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司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私  作者: 笠岡もこ
―フィオーレの街編―
18/99

家系の話と姉様への思い、焼きたてパンを頬張る私

「熱、下がってよかった」


 手元の体温計は、平熱のラインで色をとめている。

 一昨日、アストラ様たちが去ってから住居の契約を交わし、夕刻に届いた生活用品を一通り配置や収納したところで、ふいに身体が重くなった。原因はただの疲労だと思う。

 身体は頑丈だし、いたって健康体なのだけど。昔から、ふいに発熱することがよくあった。慣れっことは言え、アストラ様宅で熟睡し、栄養も頂いたというのに情けない。

 偶然、街の案内目的でベルを鳴らしたスウィンさんに助けられた。早速ご迷惑をおかけしたと、朦朧もうろうとする中、しきりに謝罪を繰り返した記憶がある。スウィンさんが「元気になったらカフェめぐりにつきあってね」と楽しげに額を突っついてきたのも。


「さて! 今日はスウィンさんにお礼言って、街の探索と職の斡旋所に行かないとね」


 ぐっと伸びをすると、気合が入った。さっと汗を流して、隣の建物に住んでいるスウィンさんにお礼をして。向かいのパン屋さんで腹ごしらえしてから歩きまわろう。スウィンさん情報では、お向かいのパン屋さん、店内に飲食スペースがあるらしい。

 と、その前に、ちょび髭親父の花精霊さんたちに水をあげないとね。

 勢いよく引いたカーテンの向こう側には、変わらず美しい街並みが広がっている。


「父様、母様。おはようございます」


 洋服ダンスの上に並べられた、写真立てたち。家族写真への挨拶を忘れちゃいけない。父様が倒れられる直前に撮った写真。お気に入りの写真のひとつを手に取ると、自然と微笑みが浮かんでくる。

 ちなみに、写真立て、ステラさんたちがお別れする際、贈ってくださった品だ。おそらくカバンの中を調べた時、目にしたのだろう。写真は薄い金属ケースに入れておいたので、雨に濡れても滲まずにすんだみたい。海潮対策だったのが、思わぬところで功を奏した。


「それに、皆も……」


 私の隣に座する姉様にも、挨拶をかけられる日がくるのだろうか。

 

「姉様、今頃、どこにいるのかな。私みたいに、行き倒れてないかな」


 食いしん坊の私と違い、食が細くスマートな姉様だけど……ちゃんと食べられているのかな。ステフって甲斐性かいしょうなさそうだからね。

 私のことはともかく。母様や周りの皆に災いをもたらした姉を、許した訳ではない。どうちらかと言わなくても、恨んでいる。今はまだ、きっと姉様にも事情があったんだよねとは、手を伸ばせない。

 けれど、今となっては、たった一人の肉親だ。


 我が家は短命の家系らしい。父様の兄弟である叔父も、私が生まれる前に事故で亡くなったと聞いている。独身だったので、叔母も従姉妹もいない。

 親戚が皆無、という訳ではない。が、自分たちはろくに働きもせず我が家の財に群がってくる彼らを、父様は好ましく思っていなかった。姉様や私へとんでもない縁談話ばかり持ってくるようになったのをきっかけに、絶縁した。

 母様は父様と一緒になるため家出同然だった。親戚との繋がりは一切ない。思い出話はよくしてくれたけど、実は出身の国名すら知らずじまいなのだ。母様が父様に恋した年頃には、すでに両親――私の祖父母にあたる方々は、他界していたとのこと。


「あっ改めて考えると、うちって呪われてるのかなってレベルの短命に不幸ばっかりなんじゃ……」


 フィオーレから出てきたご先祖様って、もしかしたら呪われでもして逃げてきたのだろうか。突拍子もないはずの考え抱けど、なぜか冷や汗が止まらない。いやいや、母様方はフィオーレとは関係ないだろう、落ち着けヴィッテ。私は長生きしてやるぞ。

 駄目だ。爽やかな朝なのに、思考が引きずられていく。これはきっと熱の余韻。

 頬を叩いて、気合を入れた。



***



「お嬢ちゃん、初めてみる顔だね」

「はい。向かいのアパートに引っ越してきました、ヴィッテといいます。よろしくお願いします」

「あぁ、あんたが。スウィンから聞いてるよ。あたしはパーネ。このパン屋パネスの店主だよ」


 店頭に並ぶ、焼きたてのパンたちに涎をたらし。四つもトレイに乗せてレジに出すと、恰幅の良い中年女性が笑いかけてくれた。持ち帰りか尋ねてきた女性――パーネさんのスピードに、なんとか頭を振ってこたえた。

 自分はおのぼりさんですよーと声高に言いまわるのもどうかと思うが。これからもお世話になりそうだし、いいよね。と、心の中で美麗な笑顔で凄んでくるオクリース様に言い訳しておく。


「いやぁ、よく食べるね。いいことだ。うちのパンは薬草がこねてあるパンもあるからね、しっかり栄養とりな。あんた、あんまり顔色よくないよ」

「にっ苦くなければ、喜んでいただきます」


 てきぱきと会計を進めるパーネさんは、やけに楽しそうに笑っている。女性が四つもパンを食べるのは、おかしかったかな。だって、どれも美味しそうなんだ。

 薬草のパンも気になる。病み上がりだし、何より自分でも忘れかけていたけど、行き倒れていたのだし。薬草くらいがちょうどいいのかも。とは言え、食べ過ぎて体が重くなっては、歩き回るのも一苦労だ。明日かな。


「安心おし。うちのパンは食べて幸せがモットーだからね。まぁ、向かいだし、長い付き合いになるだろ。小難しいこと以外なら、何でも聞いとくれ」

「助かります。海の向こうから来たばかりで、たくさん、というか、生活の知恵もフィオーレの常識も、全然知らないことばかりなんです。どうぞよろしくお願いします。知り合いも、まだあまりいなくて」

「任せておきなって。この辺りじゃ、お節介パーネって有名なんだよ。あたしゃ。じゃあ早速、飲物はサービスしちゃうよ」


 え、あ。とかしか返せない私に、パーネさんは「若い子の口こみ目当てだから」と笑みを深めた。ついでに希望がないなら勝手にパンにあったのをつけちゃうと言われたのに、願ってもないと、こくこくと頷いていた。

 飲食スペースは、こぢんまりとしているものの。売場との区切りは香りの弱い花棚でされていて、空間的にも目にも落ち着ける。中途半端な時間なのもあってか、私以外の客は二人しかいない。

 散々迷ったあげく、窓際の二人席に腰を下ろした。道を行く人に見られるのは若干恥ずかしいが、同時に、ぼんやりと往来を眺められるのが楽しそうだ。


「いただきます」


 指を絡ませて、食前の挨拶。今日もごはんを頂けます、ありがとう。材料自体と関係者の方々、それにパン職人さんに感謝します。届いた繋がりを噛み締めて、頂きます。

 オニオンに絡むチーズの良い香りに、口元が緩んでいく。我慢出来ず、勢いよくあむっと噛み付いてしまった。淑女とは、なんて台詞は無視である。

 かりっとした表面とは裏腹に、進んだ先はふんわりとしていた。ふわぁ、幸せだぁ。


「んー! 美味しい!」

「そんだけ堪能してもらえたなら、職人冥利につきるさね。うちの旦那が作ってるんだけどね。喜ぶよ」

「かりって、ほわって、ふんわりです! 幸せな場所に越してこられました!」


 差し出されたのは、すっきりとした香りのコーヒーだった。紅茶も大好きだけど、コーヒーも大好きだ。書類整理中に襲ってくる眠気退散! と、よく飲んだ。特にブラックは、チーズの甘味と菓子パンの生クリームのこってり感を、絶妙なバランスにしてくれる。

 コーヒーカップから昇る香りにうっとりしてしまうよ。

 今の時間帯は客足も少ないのだろう。パーネさんは、私の向かいの椅子に腰掛けた。レジには、私と同じくらいの年頃の女の子がいる。


「良かったら、今度はコーヒーコーナーを見ておくれ。種類は少ないけど、粉もおいてるんだよ」

「助かります! コーヒーは好きなのですけど、豆をひくのが結構手間で。ミルとかサイフォンを眺めてるのは大好きなのですが、実際、自分で使うとなると、なかなか」


 私の短所のひとつ。

 道具のフォルムやら装飾を眺めるのはいつまでも出来るんだけどね。購入していざ! となると、私のような拙い技術で使用される道具たちが可哀想! と気後れしちゃって。結局、極上の腕をもつ、お手伝いのケトルさんにお願いしていたのだ。

 まぁ、それを言ってしまったら、ざっくりと淹れられる茶葉やコーヒー粉はどうなるんだってお話なんだけどね。その辺りは、気持ちが篭っていればと、無理に乗り越える。


「わかるよ。人に淹れてもらったのが美味いってのもあるよね」


 なるほど。そう考えればちょっと前向きな気がする。本日の日記に記しておこう。

 前向きになろうと、故郷でもしていたのだけれど。たまたま姉に見られて、人の言葉を盗むような気持ち悪い真似をするなと注意されたのが頭に残り、やめていた習慣だ。

 フィオーレには、姉もいない。一人暮らしな今、だれに気兼ねすることもない。

 コーヒーカップを抱えて、うんうんと頷いた私をだろう。パーネさんが豪快に笑った。


「そうそう。この通りを中央広場に向かっていく途中、コーヒー専門の店があるんだよ。販売が主だから、コーヒーしか出ない店だけどねぇ。充実はしてるから、覗いてみなよ。気まぐれにだけど、淹れ方も教えてるし」

「案内してくださった方も、あそこの店主の腕は素晴らしいって誉めていらっしゃいました。外観も雰囲気があって、素敵でした。なにより香りにうっとりしてしまって」


 アストラ様が興奮気味に教えてくださったのを覚えている。言い方が悪いかもしれないけれど、貴族の方も街中の店へ飲みに行かれるのですかと尋ねると。若干言葉を濁して「しっ仕事のな、ついでに寄ったり、呼びとめられたり、で」と目を泳がせていた。

 たぶん、というか間違いなく、アストラ様の様子に音を立てて笑みを浮かべたオクリース様に、怯えていたのだろう。ようはさぼりかい! と、心の中で突っ込んでおいた。


「そうかい、そうかい。紅茶なら、その店と反対側の道にそって角を曲がったところに、紅茶専門店があるんだよ。まぁ、やってることと店のスタンスはコーヒー屋とおんなじだ」

「嬉しい。行ってみます。でも、随分と近い位置にあるのですね」


 パーネさんは、なぜ肩を竦めているのだろうか。おまけに、元気いっぱいだった顔は、困ったような色に変わっている。

 私、変なことでも聞いてしまったのかな。珈琲コーヒーと紅茶って、なんとなくだけど、通りに漂う香りが混ざり合っちゃわないかなって。あぁ、でも王都だし、距離の感覚が違うのか。


「実はね、どっちもうちの子どもがやってんだよ。双子なんだけどさぁ。むかしっからお互いやけにライバル意識を持っててねぇ。一人がコーヒーの道を進むって家を飛び出したと思ったら、今度はもう一人が紅茶の道を究めるってまた飛び出してね」

「さすが職人さんたちのお子さま達です。思い立ったらとことんという感じですね」

「良いのか、悪いのか。うちの旦那にそっくりだよ。で、数年前に戻ってきたと思ったら、自分が先に物件を見つけたんだと譲らなくてねぇ。もっと中央通りに店を出せばいいのにさ」


 軽い溜め息が落とされた。

 パーネさんの溜め息は、双子さんたちへ向けたものだったのだろうけど。私は、パン屋さんはだれが継ぐのかな、なんて的外れな心配をしてしまった。

 白いパンを噛むと、ふんわり生クリームに頬が緩んだ。美味しいよー。甘すぎないクリームが、バターを香らせたパン生地と手を繋いで万歳してる。

 パーネさんは相変わらずの表情で、コーヒーを足してくれた。


「うちは、パンを二個以上買ってくれた人は、コーヒーと紅茶のおかわりは自由なんだよ。なんせ身内にコーヒー屋がいるんだからね」

「ありがとうございます。あっ、そっか。お子さんたち、パーネさんのお店の近くで営業したかったんですね。お母さんのパンと、一緒に飲んでほしいって」


 当人たちに尋ねたわけでもないのに、妙に納得してしまった。舌の肥えた貴族を唸らせるほどの腕と評判なら、ちょっとくらい外れにあってもお客さんは来る。元から凄腕だったのか、立地のためにさらに努力したのか、はたまた両方かは知り得ないけれど。なんとなく、そう思った。あくまでも、私の中の想像にしか過ぎないが。

 それに、人通りの多いところから外れてた方が、隠れ家的な感じがしてわくわくするな。私は。


「どうだかねぇ。そうだと嬉しいけど」

「良いですね、家族同士で隣り合った職って」

「ありがとよ。ヴィッテのご両親は故郷にいるんだろ? どうしてまた、遠くはなれた花の都に来たんだか、言葉まで勉強してさ。店でも出すのかい? それとも、恋人でも追ってきたのかね」


 突然の質問に、むせてしまった。最初に故郷の話が出た際、突っ込まれなかったので油断していた。当然聞かれるだろうとは思っていたのに。

 しかも、恋人っていう予想外の要素をぶちこまれて、動揺するしかないだろう。私みたいな地味な女が、そんな情熱行動に出ると思えたパーネさんにびっくりである。

 けほけほと咳を出し続ける喉に、コーヒーを流し込んだ。喉の奥がすっとしていく。パーネさんが驚いたように、背中を撫でてくれた。


「ごめん、ごめん。大丈夫かい?」

「はっはい。花の都は幼い頃からの憧れで、言語も学んでいたんです。多くの国で使われている言葉ですし。両親が他界して、家業がうまくいかなくなって……転機だと考えて、故郷を出てきちゃいました」

「そうかい、苦労したんだね。おばさん、あんまり気が回らなくてさ。辛いこと、思い出させちゃったね」


 パーネさんに深い意図がなかったのは、ちょっと触れ合っただけの人柄でも充分に伝わってくる。

 王都が人の出入り激しいとは言え、私みたいな娘が一人で訪れて滞在ともなれば、何をしにきたのか不思議に思われて当然だ。

 大きな手で頭を撫でられ、心がぽっと温かくなった。


「いいえ、大丈夫なんです。それは、もう吹っ切ったことですし。気になさらないでください。それに、フィオーレって、私が本当に小さい頃、両親に連れて来てもらったらしいっていうのも、理由のひとつです。残念なことに、全く覚えていないんですけれどね」


 旅先の思い出にと撮影した写真が数枚、残っている。綺麗にアルバムにおさめられていた風景と、ちょっとだけ着飾った自分が映っているのを並べてみた時。どうして、こんなにも綺麗な光景を覚えていないのかと、べそをかいたのは良い思い出だ。折角もらった絵葉書に、数滴だが涙を落としてしまった。

 私はとても幼かったから、覚えていなくたって当たり前なんだよね。でも、当時は物凄く切なかった。家族との楽しい思い出は全部残しておきたいなんて、一人になった私は……。

 母が亡くなってからアルバム写真を整理していた際、その写真を見つけたのも、フィオーレに移住しようと決めたひとつだった。


「へぇ。じゃあ、あたしとも、すれ違ってたかもしれないねぇ」

「そうですね! そう考えると、もっとわくわくします。でも、本当、フィオーレでよかったです。パーネさんもですが、皆さんとても優しくて、あったかくて」


 もしかしたら、アストラ様やオクリース様とも……いや、お二人とも貴族の子息っぽいし、さすがにそれはないか。単なる旅行者と顔を合わせる階級の方ではないと、察する要素は何点もあった。屋敷の装飾や、ふいに目にした紋章とか。もろもろ。

 でも、小さいお二人を想像すると、口の端が緩んでしまう。可愛かったんだろうなぁ。

 私は物凄く怪しく笑っていたと思う。


「あら、やだ。嬉しいね。とはいってもね、悲しいことに、都会なだけあって、変な奴も危ない輩もいるから、気をつけるにこしたことはないよ。何かあったら、というか、ある前に頼ってきな。生まれも育ちも生粋のフィオーレなパーネさんは、ちょいっとは、顔がきくんだよ」


 頼ってきな。

 その言葉が、ずっしりと胸にかぶさってきた。決して、嫌な覆いではない。むしろ、嬉しくてたまらない。向けてもらえる好意には、図々しいくらい甘えてしまうのに。自分から信頼していますと、飛び込むのが怖いなんて思ってる。ずるい自分への鈍い感情から、重みを感じるだけ。

 こんなの、相手にも失礼だ。知ってる。

 私が唯一堂々親友だといえるメミニに、泣きべそをかきながら言われた。


――迷惑かけないようにってされる方のが、迷惑なのよ! 迷惑ってのはね、言葉通りじゃないのよ、ばかヴィッテ!――


 母様が倒れ、もう長くないと聞かされ、一人思い悩んでいた。メミニには、大丈夫と笑っていたが、毎日泣いていた。腫れた目を見られたくなくて、メミニにもほとんど会わなかった。彼女に母の余命を打ち明けたのは、自分の気持ちの整理がついてからで。

 その際、思いっきり頬を抓られた時の言葉。

 あの時は、自分の信条を保つのにいっぱいいっぱいで、メミニがどんな想いで泣いてくれたのかなんて、わからなかった。親友が涙ながらにかけてくれる言葉を、理解してしまったら、悲惨な現実を受け入れられなくなってしまいそうで、わかりたくなかった。

 私は、ただ、ごめんねと繰り返しただけだった。涙は出なかった。うつろに、ごめんなさいと、繰り返すしかなかった。

 そんな私の代わりにとでもいうように。メミニは泣きじゃくって抱きしめてくれた。痛かった。メミニの爪も力も、身に食い込んできて、痛かった。そして、まだ痛いと感じられる自分が、どうしようもなく嬉しかった。


「おかあさーん! パン並べるの、手伝ってー!」

「あいよ! あれが、兄弟唯一のしっかり者、末娘のマラコス。ヴィッテより、ちょい下って感じかね。気軽にマラコスって呼んでやっておくれよ」


 パーネさんが、腰を叩きながら立ち上がった。はっと、我に返った。

 昼に向けての補充だろうか。赤みを含んだ茶髪をお団子に纏めた少女が、忙しそうに動き回っているのが見えた。

 おぉ、すみません! つい話が楽しくて。帰り際に一言謝っておこうかな。

 明るくて通る声が、店内に響いた。いつものやり取りなのかもしれない。お客さん二名は、特に気にした様子もなく、本やらパンに視線を落としたままだ。


「おかあさん、お客様の食事の邪魔、しないの。どうせまた、お節介やいてるんでしょ! っていうか、早くー!」

「はいはい。じゃあ、ヴィッテ。ゆっくり食べていっておくれ」


 言わなきゃ! 言いたい。焦ったあまり、舌がもつれてしまうが、気にしている場合ではない。パンを置いた手が、汗ばんでくる。

 「はいは、一回!」という、どちらが親なのか不明なお叱りがおかしくて。緊張がほどけてくれた。いけ、ヴィッテ。


「あっ、あの、ありがとうございます! また、明日も来ます!」


 パーネさんは、切羽詰まった言い様に、一瞬だけぽかんと口を開いた。が、すぐに


「うちのパンを食べて、元気が出たのかね。もちろん、大歓迎さ。明日こそ、薬草のパン、食べてみておくれよ」


 と、笑ってくれた。

 にかりという笑顔に、私も不器用だっただろうけれど、精一杯の笑顔を返した。

 パーネさんの背中を眺めながら、どきどきした胸を押さえてる。『良いですか?』じゃなくて『来ます』と断言出来たのは、私としてはかなりの勇気がいった。でも、後悔じゃない。胸の奥に浮かんだのは、とても心地良い後味。

 最後のひとつを噛むと、甘いあまい、蜂蜜の味がした。

 


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