学校って所は魔物の巣窟なのかもしれない。 Ⅲ
六
午後の授業の後のホームルームも終わり、足取り軽く教室を出ていくふじみー。「また来週ー♪」等と、やけに嬉しそうにしている。そんなに休みが嬉しいのだろうか? それとも大魔王と上手くいったとか……ないな。それはない。
教室に残っているのは掃除当番の生徒と部活のある生徒だけのようだ。なので帰宅部の私はとっとと帰ることにしよう。
そう思い席を立った時、目の前に立ち塞がるように紗由里が現れた。
「すーずーめー、もう帰っちゃうのー? 演劇部ー寄ってってヨー、そしてついでに入部しちゃってヨー」
「帰るー、超帰るー。寄ってかないし、何度も入部しないって言ってるでしょ。私は帰宅部の名誉会長なんだから」
「そんなこと言わないで私と一緒にあっはんうっふんなラブシーン演じようよー。初めてでも優しくするからさー」
紗由里は後ろに回り込んでくるとそのまま抱きついてくる。私の右肩に顔を乗せ、尚且つ手の位置が非常に危ない。そもそも学校の演劇で、ピュアなボーイミーツガールお断りのラブシーンは無いだろう。それに今演劇部で練習している演目はミステリー系だったはず、どこでどうラブシーンになるのだろう。──そこはちょっと気になるかも。
そんな事はともかくとして、不意に紗由里の手が怪しく動き始めた。
「ほーらー、て・と・り・あ・し・と・りー」
「あーもー」
言いながら私の身体を撫で回し、遂には裾から手まで入れてくる始末だ。セクハラ魔人の真骨頂発揮といったところだろうか。
ボタンが一つ二つと外されていく。このままでは脱がされてしまいそうなので、執拗に攻めてくる紗由里の手を牽制しつつ引きずるようにして下駄箱へ向けて歩を進めていく事にした。
二人密着して非常に歩きにくい状態で階段を一段ずつ降りていく。頬を摺り寄せたり、首筋を舐めたりとやりたい放題の紗由里。肘鉄を入れるなど多少の抵抗を試みる。
静かな攻防の末、牛歩だったがようやく下駄箱に着く。だが結局は健闘も虚しく、紗由里にいい様に身体を弄り続けられた。さすがにちょっとくすぐったい。
「はいはい、もう帰るから放してねー」
服の下でもぞもぞしてる手を無視し、紗由里の右頬を抓る。更に捻りも加える。これは奥の手だ、余りにも残酷で非道ではあるかもしれないが致し方あるまい。
「いひゃいいひゃいー」
咄嗟に両手を私の服の中から引き抜くと頬を守るように私の手を掴んでくる。
目標は達した。抓る手を放して制服を整える。紗由里は唇を尖らせて「暴力はんたーい」等と言っているがそんなのは自業自得というやつだ。
「そういえば、もうそろそろ行ったほうがいいんじゃないの? 今日はー……ほら、なんとかって日でしょ」
「……ああ、そうだった! 頭からのリハーサルだったー! ……どうすずめ、トゥギャザーしようぜ?」
「しない」
「いつもいつもつれない返事ばかりなすずめ、でも分かってる、それは単なる照れ隠しだって。もう、この恥ずかしがり屋さん。あたしがいないからって浮気しちゃだめだかんね。じゃあまたね! すずめ、愛してるよーー!」
「はいはい、またね」
一言ずつ大袈裟に身振り手振りを交え、そして走り去りながらも手をブンブン振り回し、愛を叫ぶ紗由里。昨日も言った気がするけど、そういうことを大きな声で言うのはやめて、目立つから。心底そう思いながら集中する視線の中で一人、紗由里の走っていった方向に「ばいばい」と小さく手を振り返す。
うわばきを履き替えて校舎を後にする。さあ、放課後の探検タイムだ。今日は天気も良いので空もしっかりと見張らなくては。
勇みながら「きゃー、あの人かっこよくないー?」などと黄色い歓声を上げている女子生徒の中を進み、校門を抜けて毎日の楽しみである帰路に着く。やはり学校が終わった後のこの開放感がたまらない。今日はどのルートで帰ろうかしらん。
「くふふふふ、さぁいざ行かん見果てぬ夢と希望のユートピアへ!」
「どこへ行くって? バカすずめ」
まだ見ぬ世界、剣と魔法溢れる別世界へ想いを馳せていると、またバカって言われた。声のした方を振り返ると、校門前に自転車を止めてこちらを見つめている泉の姿があった。
「何よ……、なんでまた居るのよ……」
「どうせまた路地裏にでも行く気だったんだろう? 昨日約束したよな、もう二度と行かないって」
「えーっと……、そんなこと言ったっけ?」
「……やっぱこれだよ」
泉はわざとらしくため息をつくと自転車を牽いて私の傍まで来て朝のように後部荷物置きを指差す。
「さあ、帰るぞ。乗るか歩くかどっちにする?」
「歩く!」
「それじゃあ早く行くぞ」
何の因果か帰り道まで泉と一緒になってしまった。おのれ……見張りとは小癪な真似を……。なんて嘆いていても仕方がない、せめて空だけは見逃さないようにしっかりと見上げておこう。
しばらく進むと、いつもの路地裏へと続く入り口が見えてくる。今日はほぼ諦めていたが、やはりここまで来ると居ても立ってもいられない。今まで一度も欠かす事無く通い続けた路地裏、これしきのことで諦めるわけにはいかない。まずは眼前の敵を切り崩し、なんとしてでも路地裏へ赴かなくては。
そのためには、泉攻略法考察! さあ、奮い立て私の頭脳!
方法その一、体力派の貴方は! 素晴らしいフットワークで華麗に撒く。相手は自転車を牽いている、機動力ならこちらが上だ。がしかし、自転車に乗られたら最高速で圧倒的に負ける。そもそも泉は運動神経が異常だ、正直撒ける気がしない。負ける気がしない? いや、勝てる気がしない。つまり私の足じゃあ負けないんだから……アレ、私勝てる? いやいやいや、だから無理だって。つまり……泉は撒けない、これだ! うん、完璧にしっくりきたねこりゃ。…………この案は却下するしかなさそうだ。
方法その二、演技派の貴方は! 泣き落とし。涙は女の最大の武器作戦。……うん、血も涙もない冷血漢には効きそうにない。想像も出来ない。そもそも私にそんな演技力は無いし、涙腺を自由に操る芸当は持っていない。目薬もない。…………却下。
方法その三、堅実派の貴方は! 説得。私にとって路地裏がどれほどの人生の割合を占めているのか小一時間説明する。……流石に時間かけ過ぎか、五分でいいや、熱く深く説得する。その熱意、私の思い全てを賭けて!
結局出た案は三つ、堅実派の私は、その三がやはり現実的だろう。よし決定、そして実行。早速とばかりに泉と交戦モードに入る。
「泉! まずは黙って私の話しを聞いてほしい。これは私の生活……いや、人生に関わることだから!」
「何だか知らんが却下だ。暗くなる前に早く帰るぞ」
「酷い! 何だかで却下しないで! 人生に関わるって言ってるのにー」
地団駄を踏みながら精一杯主張する。即答なんて余りにも酷いと思う。きっと泉には赤い血ではなく、冷却水か何かが流れているんだ。きっとそうだ。
「人生なんて大袈裟だ、どうせ路地裏に行きたいとかそんなところだろう。分かり易すぎだ。いいか、そもそもお前は無防備過ぎるんだよ
、だから昨日のような事になるんだ。また同じ目に会いたいのか?」
「うううー……。そりゃぁ……まあ……やだけどぉ……。でも路地裏はもう私の一部と言っても過言ではなく、それを取り上げるなんて私に息をするなと言ってるようなものなのよ!」
熱く力説する私、泉は……あからさまに呆れた顔をしている。だがここで引くわけにはいかない、私の人生が懸かっているのだから。
「まあ、私の言わんとしてる事が分かっているなら話しは早い。ほら、別に私一人で行くわけじゃないし、泉が一緒ならいいでしょ? ねえ、いいでしょいいでしょー?」
後はもうひたすら押すしかないと直感した。というかそれ以外思いつかなかった。泉の制服を掴み揺さぶりながら私の路地裏への愛を思いっきり込めた瞳でじっと見つめる。──この思い届け。路地裏良いとこ一度はおいで、ハーヨイヨイ。
「うっ…………」
何やらボソボソ呟く泉、届いたのだろうか。どうなのだろうか。顔色を窺うが、少し視線を泳がせている程度でどうも掴みづらい。こういうことに無駄に頑固なところのある泉はなかなか揺るがない。うーむ、分からない。分からなくて思わず首を傾げる。
「ねー、ダメー?」
泉の泳ぐ視線がふと私に合うとなんだか顔色が赤みがかった気がする。
「ああもう分かった、分かったから! とりあえず放せ」
「あいあいさ!」
よし、なんだか知らないが泉の説得大成功だ。これで思う存分路地裏を探検できる。まあ、王道では一人でが基本だけど今回はしょうがない、妥協しよう。行けるだけで良しだ。
「さあいざ行かん、永遠のフロンティアへ! ゴーゴー、ほら泉も、ゴーゴー!」
「そんなにはしゃぐな、恥ずかしい」
半ば諦めていた事が叶うっていうのはどうしてこうもテンションが上がるのだろうか。分からない、分からないけれど良い気分だ。今なら何かに出会える気がする。期待を胸に栄光への一歩を踏み出す。
さあ、本日の路地裏だけど、流石に昨日の道は暫く近づきたくない。なので、公園を横切り短いトンネルを抜け川沿いを進む、「真夜中は絶対何か出るコース」にしよう。昼だからこそ行ける道というわけだ。──泉もいることだし。
コースも決まった事でズンズンと路地裏を行く、すずめ一行。たまにすれ違う猫に、昨日の黒猫はいないかと注意しながら見ているが似ても似つかぬにゃんこばかりだった。
いくつかの角を曲がると第一の関所、公園が見えてくる。それほど大きな公園ではないけれど、いつ来ても大抵人が居る。
中へ入り見回すと、今日はベンチで休憩するお婆さんと、ブランコで遊ぶ男の子が二人。そしてこの公園の中央には、此処の目玉である螺旋型滑り台があり、そこに女の子と男の子がいる。
「なごむねぇ、泉もそう思わない?」
「あー、そうだな。しかし、こんな所に公園なんてあったんだな」
「ふふふーん、知らなかったんだー。まあ、泉は余り寄り道しないみたいだからねー。じゃあこの話し知ってる? この公園には夜になると魔女が出るんだって。それでね、その魔女は一つだけ願い事を叶えてくれるらしいよ」
「なんだ、ホラー系が始まるかと思ったら、やけにメルヘンチックな話しだな」
「まだまだこれからよぉ。実は続きがあってね、願いが叶った一週間後に両目を対価として持って行かれちゃうの。そしてそれから一週間ごとに右手、左手、右足、左足って持ってかれて、最後には生きたまま胸を切り開かれて心臓を持ってかれちゃうの。そして死んだ人は痛みの余り、もう無い目を見開いて血の涙を流してるんだって……うひゃー」
言いながらゾッとする。不思議な話しやファンタジーな話しは好きだけど、正直この手の怖い話しは得意ではない、でも嫌いというのでもなく、どちらかというと怖いもの見たさが大きいかな。
「メルヘンから急にスプラッタになったな。で、その話しは誰から聞いたんだ?」
「えっとね、たまにここで犬と散歩してるお爺さんに」
あれは確か半年くらい前だっただろうか、今日と同じように路地裏散策をしていると、ベンチに座り子犬と戯れているお爺さんがいた。見ている限り子犬は大分懐いているように見えた。
そのまま見続けていると、母に「犬を飼いたい」等と言い出してしまいそうだったのでそのまま公園を抜けようとした時、突然子犬がこちらを向くと、テテテっと走ってきて足元に擦り寄り、私を見上げながらクルクルと周回し始めた。堂々とスカートを覗くエッチな子犬だったと記憶している。
それが縁でお爺さんとちょくちょく話すようになり、公園の魔女の話しを聞いたというわけだ。イタズラ好きなお爺ちゃんで、たぶん私を怖がらせようとか考えたのだろうが、生憎と私は、怖いながらもそのテの話しは興味があったので、「次は次は?」とせがんだら少し面食らったようになってた。けど楽しそうに、面白い話しをいっぱい聞かせてもらった。
そんな出来事を、泉に簡潔に話す。
「すずめに付き合ってくれるなんて良い爺さんだな」
「うん…………なんか引っかかる言い方だけど……、すっごく良いお爺さんだよ。お菓子もくれるし」
「そりゃあ良かったな」
私の頭に手を乗せポンポンと叩く泉。なんだかすっごく子供扱いされてる気がするけれどキノセイでしょうか?
「今日はいないのか?」
「いないねー。いつも火曜日にはいるんだけどね」
泉は、「ふーん」と短く相槌を打つと、そのまま公園を進んでいった。
「ほら、とっとと先進むぞ」
「はーい」
泉の横まで少し小走りで近づき、何か怪しいものがないか周囲を見回しながら公園を後にする。