きっと有名人は、こんなホテルとかに泊まっているに違いない。 Ⅳ
十七
──……認証完了、全工程終了しました。これより最適化後、ドライブαからドライブεまでの利用制限の解除を開始します。その間、操作を一切受け付けなくなりますのでご注意ください……──
スフィアからいつもの調子でメッセージが流れる。あれから何時間経ったのか覚えてないが、結構な時間が経っていると思う。この長い時間で認証作業以外にやった事といえば第三段階目と第四段階目の間に、一度トイレに行ったくらいだろうか。
ともあれこれで、全段階の生体認証が終わった。完了時にスフィアが何か良く分からないことを言っていたが、それはまあ後にして今はこの説明書に載っている正式使用、一時使用、スタンバイモードというのが気になってしかたがない。
この項目は、第四段階目の説明の後半に少しだけ掲載されていて、全段階を終了した後に関係しているらしい項目みたいだ。
早速とばかりに認証が完了したスフィアにどんな変化があるか見てみると、何やら長い横棒があり、左から少しずつ右に向って縦の線が増えていっているところだった。これは、パソコンとかで何かをインストールしたりしてるときの途中経過を表すバーに似ている。これもそういう事なのだろうか。
「そういえば、操作を一切受け付けなくなるって言ってたような……」
スフィアから発せられた言葉を思い出す。バーの速度から見た感じでは、かなりの時間がかかりそうだ。
とてもとても気になってしょうがないが、今日これ以上はいじれなさそうなので大人しく寝ることにしよう。
スフィアをそのままテーブルに置くと転がっていきそうなので、ソファーの隅っこに置いておく。
先ほど気になった項目について先に説明書で調べてみようかと思ったが、これ以上は進めないとなると単なる生殺しになってしまうので、明日の楽しみにとっておく。まだまだ初日なのだから焦る必要は無いのだ。
チラリと時計を見てみると、もう零時を過ぎていた。普段ならとっくに寝ている時間だ。
ふーむ……自覚したからだろうか急に眠気が回ってきた感じだ。
ふらりふらりとキッチンヘ向う。寝る前に歯を磨かなくてはいけないと思い、都合よく歯ブラシでもないかと物色しに来たのだ。
フォークを探したときは、フォークしか探していなかったからそれ以外はほとんど目に入っていなかったので、もう一度片っ端から引き出しを調べる。
結果、収穫無し。なんてこったい。
だがしかし、もう一箇所だけありそうな場所に心当たりがある。それは、脱衣所だ。
またふらふらと脱衣所へ向かい、洗面所の引き出しを漁る。
結果、運良く上から三段目の右の隅っこに、目的のブツを発見することにが出来た。しかも歯磨き粉と思しきチューブまで一緒だ。何だか高級ホテルに泊まっているかのような感覚に陥る。ここに来て何度も思った事だけど、どこぞのお嬢様にでもなった気分だ。
チューブから中身をうにうにと出すと、手に持った歯ブラシにのせて口の中に突っ込む。シャコシャコと右手を動かしながら、うがい用に御あつらえ向きなコップに水を注ぐ。口の中がちょっと薬っぽい清涼感でいっぱいになって暫らくしてから「ぐちゅぐちゅ、ぺっ」と洗面台に吐き捨てた。そしてもう一回だけ濯ぐと、脱衣所を後にした。
のらりくらりとベッドルームへ向かい、白いベッドに飛び込む。ぼよよんよん。
スプリングによる反発が半端じゃなかった。軽い浮遊感が何とも揺り篭的な感覚で、なんだかとても落ち着く。
ひとしきり跳ねると転がるようにベッドに潜り込む。するとゆっくりと周りの光が薄くなってきた。ベッドに入ると自然に消灯とは、古代って素敵。
よくよく思い出してみると裸で寝るのは初めてだ。下着でって時はあったけど今回は正真正銘、生まれたままの姿。そんな私の全身を包む、ふっかふかの毛布の肌触りがとても気持ちいい。これは少しクセになりそうな・よ・か・ん。
暫らくの間その肌触りを満喫し、一番落ち着くポジションを探しながらベッドの中でもぞもぞする。
スフィアは明日になったら操作出来るようになってると思うので、起きたら説明書でよく調べて、実戦で使いこなせるようになるまでしっかり練習しようと思う。
そういえば、本棚には他の本も色々並んでいた。この世界について何か判るものがあるかもしれないから、それについても調べてみよう。
「くふふふふ、明日も忙しくなりそう」
明日の計画を立てながら、毛布を抱くような格好で落ち着くと、今日一日の疲れがドッと押し寄せてきたように全身に倦怠感がのしかかる。
そのまま眠気に引っ張られた私の意識は夢の中へとゆっくり落ちていった。
「ぬぅ……」
目が覚めたのと同時に、手元を離れベッドの中でごちゃごちゃになっている毛布を丸め直して引き寄せる。
その毛布に顔を埋めながら、全身を走る寒気と昨日の意気込みを蹴散らかすような気だるさを感じて、思い出したことが一つ。
「風邪……ひいてたんだっけ……」
昨日は少し調子が良くなったので冒険に出かけて、そのままこの世界に来たのと同時に命の危機に瀕した後、魔法が使えるようになるという早急な状況変化に見舞われた。
そして私自身が最高潮のテンションになってた事で忘れていたが、それは結局少し調子が良くなっただけであって、治った訳ではなかったという訳か。
更に言うと、そんな状態で森の中を汗だくになるまで走り回った。落ち着いた後も練習と称して激しい運動をするなんて、そんな病人聞いたこと無い。故に今のコンディションは最悪だった。
「う~……ダルい~……動きたくない~……」
とは言ったものの、ベットの中でうだうだしてても催してくる生理現象は誤魔化せない。身体を引きずるようにしながらトイレに向かい用を済ます。
まだ紙などをどうすればいいのか分からないので、そのままバスルームでさっと流すと、ふと思い出したので、テーブルの説明書とソファーのスフィアを手に取る。
何ともなしに時計を見てみると六時三十分ちょっとだった。大体六時間ほど眠ったのか。それでも普段の私にしてみればまだ眠っている時間だ。
少し喉の渇きを感じたのでキッチンでコップ半分ほどの水を飲んでから、ふらりふらりとベッドルームへ戻った。
ベッドに潜り込みながら思う、只でさえトイレに行くのも面倒なのに、余計な手間もあるから更に面倒だ。風邪が治ったらまず紙を探そう。ちなみに水の方は用を済ました後に自動で流れるようになっているみたいで、ホッと一安心だ。
「さてと……」
まだ眠気が残っているが昨日の続きが気になる。ベッドに横になりながらスフィアを見てみると、いつもの初期表示に戻っていた。どうやらもういじってもよさそうな感じだ。
やはり実在する魔法のアイテムを手にすると、自然と数時間前の高揚感が甦ってくる。
熱に浮かされた頭で説明書を手に、目次から昨日気になった項目についての記述を探しページを開いてみるが、なんだか余り文字が頭に入ってこない。
「あう~~……」
気持ちだけは先行しているのに、脳の処理が追いついてない。昨日の予定ではこんなはずじゃあなかったのに。風邪が恨めしい……。
スフィアを指先で転がしながら枕に顔を埋める。何だかこのまますぐに眠れそうだ。
「古代文明の特効薬とかどっかにないのかな」
まあ探そうにも、あるか無いのか分からない物を探す気にもなれず、毛布を抱きながらダルさに任せてウトウトする。
「このまま、また寝ちゃおうかな……」
もしかしたら昨日のように、少し寝れば調子が良くなるかもしれない。とはいえ、昨日よりも状態が悪いので余り期待は出来ないけれど、ちょっとでもましになるなら御の字だ。
瞳を閉じたまま、やることも無いので次に登録する魔法を考察する。うん、こんな状態の頭だけど、考えるだけならばどうにか問題なさそうだ。
続きも気になるが、説明書をまともに読めなければどうしょうもない。どうせ逃げる物じゃないし、ここはゆっくりと楽しむとしようじゃないか。
「うーん……、近距離用が欲しいところだねぇ~……」
スフィアに今登録しているのは四つ。遠距離系二つと中距離一つ、そして防御系が一つだ。懐に入られるとちと辛い。
光の剣みたいなのが出来るといいんだけど、どうなんだろう……。
いくつか浮かんだ案をまとめ、実際にどのくらい再現可能なのか後で調べてみようと思いながら、自然と意識は薄らいでいった。