雑貨屋店主と名乗る漆黒の君、興奮する私
「アクティ。お前は相変わらず、客に向かって失礼だな」
「あいにく、うちの店は客を選ぶんでね」
遠慮なく開け放たれた馬車の扉に唖然としてしまう。加え、吐き捨てるように投げられた言葉に、身が縮んだ。大げさな程度ではなく、自分比だが。乗馬経験のおかげか、猫背ではないので。
馬車の降り口にかけられていたのは、街中で履くには似つかわしくない靴だった。ごつい厚底のブーツで、その上には太もも辺りがふくれたズボン。薄いタンクトップから伸びているのは褐色の肌だ。しなやかな二の腕は、男性並に引き締まっている。ハスキーだが、声は女性のものだ。
「店先とは知らず、騒いでしまい、申し訳ございませんでした! もとをただせば、私が無遠慮に笑い声をあげたのが原因で」
「へぇ、あんたのせいってわけか」
立ち上がると、また脳天を打ちつけてしまう。なので、無作法だとは知りながら、座ったまま頭を下げた。つむじに落ちてきた冷めた声色に、背筋が凍りながらも。
けれど。ゆっくりとあげた先にあった女性の強い眼差しは、冷たさよりも、命の強さを隠すことなく煌かせているように思えた。紅く燃えるような瞳に、見入ってしまう。
無造作に纏められている銀髪が、そよ風に舞った。
ほぅっと。感嘆の溜め息が落ちた。なんて、綺麗なんだろう。躍動感のある美しさ。
「おい、アクティ。ヴィッテが怖がるだろう。そのむき出しの闘争心はしまっておけ」
「あんたの目は節穴だね。あれが怯える小動物に見えるのかい?」
「ヴィッテ? おーい、ヴィッテ」
ふぉぉぉ!! かっこいい!!
さすがに奇妙な発声は控えた。必死に堪えた。おかげで唇を噛んで、震えるという醜態を晒しているわけだが。
太陽の光を浴びているお姉さんは、異国情緒たっぷりだ。砂漠の民を彷彿とさせる。加えて、きらきらと降り注ぐ光を受けた銀髪は、えもいわれぬ色を流している。
「紅玉に太陽の色を混ぜたみたい!」
「はぁ? あんた、頭は大丈夫かい?」
「大丈夫じゃ、ありません! 美しいものの前では、人は等しく愚かになります」
お姉さんの反応は当然ですよねー。はっはっはと、頷きながら笑いを零してしまった。
すみません。これでも、両頬をがっつり掴んで凝視したい気持ちを抑えているんです。
数秒前の自分を殴りたい衝動を抑え、深呼吸を繰り返す。
お姉さんは荒い口調とは裏腹だ。特に引いた様子もなく、顎をしゃくっただけだった。馬車を降りろという指示だろうか。ぶっきらぼうさはあるのに、高圧的ではないことから、お姉さんの性格がうかがえた。
「悪いな。あいつ、遠慮はないが、悪い奴ではないのだ」
「はい、生命力溢れるとても素敵な女性ですね」
「ものは言いようだな」
鼻息荒く両手の拳を握って詰め寄ると、アストラ様は若干頬をかたくして身体を引いた。不気味な形相を近づけたからって、逃げなくてもいいのに。やるせなくて、押さえられた肩がじりっと焦げた気がした。
あやふやな感情が怖くて、半笑いが浮かんでいるのが悔しいのだと結論付ける。ぶくっと片側の頬を膨らませてしまった。これじゃ、子どもみたいだ。
アストラ様が、右往左往しているのはスルーしておこう。お互い末っ子だからという謎の言い訳で、ぼやを消した。
「あの方が、大家さんでしたか?」
さすが花の都、かなり想像と違う。
妙な感心で頷きつつ、返答を待たずして傍らの荷物に手を伸ばした。が、荷を抱き上げる前に、アストラ様に制されてしまった。
「住居はまだ先なんだ。その前に、家具や雑貨を揃えるのが良いかと考えてな」
「雑貨ですか。家具の搬入は間に合わなくとも、最低限の寝具があれば生活は出来ますものね」
「最低限の家具は備え付けられているアパートだから、まずは生活必需品があればよい。 備付けと言っても、未使用の物だから安心するといい。机と食器棚は勿論、スプリングのベッドもある。縁起面で訳ありなので、家賃も考慮するとのことだ」
なんと。しばらくは床の上で毛布にくるまり、洗面用品だけあれば清潔に過ごせるかなと考えていたので、ありがたすぎる。睡眠は大切だ。寝るのが大好きな私にとっては、そこ重要。フィオーレは温暖そうなので、毛布はいらないかな。
いわくつきでも、新天地で生き直しの私にとっては、願ったり叶ったりな物件だ。
「至れり尽くせりで、私、本当にどうお礼していいのか」
「気に病むな。大家の都合でもある。ここにしても俺の贔屓店でもあるんだ。基本の品を購入してやってくれると嬉しい」
馬車から降りる際、降り注いだ日差しに、一瞬目を瞑ってしまった。
従者の方が備えてくださった階段を、踏みはずなさないよう足を出す。流れるように伸ばされたアストラ様の手。貴族のたしなみというか、慣れていらっしゃる仕草にじりっと胸の奥が焦げた気がした。
知らない感情を無視して、何食わない調子で手を差し出しておいた。
「お気遣い、痛み入ります」
「ヴィッテに触れてもらえる機会なら、喜んで作るぞ」
全力をとして装った平静は、いとも簡単に壊される。
含みのない向日葵みたいな笑み。かざりっけなく気遣いだけが感じられる指先。悔しさよりも切なさが勝って、可愛くない私は唇を噛んで、地面を見た。染まる耳を誤魔化せないと承知しながらも。
そっとスカートの端を摘んで、淡々と簡易階段を降りる。でも、アストラ様の肌は心地よくて、つい縋るように擦り付けてしまった。表情と行動があってないよ、自分。
「うん、その、まぁ。あんまり、可愛い反応をくれると、さらに俺が参ってしまう」
ぼそりと聞こえた気がした呟きは、きっと紳士の礼式にいちいち照れないでくれという意味だろう。大変申し訳ない。
とにかく、こけないようにと細心の注意を払いつつ、可能な限り体温の距離をとった。縋ってしまった肌を滑らせるように浮かせる。が、思いの外、強い力で指を引きとめられた。
逆にどきどきして、がに股になってしまった。
「わぁ! 可愛い!」
佇む店は、とても可愛らしい構えだ。ともすれば、女性の装飾品専門店のような雰囲気を醸し出している。石造りの建物は他と変わらないが、風にゆれている店看板は焦げたような色をしている木製。ポットの形をしているので、一見カフェにもとれる。
しかしながら、控えめに『雑貨屋 アクティの店』とも記されている。上部が花で飾られていて、とても愛らしい。
ぼぅっと見上げていると、掌にかたい感触が滑り込んできた。驚きで顔があがる。
「遅くなると、短気なアクティに叱られてしまうぞ?」
「はっはい! 雰囲気があって、つい、見とれてしまいました」
どもりながらも、握られた手を抜こうとする。けれど、ぎゅっと閉じ込められてしまった。耳の奥がずくんずくんと鳴る。
アストラ様はなんでもないように、むしろ鼻歌を流しながら踵を返した。
あっあれか。迷子防止。なんせ森を彷徨い行き倒れていた私だからね、よほど心配性なんだろう。とはいっても、目的の店が目の前なので大丈夫なのだけれど。
「素敵な空間!」
「入り口で立ち止まってないで、カウンターに来なよ」
アクティさんの声が耳を掠めたが、あいにく、私は一歩も動けない。
この不思議な空間をなんと表現すればいいのだろう。ほんのりと薄暗い店内。柔らかな灯りを抱いているのは、天井からぶら下がっている色んな花を模したガラスランタンだ。灯りも魔法なのだろうか。自然に近い暖色もあれば、透き通るような曖昧な色もある。異国の言葉で『ゲッパク』や『トキイロ』のような淡い色だ。
神秘的なランタンの下にあるのは、透明感やビビッドさ、アンティークなど種類ごとにわけられた棚。異質なのに同居している。思わず全部見たいと感じる陳列だ。しかも、違和感があるのではなく、綺麗なグラデーションのごとく柔らかに円を描いている。全ては文化の繋がりなのだと、すんなりと納得するような。
さりげなく添えられた用途の説明文も、購買意欲を刺激してくる。
「あんた――ヴィッテと呼ばれてたっけ。お客じゃないのかい?」
「すみません、買います。客です。つい、店内全部に見とれてしまって」
なぜか。ポーチから財布を取り出し、突き出していた。片手で、お気に入りの異国財布のガマグチを。
何も言わず隣にいてくれたアストラ様の手を引いて、駆け足でカウンターに向かう。途端、アストラ様が笑いを噛み殺したのがわかったが、振り向かないでおく。
「いや、自分の世界に入ってるのはわかったけどね。口に出てる着眼点が、ほかのお嬢さん方と違ったから、商売仲間かと思ってねぇ」
「もしかしなくても、全部声に出てましたか?! おぉぉ。すみません、つい以前の癖が! 私、この度、移住してまいりまして、新生活の必需品を購入させて頂きたく」
「ぷっ、はぁ! いや、実に残念だ! もったいないことをした。女神の時の運を恨めしく思うさ」
残念と思われるのには慣れている。が、豪快に笑うアクティさんに嫌味はない。ので、私もどう反応していいのか判断がつかず、手持ち無沙汰に、スカートを掴んだり首を傾げたりしか出来ない。
ここで、上から目線かよとなじられるのなら、理解出来る。私には全くそんな含みはないが、観察や見定めと取られてもおかしくない表現だったとも思えるのだ。発言する前に相手の受け取りように関して、可能性に気がつければいいのだが。無神経な私は、いつも出してしまった後になってから、気持ちを考えてしまう。
なんて、中途半端なのだろう。
言葉にしてアクティさんに謝ればいいのに。怖くて、悶々と殻に閉じこもる。でも、これじゃ駄目だ。俯いた顔をあげようと、唇を噛んだ瞬間。
「アクティ」
アストラ様から厳しい音が発せられた。聞いたことのない――とはいっても、アストラ様との付き合いは一日にも満たないが、表情豊かなのでつい――声色に、びくりと肩が上がってしまった。皮膚を引き裂くような、鋭い色。
が、呼ばれたアクティさんからは、けたたましい笑い声があがった。
「アストラがむかついてる声色聞いたの、戦場以来だ! あんた、ここ数日で何があったんだい、一体さぁ!」
「アストラ様?」
ふぅと溜め息を付いたアストラ様を見上げる。
掌にぶわっとわいた汗が恥ずかしくて、繋がりをほどこうとしたが。さらに、きつく握られてしまった。熱い。父親以外の男性に手を繋がれたのは数回しかない。近い年頃を含め。
居た堪れない空気を感じて、名を呼んだものの。アストラ様は、反対の手で自分の髪を搔いるばかりで、私の方は見てくださらなかった。
「アストラ、名乗ったのですか?」
「うっ。やはりいたのか」
「漆黒の君! 昨夜はお世話になりました! それに、滞在届けの書類も!」
カウンター奥、おそらく店員専用の部屋だろう。狭い口から出てきたのは、漆黒の君だった。昨晩と変わらず、黒い魔術外套を纏っている。
漆黒の君の登場に喉を詰まらせたアストラ様が、わずかに力を抜いた。その隙に繋がりをほどくのに成功した。嫌ではないけれど、心臓には悪い。
がばりと頭を下げた私の前に立った漆黒の君に、笑みはない。が、よくよく見れば、ほんのわずかに口の端があがっていた。
「私はオクリース。アストラとは、まぁ、腐れ縁です」
「オクリース様……アストラ様、オクリース様。ヴィッテ、改めてお礼申し上げます。おふたりがいてくださり、私、本当に幸せです」
名を教えて頂けるのが、こんなに嬉しいなんて、フィオーレにくるまで知らなかった。対面すれば知って当たり前だとさえ、考えていた。
だから、出来る限り、音を、名を噛み締めて口にした。アストラ様の時と、同じように。大事な大事な、私の宝物。命だけじゃなくて、心も救って下さった、零れる気持ちも掬って下さった方たちの音。
相手にとったら気持ち悪い想いかもだから、押さえれるだけ押さえよう。そんな風に、色んな想いを飲み込んで囁いた名前だった。
「名を教えてくださって、ありがとう、ございます」
自然と浮かんでくる微笑。
でも、想いを込めすぎて相手の迷惑にならないようにと、一部を飲み込んで。想いが身体に押し留められた分、熱に変わったかのように染まっていくのがわかった。それがまた恥ずかしくて、特に頬が色づく。おふたりの顔が直視出来ない。
「ヴィッテ、あんた気に入った。商売の目もだけどね。男の喉を鳴らす、その煽る瞳の色がね」
「商売は両親を誉められているようで、とても嬉しいです! でも、アオル、ですか?」
アオルとは。勉強不足です、すみません。
商売の目は、今までの自分も肯定してもらえたようで嬉しいです。が、後者は一体。
アクティさんの楽しげな様子から、姉から責められたような人の神経を逆撫でするという意味ではないとわかる。とすれば、『幸せ』という言葉か。私の学習不足ゆえ、幸福以外の意味を持っているのかもしれない。
「ヴィッテ、忘れてしまえ」
「アクティ、ヴィッテは普通に話していますが、異国から来た少女なんです。あまりおかなし言葉を教え込まないでください」
むむっと顎をさすり、考え込んでしまう。
と、オクリース様に頭を撫でられた。なんでだと目線をあげると、問答無用問い合わせ不可と文字を浮かべた視線が注がれた。あな恐ろしや。一気に思考回路が仕事を放棄した。
アストラ様はカウンターを挟んで、アクティさんと対峙している。お互い満面の笑みだ。青筋が立っているが。
「あぁ。あいにく、つい最近、酒場もこっちも人を雇ったばかりでね。また人手が必要になれば、ヴィッテに声をかけさせて欲しいなぁってね」
「はい。私でよければ、喜んで」
「雑貨屋はともかく、酒場は許さん。俺が保証人になっているのだからな」
アストラ様、ご心配くださるのは嬉しいですが。移住の身としては、頂ける仕事の可能性は全力で歓迎です。そもそも、居酒屋といっても、私なら裏方担当でしょう。噂に聞くまかないとやらに涎も垂れる。
あっ、帰り道を心配してくださってるのかも。
「となれば、防犯道具も買わないと」
アストラ様とアクティさんが鳥肌を誘うにらみ合いをされる中。当事者なはずなのに蚊帳の外な私は、早々に切り替え、購入リストを頭に思い描く。
ふと、隣に佇むオクリース様に視線をあげる。オクリース様は無表情だが、目つきが先を促してくれたような気がするので、遠慮なく声をかけてみることにした。意思表示が父様に似ているなぁ、と思いつつ。
「そういえば、オクリース様は、どうしてこちらに?」
「書類をアストラの屋敷に届けるついでに、某方に呼び出されていましてね。今から仕事場に戻るのですが、その前に執務室の備品をと思いまして」
「なるほど。確かにアクティさんのお店は、装飾が可愛いのもありますが、実用性に優れているように見受けられますものね。職人さんも仕入れているアクティさんも、すごい」
可愛いだけだったり綺麗だけだったりの雑貨や宝玉は数多ある。が、ここにある雑貨は、日常の掃除をふまえ、飾りつけや配置にも考慮した品が多いというのが印象だ。
腕を組んで陶酔気味に頷いてしまう。本当に、ここで働ければよかった。が、時の巡りも運のうちだ。仕方がない。
「ヴィッテの気遣いは、策略なのか天然なのか、判断に迷いますね」
「策略なんて! 私は、その、ただ。御用に言及するほど子どもでもありませんし、かといって、お仕事場はどんなところかと尋ねる勇気も、なくて。率直な感想を……」
「矯正のしがいがありますね」
絵画の如く微笑んだオクリース様。全力で見ない振りをしておいた。怖い、怖すぎる。矯正ってなんだ。明らかにおかしい表現だろう。しかし、この冷笑の君には突っ込んだら負けな気がする。突っ込まなくとも、細められた瞳に映った瞬間、敗北を悟るしかないと本能が叫ぶのだ。
って、ちがーう! 私はここへ生活用品をもとめに来たはずだ。