風邪と熊と狼と。追伸、プリンアイスは取っといて下さい。 Ⅰ
八
占い師と出会った日から五日が過ぎ、その間も路地裏通いを欠かす事は無かった。問題があるとすれば泉の監視が相変わらずという事だろうか。
ああ、問題といえばもう一つあった。それは、今の私の状態だ。
まあ簡単な話し、風邪をひきました。そのお蔭というのだろうか、今日は学校はお休みという事になった。
問題は、なぜ風邪をひいたのかという事であろうが、それは至極単純で明快な理由。
雨に濡れたからってだけだ。
魔法世界からやってきたアルパカが溺れているところを助けたとか、たちの悪い魔術師の呪弾を受けたとかいう楽しげな理由ではない。残念。
唯、一つだけ納得いかない事がある。
泉だ。
路地裏探索中に突然降ってきた通り雨、小降りだったのが急に激しく降ってきたその雨から逃れるべく周囲を見渡したが、近くに雨宿り出来る場所が無く、私と泉はズブ濡れになってしまったのだった。
結果、私は風邪をひき、泉は何事もなく登校していった。そればかりか、朝私の部屋へ来ると「何とかは風邪ひかないってのは所詮迷信ってことか」等とのたまわっていった。──あいつ、いつか、ぶっとばす。
そんなこんなで今は、自室のベットの上でネコパジャマに身を包みゴロゴロとしている最中だ。
熱に浮かされた頭を持ち上げて枕元の時計を見ると、午前九時半を示していた。いつもなら一時限目の授業中だ。そんな時間に自宅でゴロゴロだなんて、なんだかいけない事をしている気になってちょっと楽しくなり思わず笑みがこぼれる。
確かこの時間だと、お母さんは掃除やら洗濯やら買い物やらで午後までは働き通しだったはずだ。そしてもちろん泉は学校に行っている、それが学生、それが義務教育。
ぼんやりと天井を見上げていて、ふと思った。これはチャンスかもしれない。少し熱で頭がボーッとする程度の風邪で、この私が大人しくベットで寝ている道理があろうか。あるわけがない。
思い発ったが即行動、それが私のモットー。
ベットを抜け出して泉の部屋へと向う。目標は、そこにあるゲーム機一式。折角の休みだ、有意義に過ごすとしようではあーりませんか!
意気込みもほどほどに、熱に浮かされながらも泉の部屋のドアノブを回す。
──ガチャ……──
「あれ?」
──ガチャガチャ──
「むむむ……」
開かない。ノブは左にも右にもどっちにも回らず、これではドアが開かない。つまりこれは……、どういうことだ?
何度か再試行してみるも一向に目前のドアが開く気配はなく、私は廊下でドアノブを握り締めた思考をフル回転させる。
つまりこれは……、カギがかかっている。ということか!
「おのれ泉、計ったな!!」
普段は泉の部屋にカギなんてかかっている事はない。なのにどういうことか、今日はかかっている。……読まれていたのだろうか。
なにはともあれドアが開かなければ何も始まらないわけで……、こんな事で私の目論見が潰えるとは思ってもみなかった。
「バカ泉」
扉の前で言ってやった。いつもは私がバカと言われているが、今回は私が言ったのだ。くふふふふ、悔しがるがいい。──私は悔しくなんかないもん。
自室へ戻ると、正面からベッドにダイブする。ぼよよんと、ベットのスプリングによる反発がちょっと心地良い。
「あー、ひーまー」
泉の裏切りにより折角のやる気を削がれてしまった私の心は酷く傷ついた。帰ってきたらプリンアイスを買いに行かせてやる。絶対だ。グッと右手を握り締めた。
ゴロリと身体を返して大の字になり天井を仰ぐ。火照る身体に秋の空気は少し心地良い。
「はぁ、別世界に続く道、かぁ……」
なんだか毎日ふと思い出す言葉、あの日に出会った占い師が脳裏に浮かぶ。それだけ私には印象深かい出来事だった。
何より望み続けていた、半ば強制的ともいえるが王道的な出会い。そして私の心を読んだかのようなあの言葉。占い師との出会いが今までの現実とはかけ離れた出来事のように鮮明に心に焼き付き、私の妄想を加速させている。
あの日から今日まで、私は普段入り込んだことの無い路地裏にも足を延ばした。もちろん泉も巻き込んで。まあ収穫は無かったわけだけど、あの言葉でテンションが上がり勢いづいていた。なので今まで以上に、道やきっかけを探すことに対し熱を上げていた事は確かだ。
毎日軽い疲労を覚えるくらいに歩き回っていたそんな時に、昨日の雨だ。下着までびっしょりになるほど濡れて、それに伴う体温低下。がんばって駆けずり回った結果が今となる。折り畳み傘さえ持っていれば……。
毎日闇雲に歩き回り続けていたところで、風邪によって丸一日休みになり頭が冷めたお陰か、……いや、昨日より熱は出ているが頭の方は冷めて……。
そう! 冷静、冷静になって考えてみたところ、何となく思いつく事はあった。
またあのトンネルへ行ってみよう。それが今の私が思いつく方法のひとつ、原点回帰というやつだ。犯人は現場に戻ってくるというし。──アレ、違ったっけ?
とりあえず風邪が治った後の事は決まった。だが問題は今現在だ。なんら進展はしていない、暇すぎる。
なので暇つぶしのため、ベットの反対側の壁に悠然と佇んだ私の相棒、本棚を漁ってみる。ちなみに私の背丈より高い本棚で、千冊は軽く収まっている。その内七割が漫画で二割がライトノベルだ。そして残り一割は乙女の・ひ・み・つ。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・なー」
本棚の前で視線を右往左往させながら暇つぶし用を選ぶ。ただこうやってるとアレもいいコレもいいとなって、なかなか決まらないので、こんな時のための秘技を使うことにする。
目を閉じて、右手を前に出し本の背表紙を撫でるようにスライドさせていく。
「これだーーー」
直感的に指先に触れた本を抜き出す。やはり迷った時にはこれが一番だ。たまに気分じゃない本を引き当てることもあるが、そんな時はそっと無かった事にしてしまえばオッケーだ。
「ふむ、『レメゲトンの守護者、三巻』か。こんな日には丁度いい長編漫画だ。これにしよう」
何かの教授っぽく偉そうに呟いてみた。とりあえず三巻というのは中途半端だったので、区切り良く一巻から五巻までを本棚から抜き取りベットに、とうっ! とダイブする。ぼよよん。
このレメゲトンの守護者という漫画は私のお気に入りの一つだ。ファンタジー系の漫画で、魔法書レメゲトンから逃げ出した精霊悪魔を再び封じるために、教会から派遣されたシスターのジュリと運良く巻きこまれた少年ロイエの冒険活劇で、現在二十四巻まで発売されている。一巻ごとに一体の精霊悪魔を封じているのだが、レメゲトンといえばソロモンの七十二柱なのでこのペースだと、あと四十八巻は出るという事だろうか。気が遠くなる話しだ。とはいえお気に入りの漫画が長く続くことは読者として嬉しいことでもある。
ベットの隅に本を積み、そこから一番上の一巻を手に取って、枕を抱え込むようにうつ伏せになりながら本の表紙を仰ぐ。このスタイルが一番落ち着くのだ。
枕の位置を調整しつつ、しっくりとくるポジションを探り収まると、漫画を開いて読書の開始だ。
冒頭は精霊悪魔が何者かによって開放されているところから始まる。この何者かがラスボスだなと思い込ませて実は良い奴で、きっと後で仲間になると予想。──イケメンだから。
もう何度も読み返しているけれど、この世界観が大好きなので、さっぱり飽きがこない。正に私の理想ともいえる世界なのだ。
両足をパタパタと解しながらただ黙々と読み耽る。一巻を終えて二巻、三巻。読んでる途中で、自分がその世界に入り込んで主人公たちと共に戦ったり、格好良く助太刀に入ったりといった、ここに私が居たら系の自分勝手な想像をしては一人ニヤけたりして楽しむ。
「あー……うー……」
枕に顔を突っ込んだ状態からリカバリーすると両腕を立て直し、元のポジションに戻る。
どうやら読みながら寝てしまっていたみたいだ。両手の拘束から開放された漫画本が目に入る。それには自称トレジャーハンターの少女、というか幼女のハルルがロイエに抱き付いているという描写の表紙で、四巻と書いてあるのが見えた。
若干瞼が重いけれど少し眠ったからであろうか、なんとなく体調が良くなった気がする。同時にお腹も空いてきた、これはすぐに分かるくらいハッキリしている。
ふと時計を見てみると十二時半を示していた。この時間ならばお母さんが一段落している頃合だ、何かねだりに行くとしよう。
二階から降りると、いつも通りにお母さんの居るリビングへ向う。
「お母さーん、甘いもの食べたーい」
リビングへ入るとそこにお母さんの姿は無かった。ただテレビからは、平日の正午から始まる長寿番組が流れている。いつもは日曜にやっている総集編しか見ていないので、リアルタイムはなかなかに新鮮な感じ。
っと、そんな場合じゃない。お母さんがいないとカップメンだの缶詰といった何とも味気ない昼食になってしまう。折角の風邪、少しくらいの我が儘が許されるこの機会、やはりここはホットケーキとかが食べたいところだ。
うん、ホットケーキ……熱々にバターを乗せてトローリと溶けたらメープルシロップたっぷりと……。──じゅるり。
ああ! 想像したら、お腹はもうホットケーキしか受け付けてくれなくなりました。
一体どこに行ったというのか、我が母君は。
ハッ!? もしや今度こそ魔王に攫われてしまったのか!? おのれ魔王め卑れつ……、
「あらすずめちゃん、もう起きても平気なの?」
リビング入り口付近にて、母の安否を憂う勇者すずめの背後より声がかかった。お母さんの声だ。
「少し眠ったら楽になりました。ホットケーキが食べたいです、母上」
スススッと近寄り、お母さんの服を掴みすがり付くようにホットケーキをねだる。
「それはよかったわ、すずめちゃんが風邪だなんて、明日時期外れのアンゴルモアの大王でも降ってきそうで心配だったのよ。食欲もあるみたいでなによりね」
額に手を当てられた後、頭をぽんぽんと撫でられる。このぽんぽんされるのって結構好きだ。無性に甘えたい衝動に駆られるが、まずは何よりホットケーキだ。
「ホットケーキね、すぐに作るからリビングで温かくして待ってなさい」
「りょうかいです!」
右手を額にかざし、偉大なる母に敬礼。──……どうして私が風邪だとアンゴルモアなのだろう? そもそもアレは時期外れというか期待外れだったと……、今私うまいこと言った!?
疑問を胸に残しながらも、言われた通り自室でカーディガンを羽織った後、リビングで長寿番組の観覧に興じた。
しばらくすると、キッチンの方から甘い香りが漂ってきて、同時にお腹がきゅるると音を立てる。ある意味生殺し状態。いっそ一思いになどと考えながら、ソファーに寝転がり、ううーん、と伸びをする。
当初の希望通り、熱々にとろけるバター、とろーりメープルシロップをかけて頬張ったホットケーキは、甘くて幸せの味がしました。……なんちゃって。
テレビは今、長寿番組が終わり、これまた長く続いているトーク番組が流れている。サイコロを振ってトーク内容を決めるというやつだ。
ホットケーキの製作者である母は、私の隣でテレビを見ながら、私と同じようにとろけるバターにメープルシロップをかけたホットケーキを食べている。
母と共にテレビに一喜一憂しながらホットケーキを満喫し、ゆるーい昼下がりの一時を過ごした。
次の話から異世界に突入します!