学校って所は魔物の巣窟なのかもしれない。 Ⅱ
五
朝のHRを終えるとふじみーは「うふふん」と微笑を残し教室を後にした。その笑みは正しく勝者という立場からくる、一つの優越感だろう。──次は勝つ!
「おはよー、すずめー。それ朝食ー?」
母から渡されたおにぎりを頬張っていると、背後からいつも通りの紗由里の声が聞こえる。振り向くと、その両手に何やら見慣れないものを握り締めていた。ちなみにおにぎりの中身は鮭だ。
「おはよ。朝はバタバタしてたからね。で、一体何持ってるのよ?」
「ああ、これ? じゃっじゃーん」
自ら効果音をつけながら手をひらいてみせる紗由里。それは二本のプラスチック棒が、金属のバネのようなもので繋げられているというような物だった。
「何これ?」
「ふっふっふー、知らないの? 握力増強まっすぃーんだよ」
紗由里は私が知らなかったのが嬉しかったのか、少しばかり得意げに胸を反らし、悦に入った表情をしている。少し殴りたい。
「ふーん、マシンって言うほどの物じゃない気がするけど、まあいいか。で、何で?」
「昨日言ったでしょ、テク向上で病みつきになるくらいヒィヒィ言わせてあげるって。そのトレーニングよん」
言いながら手に力を込めているようだけど、プルプルと震えてるだけで特に変化は見られない。これってこういうものだっけ?
「……テク向上に握力ってどう意味があるのさ?」
「それは……ほら、パワーアップした手で一気に」
握力増強まっすぃーんを机の上に置くと両手を前に突き出し、ひらいた手を思いっきり握る紗由里。痛い、それは間違いなく痛い。そもそもテクとは技のことのはず、何ゆえ握力増強なのだろうか。
「なに? 紗由里は私の胸を握りつぶす気なの?」
「違うちがーう。私はね……すずめがすごく可哀想でしょうがないの! だから、私がこの手で掴むのは胸じゃない、希望なのよ! なのよー……なのよー」
右手を握り締めて言葉の起伏豊かに、もとい演劇のセリフのような言い回しで、エコーまでつけているが、その意味はとてもくだらなさそうな気配が漂う。
「意味が分からないんだけど。何が可哀想なのさ?」
「ほら、よく言うじゃない。揉むと大きくなるって」
「よけーなお世話だ!」
その後、一時間目の予鈴がなるまでの間、紗由里を小突き回し続けた。嬌声を上げる紗由里が少し面白かった。
そりゃあ、紗由里は私より少し…………結構…………かなり…………大きいけど…………。羨ましくなんか……──ウラヤマシイ。
ぶつくさと呟いていると教室のドアが開き、大魔王が降臨する。同時にそれぞれ思い思いに散らばっていた生徒の皆が、早々に席へ戻っていく。カバンから教科書、ノートを取り出すと忌々しい一時間目、数学の始まりだ。
日直の号令で、起立、礼、着席。そして出席チェックが始まる。
「ふむ、欠席は…………いないな」
教室内を一瞥し出席簿に目を落とした神野先生は、そこに何かを書きこみながら、ふと手を止める。
「森野、今日は遅刻か」
「ハ……ハィ……」
唐突に呼ばれ萎縮する。遅刻したのは朝のこと、終わったことだから、もういいじゃあーりませんか。
「プリントはやってきただろうな?」
「もちろんです」
賢者教科書様に挿んであった禁書を取り出し大魔王の元へと還す。昨日勃発した、勇者すずめの聖戦が脳裏に甦る。その禁書に、目を通す大魔王。ふふふふふ、どうだ大魔王。貴様の配下の成れの果ては! 勇者すずめに歯向かったのがそもそも間違いだったのだ! フハハハハハハ!
あれ……なんか、これじゃ私が悪役ジャマイカ。
「ふむ、四十点だな。凡ミスが目立つぞ、もう少し問題と図を良く見ろ。そして、授業を良く聞け」
「はうぁ!」
禁書を半分以上も仕留め損ない、原因が凡ミスという中間や期末テスト時では致命的になりかねない失策を犯し、私のほぼ無益な聖戦はこうして幕を閉じたのであった。めでたしめでたし。──めでたくない!
その後は大人しく授業を受け続け、待望の昼休みとなった。昨日とは違い今日はお日柄も良く、絶好のお弁当日和である。なので、紗由里と共に屋上へと向かう。
「あ、すずめちゃん、紗由里ちゃん」
「げ、ふじみー」
朝のみならず昼間にもふじみーと階段で出くわす。とはいえ、お弁当の時間にはふじみーも屋上でよく食べているのを見かける。なのでこの時間だと遭遇率は高い。そんなふじみーは案の定、現在お弁当を所持している。
「ふじみーせんせーも、おべんとですかー?」
「そうよーん。し・か・も、今日は神野先生と一緒なのよん」
「今度は大魔…………もとい神野先生ですか……、見境ないですねセンセー」
朝の仕返しとばかりに皮肉たっぷりに微笑みかける。今度は、というのは早い話しが、ふじみーは男性教員を片っ端から昼食に誘っているのだ。しかも世の殿方が女性に求める、料理上手という唯一の特技を駆使して豪華なお弁当を毎回こさえてくる。前に一度、一人寂しくお弁当を食べていたふじみーに少し分けてもらったが、流石に唯一なだけあっておいしかった。そしてそんな風に意気消沈気味だったふじみーは、次の日になるとケロっとしていて猛烈アタックを繰り返しているのだ。──ほんと懲りないな。
「だめだよすずめー、ふじみーせんせーは、婚期逃しそうでほんとーに必死なんだから」
紗由里が耳打ちするようにそっと囁く。なので大いに相槌をうった。
「聞こえてるわよあんたら……」
引き攣った表情で睨んでくるふじみー。そろそろにしないと、授業で集中砲火されかねない。くわばらくわばら。
「いつか良いことあるよ、きっと」
「せんせーがんば」
私と紗由里は激励の言葉を残し、颯爽と階段を駆け上がる。ふじみーも大人しくしてれば可愛いと思うのに。
屋上には自販機やパラソル、ベンチやテーブルなどが備えられており、すでに何人かの生徒がいる。各々が仲良しであろうグループ毎に分かれ、お弁当を広げていた。少し遅れてきた私たちは屋上の端っこに陣取ることにした。
「どっこいしょー」
「ふぃー」
掛け声と共にベンチに腰をかける二人。年寄りっぽくても気にしない。ようやく落ち着いたところで、お弁当を広げ昼食タイムだ。
いただきます。
紗由里と二人で他愛のない話しをしながら食べるお弁当はおいしい。お母さんが必ず入れてくれる私の好物、甘い玉子焼き。そしてジューシーなから揚げなどを頬張りながら白い雲の浮かぶ青い空を見上げ、未確認飛行物体及び生物を探したりする。とても心安らぐ一時だ。
だが安らぎというのは唐突に崩壊する事もある。平和な村にドラゴンが来襲するが如く。そして今日はそんな不運な日でもあった。
「どーもー、すずめちゃん、紗由里ちゃん。隣いいかしら? 他はどこも空いてなくて」
目線を向けるとそこにはふじみーが立っていた。それだけならまだしも神野先生までも同伴していた。ドラゴンではなく、大魔王の来襲とかどんな無理ゲー。
確かにふじみーの言うようにベンチは人で埋まっていて、私達の所は若干ゆとりがある。だからといって流石にあの大魔王と、和気藹々とお弁当を食べるなんて想像できない。むしろ授業云々の事を切り出されたりすることを考えると生きた心地がしない。
「いいですよー」
躊躇する私を余所に、勝手に了承する紗由里。そして私をグイグイと端っこまで押しやりベンチに空きを作っている。押されるがまま、むしろ押し倒されそうな勢いで端まできてしまった。──うああああ、紗由里のバカーーーー!
「うふふ、ありがと」
「邪魔するぞ」
軽くウインクするふじみーと、顔色を変えずいつもの仏頂面でベンチに着く神野先生。並びは正面から見ると左から、勇者すずめ、セクハラ魔人、サキュバス、大魔王となる。──ここはどこの魔界ですか?
「神野せんせーも、よくふじみーせんせーの誘い受けましたねー。意外ですよー」
気軽に話しかけている紗由里。怖い物などないのだろうか。
「あらなに? 失礼ねー」
プリプリ……という形容が一番しっくりくるだろうか……。ふじみーはプリプリと怒った素振りをみせる。正直……いやなんでもない。
「ふむ、女性から食事に誘われたのだ、赴くのが男の礼儀だろう」
真正直に答える神野先生、紳士的な回答だ。
「あーん、神野先生ってばす・て・き。はいこれ、お弁当ですわぁ」
背筋を悪寒が世界新で全力疾走するほどの猫なで声で媚びりまくるふじみー。見ているこっちが恥ずかしくなってくるくらいなのに、その矢面にいる大魔王はどう反応するのか。
「ああ、ありがたく頂かせてもらおう」
顔色変えずに対応した神野先生。ちょっと尊敬。とはいえ、現状が変わるわけではない。今でも授業云々がいつ出てくるのか気が気じゃない。逃げたい。逃げ出した勢いで摩訶不思議ワールドに迷い込みたい。
ふじみーも神野先生も紗由里までもが、私の気も知らずにお弁当を食べ始める。ヘタなことを言ってプリントを貰う他色々な事だけは避けたいので大人しく食べてよう。
「ねーねー、すずめー」
「ん、何よ?」
ふじみーのゴージャスなお弁当からアスパラの肉巻きを掻っ攫いながら紗由里が顔を寄せてくる。近い。ちなみにふじみーは、神野先生とのコミュニケーションに夢中で気づいていない。
「神野せんせーのプリントってどんな問題だったの? 昨日から気になってたんだよねー」
「ちょっっっっ!? 何で今そんな事を!」
「えへへー、神野先生見たら思い出したー」
忌々しいほどにこやかに思い出してくれましてこのやろう。とにかく後だ。今この状況でその話しをしたら、どう考えても大魔王の耳に入ってしまう。そしたら授業中の私やプリントとかについての話しになる可能性が高い。で、それがふじみーの耳にも入り、そのままお母さんへ伝えられて私は……。──いやぁぁぁぁぁぁぁー!
「分かった、そのことは後で……」
「何だ、呼んだか?」
ノオオオオォォォォォォォォォ! 大魔王、呼んでないのに降臨。
「あ、神野せんせー。すずめに渡したプリントってどんなのだったんですー?」
紗由里……せめて私の名前を出すのはやめて……。
「あれは、前回分の授業内容を段階的にまとめたものだ。それほど難しくはせずに授業を理解しておけば十分出来る範囲になっている。復習用ともいえるな」
「前回分ってことは、前々回とか、毎回分作ってたりするんですか?」
「ああ、問題作りは私の趣味でな、本来はただの自己満足だったのだが少し出してみたくなったのだ。そんな時に丁度いい具合に呆けている森野がいたわけだ」
つまり早い話しが、きまぐれによる被害者第一号ってことになるんですね。私ってばタイミング悪すぎですね。お願いですから、自己満足で終わらせておいてください。
「それじゃあ、四十点のすずめってそれだけ授業聞いてなかったって事ですね」
「そういうことだ。森野、なんなら本日分のプリントも持っていくか?」
「けけけけ結構ですーーー!」
それだけは勘弁して下さい。というか、私の想像した通りの嫌な流れになってきた。このままいくと隣で興味深そうに聞き耳を立てているふじみーからお母さんへ……。──あぁぁぁぁぁぁー! 許して下さい母上ー!
「ふーん、すずめちゃんって数学の授業は余り乗り気じゃないのね。こんなに勉強する環境に恵まれてるのは今だけなんだから、しっかり勉強しておかないとダメよ。それともお母様から直接言われないとダメかしらー?」
微笑を浮かべながら不敵に私を見つめるふじみー。奴は知っているのだ、私のお母さんが怒ると怖い事を。
前に三者面談で私の成績の悪さに対し、私と共にその場に居たふじみーも母の怒りを目の当たりにした事があった。それは噴火するような怒り方とは違い、水面下で沸き立つマグマの如くだ。そしてじわじわと足元をから迫ってきて、いつの間にか逃げ場を失う。そんな恐怖。私が恐れおののいている様をふじみーは覚えていた。だから母に伝える事を持ち出されたら、私は言うことを聞くしかなくなるのだ。
「ううう、卑怯なりふじみー……」
「それじゃあ、ちゃんと神野先生の授業をしっかり受けるのよ」
「はい、善処します……」
ここで肯定しなければ母へ密告されてしまう。真に如何ながら余りにも残酷な約束をさせられてしまった。
これでもう、数学の時間に妄想に耽ることも出来なくなりそうだ。もし上の空でいたら……。「神野先生、すずめちゃんはちゃんと授業をうけてましたか?」 「いや、何やら上の空で、てんでやる気がなさそうだったよ」 「まあ、それはいけないわ、お母様に叱ってもらわなきゃ」 ジリリリリ、ガチャ 「はい、森野です」 「あ、すずめちゃんのお母様ですか、私担任の藤林といいます」 「あら、娘がお世話になっております。今日は如何なさいました?」 「ええ、それがですね、数学の授業態度が良くないと担当の教師が嘆いておりまして。お母様から何か言っておいていただけませんか?」 「まあ、そうでしたか。不出来な娘で申し訳ありません。帰ってきたらしっかり言い聞かせておきますので」 「ありがとうございます、ではこれで失礼いたします」 「娘のことでわざわざ申し訳ありません」 ガチャリ。 「ただいまー、お母さんおやつー」 「すずめ、ちょっとこっちにいらっしゃい」 「なーにー、お母さん?」 「さっき担任の先生から電話がありました。数学の授業態度が悪いと」 「げっ!」 「覚悟は出来てるかしら? すずめ…………」……──いやぁぁぁぁぁぁぁー! 関節は! 関節は許してーーーー!
まずい! それは非常にまずい! 私の命すら危うい状況。もはや私には選択の道は残されていないみたいだ。──ううう、だから嫌だったんだ。紗由里のバカ……。
隣では三人が、神野先生について、という話題で盛り上がっている中、私は意気消沈しながらお弁当を機械的に食べ続けていた。
予鈴が鳴り生徒が疎らになり始める頃、すでに食べ終わった私はぼーっと空を見続けている。このまま空に溶けてしまいたい気分だ。キャトルミューティられてもいい。
「藤林先生は料理が上手ですね。実に美味でした」
「あら神野先生ってばお上手なんですからー」
などと良くありそうな会話がふと耳に入る。目線を下げるとそこには、ベンチから立ち上がったふじみーと神野先生の姿があった。
「じゃあ、すずめちゃん紗由里ちゃん、またホームルームでね」
「邪魔したな、これで失礼する」
「はーい、せんせーまた一緒に食べようねー」
紗由里が不吉なことを口にしていたが、私は手を振り挨拶とするので精一杯だ。
「すずめー、神野先生って結構良い人だよー」
「あー、さいですかー」
良い人だろうとなかろうと、これから数学の授業中は形だけでも整えなければいけない事に変わりはなく、それは私にとって拷問に近い。
「はぁ、私達も行こうか」
「おっけー」
二人立ち上がり空になったお弁当と水筒を手に教室へ戻る。途中で再び空を見上げると、形を変えながら流れていく雲と眩しく光る太陽が目に入り、思わず目を細め手を翳す。
指の隙間から覗く狭まった空は少し薄暗く、今の私の心境によく似ていた。
「はあ、とんだランチタイムだった……」
「あははー、私は楽しかったけどねー」
お気楽で意外と優等生な紗由里が少し羨ましい。否、すごく羨ましい。──胸も……。
遠くからか、飛行機の飛ぶ音のようなものが聞こえてくる。見渡す限りに機影はなく、大分遠くから響いてきているのだろうか。見上げた空には、未確認飛行物体及び生物は見つからなかった。
結局、終わろうとしている休み時間で残ったのは、中途半端な満腹感と、刃物を喉元に突きつけられたかの様な約束だけだ。
ここで、日常折り返しになります。
紗由里さんの名前は、まんま百合から付けたりしました。




