで言われては、下手な仕事は出来ないとプレッシャーが半端ない。手を抜くつもりなんて、毛頭ないけど。
「いえ、仕事を紹介して頂く立場としては、可笑しな言い方ですね。むしろ、お二人のご期待に添えるかすこぶる不安ですが、頑張ります」
ぺこりと頭を下げる。顔をあげた先にいらしたお二人は、数回瞬きをした。私が不思議に思うより先に、互いに目を合わせて笑みを浮かべた。ので、自分の可笑しさに疑問を抱く隙がなかったのが、ありがたい。
ぶっちゃけ。四日間のうち最後の一日だけなんて、邪魔になるんじゃないかな。要領を得てない人間が入るのだし。とはいえ、運搬係りや雑用だけでも、いる価値はあるかもしれないよね。
「じゃあ、僕は契約書を持ってきますね。所長、賃金の支払や当日の説明をお願いします」
「わかった。あと、申し訳ないけれど。契約書交わした後で良いので、形式上の読み書き、受け答えの試験に時間を割いて頂けますか?」
「っていうか、あとでいいんですか!」
堪らず突っ込んでしまったのは、許して欲しい。滞在権や斡旋登録の記入からや、会話に不自由ないのだと判断されたのかもだけど。なんか、過度な期待をされてはいないかと、冷や汗が止まらない。
勘弁してください。私が苦手な上位三位に入りますよ。過度な期待。
期待されるのが嫌なんじゃない。期待に答えられなかった時の、自分が嫌なんだ。努力しても力及ばなかった虚無感は、自分の生きている価値さえ無いと宣告してくるから。
「まっ。気負わずに、よろしく。どうせ、あと一日だし。貴女なら一生懸命やってくれそうですし、我々にとっては、そこが重要なんだ――と、こんなこと言ったら、上に叱られてしまうな」
所長さんの言葉が、私のどこかに火をつけた。
魔術騎士団なんて、もう二度と入れないかもしれない。私の国には王宮騎士団しかなかった。魔術――魔導はあまり盛んではなかったし、それこそ特権階級扱いの、極少数の人しか役職に就いていなかった。
って、そんなことはもうどうでもいい。めらめらと燃え上がる私の掌には、汗がしたたる。
やってやろうじゃない! 一生懸命が重要って――お金を頂く以上は、大なり小なり、当初の目的へ貢献しないと!
淡々と進んでます。すいません。
次回はもうちょっと起伏がある予定。