俗に言うチュートリアルってところか。 Ⅰ
ハティの性格は、自分の理想とする紳士像です。
狼紳士です。
十一
声も涙も枯れるほど散々泣き散らしたからか、さすがに少し落ち着いた。その間ずっと、ハティは何も言わずに私に付き合ってくれていた。
「大丈夫かね、すずめ殿?」
「あ……は、はい。ありがとう……、ほんとにもう色々と」
「気にするな、無事で何よりだった。しかしすずめ殿、さすがにその小さな武器ではこの森のアクゼリュス相手には厳しいと思うのだが」
「えっと、とりあえず眼を狙って逃げようかと思ってたんですがダメだったですかね」
「ふむ、なるほど。眼を潰せれば確かに逃げることはできそうだが、それが精一杯であろう。失礼だが、見たところすずめ殿の力量ではまだこの森は早いと思うが、何か目的でもおありなのかな?」
目的……まあ目的といえば剣と魔法の世界に行くことだったのだけど、この場合は、この森に来た目的ということか。……ぶっちゃけそんな目的あるわけない。というより気づいたらこの森に居た。事故のようなもんだ。どう説明したものか。
「えっと……、森に来たというか、いつの間にか森にいたというか……」
「いつの間にか……とな?」
「うん、その……落ちてた水晶玉を拾ったら、いつの間にかあの熊みたいな魔獣……えっと……」
「アクゼリュスかね?」
「そうそれです。そのアク……ゼリュス……とかいうのが後ろに居て、ここまで必死に逃げてきたと……そんなわけで……」
とりあえず経緯を簡単に説明する。正直、私もどうしてこの森に来てしまったのかさっぱり分からない。
「ふむ……。して、その水晶玉というのは今どこに」
「あ、えっとえっと」
そうだ、水晶玉を拾ったらこうなったんだから、その水晶玉が一番怪しいじゃないか。しかもこれはあの占い師の落し物だ、どうして気づかなかったんだろう。
カバンの中にしまってた水晶玉を取り出す。結構激しく運動していたけれど、そこはさすが水晶玉、キズ一つ付いていなかった。
「これが」
水晶玉を掌に乗せて、ハティの目線に差し出す。
「ほう……、これはスフィアではないか。この光加減からすると、まだ未登録のようだな。これを拾ったと?」
「は……はい」
「ふーむ、未登録のスフィアが転がっているとは、どこかの遺跡か何かに行っていたのかね?」
「いえ、ちょっと人通りは少ないけれど、街から少し外れたトンネルの側で」
「トンネルの側と……、そのような人通りのある所にスフィアが転がっているとは俄かには信じ難いが、すずめ殿が嘘を吐いているようにも見えぬしな」
さっきから、ハティの言葉の中に、スフィア、という単語がちらほらと散乱している。これはどう考えても、今私が手にしている水晶玉の事を言っているのだろう。つまり私が拾った占い師の落し物は、この世界でスフィアと呼ばれる物だったのか。そうなると、やはりあの占い師は……。
背筋がゾクリとした。恐怖からではない、大きな謎に心が歓喜しているかの様だ。
「えっとこれは、ただ落ちていたんじゃなくて……」
私は、自分がここに来る前まで住んでいた世界と、このスフィアの持ち主であろう占い師について、記憶の限りの事をハティに話すことにした。
「つまり、すずめ殿はこの世界の住人ではなく、その占い師とやらに導かれてきたと」
「そんな感じです」
説明を終えて、一息付く。安心したからだろうか、急に喉の渇きと空腹に気づく。
ハティが言うには、ここの湖の水は飲んでも大丈夫だという事で、勿体無いので地面に置いたビーフジャーキーを水洗いしてから口へ運び、湖に直接口をつけて水を飲む。乱れた髪が湖に浸り漂うが気にしない。むしろこのまま裸になって水浴びでもしたい気分だ。
貪るように食事を済ました後、随分と平静を取り戻すことができた。とても紳士的で、優しいハティが傍に居るからだろうか、あんな危険な生物がいる森の中なのにすごく落ち着く感じがする。
「ふーむ、別世界に占い師……。スフィアを持っていたとなるとあの方と何かしら関係が……」
ハティが呟きながら思考しているので黙って隣で待つ。やはり別世界からの来訪者というのは珍しいのだろう。
しかし、改めて良く見ると、やっぱりハティの銀色の毛並みはうっとりするほど綺麗だ。このフカフカに包まれて眠ってみたい。
「おっと済まない、考え込んでしまった。まずはすずめ殿の現状をどうにかすることが先であるな」
不意にハティと目が合った。するとなんだか急に恥ずかしくなって俯いてしまった。どういうわけかドキドキする。恋する乙女のような気分だ。──って、相手は狼で守護獣ですよ!?
「そんな、滅相も無い。私の事は気にしなくていいです」
「そういうわけにもいかぬだろう。この森は知っての通りアクゼリュスが徘徊しているので、すずめ殿には非常に危険だ」
「う……確かに」
その通りだ。あんな熊……えっと、アクゼリュスがどんだけいるか知らないが、あんな危ないやつにハティが居ない時に出会ってしまったら今度こそ大惨事だ。
「我も出来うる限り滅してはいるのだが、如何せん数が増えるのが早い。人間たちもまた定期的に討伐隊を出してはいるが、それでも過剰な増殖を防ぐまでに留まっている次第だ」
「そんなにいっぱいいるんだ……、一体アクゼリュスって何なんですか?」
「ふむ、簡単に言うと生物全てに害をなす存在だ。その目的は分からないが、人間や動物などを襲うため我ら守護獣もこのアクゼリュスの殲滅を重視して行っている」
「なるほど、問答無用で襲ってくるわけですね」
「そういうことだ。だからすずめ殿もアクゼリュスと出会ったら倒せない相手と判断した場合、逃走した方がいい。倒す場合は完膚無きまでにだ」
「分かりました!」
「とても良い返事だ。後は、すずめ殿の安全だが……我が付添っていれればいいのだが、それではすずめ殿も息苦しかろう。そこで提案なのだが、幸いなことにすずめ殿は今、未登録のスフィアを持っている。それを利用するのが一番なのだが、話の限りではすずめ殿の物ではなく、その占い師の物であろう。だがこの際は緊急処置ということで致し方あるまいと思うが如何かな?」
正直、ハティがずっと一緒に居てくれる方が私としては万々歳なのだけれど、なんだかそう頼むのは図々しい気がした。ハティにも都合があるだろうし、アクゼリュスの殲滅とかで何かと忙しいと思う。それなのに私の為に付きっ切りなんて非常に嬉しいけれど念願の別世界に来れたのだ、自分で出来ることがあるなら自分でどうにかしてみたい。
「大丈夫だと思います。あの占い師のおばあちゃんすごく優しかったし、きっと説明すれば分かってくれるはず……」
「よし、ではまずは安全な所へ移動するとしよう。この近くに昔、人間の研究所だった施設がある。今は使われていないが、まだ機能は生きているはずだ。そこに向おうと思うがよろしいかな?」
「もちろん。でもこのスフィア? っていうのは一体何なんでしょ?」
「そうであったな。では着いたら、それについても説明するとしよう」
「よろしくおねがいします」
ペコリと頭を下げる。
スフィアを戻したカバンを肩に掛けながら立ち上がると、忘れ物が無いように地面を見回す。彫刻刀は鞘に入れてカッターナイフと共にサイドポケットへと戻したので大丈夫だ。
ああ、研究所……、もしかしたら何か面白いものが見つかるかも知れない。期待に胸が膨らむ。──本当に膨らめば……ううん、なんでもない。
「では行こう。我の背に乗るといい」
身を屈めたハティは、背中に乗るように促してくる。いいのだろうか、私なんかが乗っても……。なんだかおこがましい気がして少し戸惑う。
「この前足を踏み台にすれば簡単に登れる。さあ、すずめ殿」
恐れ多いと躊躇する私に、ハティは前足を伸ばしてくる。正直、初めて見た時からこの毛並みを跨ぎ、疾走するとどんだけ気持ち良いかと憧れてた。それがまさかこんなに早く願いが叶うとは思わなかった。
「では、失礼します」
言いながら靴を脱ぎ、前足に乗っかる。足に感じた、ふかふかと柔らかい毛がとても気持ち良い。
「すずめ殿、靴は脱がなくても良いのだが」
「それが……、すごく綺麗な毛並みだから汚したくなくて」
「ハハハ、綺麗か、ありがとうすずめ殿。だが気にする事は無い、我の毛は汚れに強いのでな。靴はしっかり履いておくといい」
「それでは」
そのまま履き直すのもなんなので、屈んで靴を左右両手に持ち叩き合わせ、土を落としてから履き直した。
前足からよじ登るようにして背中へと跨ると、銀の草原にでも居る気分になるほど綺麗な光景が広がった。
「では少し揺れるので、どこでもいいから我の毛をしっかりと掴んでおいてくれ」
「こ、こうかな」
言われるままに、目の前に広がる銀色の毛を掴む。
「ふむ、すずめ殿は優しいのだな。だがもっと強く掴んでも大丈夫だ。こう見えても我の毛はとても頑丈であるからな」
「り、りょーかい!」
お言葉に甘えて、しっかりと巻き込むように毛を掴み直す。
「よし、では行くぞ」
ハティが四足で立ち上がると、すごく視点が高くなる。森を見渡し、先ほどはじっくりと堪能出来なかった輝く湖面が目に入る。
ゆっくりと加速していく景色を、銀色の狼に跨り満喫する私。さっきまでの地獄とは一変して天国だ。この非現実感、正に夢見心地だった。そして思う、今の私ってすごく格好良くない? と。
ああ、是非とも写真に撮って永久保存しておきたい。
木の枝で囀る色とりどりの小鳥がなんとも愛らしい。頬を撫でる風が心地良い。溢れる森の香りが心を洗っていく気がした。
ああ、あそこの虹のように輝く岩……、アレを加工するとすっごい武具になりそう……。ああ! あの大きな角、きっと良質の素材に違いない。そういえばさっきのアクゼリュスの爪とか牙も、絶対良い武器になりそうだ。さすが森、素材の宝庫だ……って、ちがーーーーう!
景色を楽しんでいたはずが、いつの間にか脱線してるし。乙女っぽく、「うふふ」とかほざきながら花を愛でたいが、テンション上がってきた今の私では、どんな薬になるのだろう、などと考えてしまいそうだ。これがゲーム脳というやつか……トホホ。
こんな剣と魔法の世界にいると思えるような素敵体験に浸っていると、徐々に辺りが霧がかってきて期待がドンドンと膨れ上がっていく。
適度に感じる振動も心地良かった。




