⑤ 重そうなトートバッグ。固辞する和奏。『これはあたしが持っていたいから大丈夫よ……』
初デートへと向かうべく、マンションを出発した僕たち。しばらく駅までの道のりを、ふたり並んで歩いていく。
隣の和奏へ視線を向けると、先ほどマンションから持ってきたトートバッグが肩にかけられている。
バッグの口はジッパーで留められており、中は見えない。しかし、デートにこのバッグは重そうだな……。
「それ、重くない……? 僕が持つよ……?」
「い、いえ……これはあたしが持っていたいから大丈夫よ……」
「そ、そう……? 分かった。辛くなってきたら持つから、言ってね?」
あまりしつこく言うのもどうかと思い、いったん引き下がる。
「ありがとう……優」
そんなやりとりを挟みつつ進んでいくと、やがて駅前通りへと出る。
駅にだいぶ近づいてきたのか、電車がレール上を走っていく音が聞こえてきた。手前の信号が赤になり、立ち止まる。
「和奏、これからどこ行くの……?」
「電車で一時間くらいのところよ。あたしもはじめて行く場所だから楽しみなの」
駅に到着して私鉄に乗る。和奏と並んで座席に腰かけた。
電車が動きはじめ、加速していく電車の車窓から景色を眺める。
和奏はバッグから文庫本を取り出して読みはじめてしまったため、仕方なく僕は、ボーッと看板や建物を見ることに。
「次は、溝ヶ淵〜、溝ヶ淵〜、溝ヶ淵で三分ほど停車します……」
三十分ほどして僕が住む街、溝ヶ淵の駅に停車した。普段、バス通学の僕はあまり電車には乗らないが、たまに用事があった際に利用する、その駅。
ホームから見える、駅前のマスドの看板。
……あ、あのマスド、中学の頃、友達とよく行ったなぁ……え? 友達……?
──そこで、ようやく思い至る。
地元の駅。つまり、知り合いに見つかるリスクが一番高い、ということに……。
もし、中学時代の友達が、近所の人が、今の僕の格好を見たら……?
万一、知り合いに僕が女装していると、ばれたら……。
──冷や汗がドバッと溢れる。
「ハァ、ハァ……」
──い、息が……苦しい……!
胸のあたりに手を当て、必死に顔を俯かせて誰からも見られないようにする。
文庫本を閉じた和奏が、こちらを心配そうに伺う。辛そうにする僕の様子に事情を察したのか、隣から僕をそっと抱きしめてくる。
「大丈夫よ……」
背中を優しくさすり、耳元で囁くように言われ、すこし気持ちが落ち着いてきた。
「はぁ……」
一息ついた僕。
和奏からそっと体を離すと……。
──そこに至って、そもそも僕たちの周りには、誰もいなかったことに気付いた……。
◆◆◆◆
停車時間が過ぎ、電車が走りはじめる。
そして、そこからさらに三十ほど経過した頃。
「ここで降りるわよ」
停車した電車。ホームへと降り立つ。
広々とした改札を抜けた。駅前に出ると、様々な形や高さのビルが建ち並んでいる。
はじめて来る駅だが、なかなかいい雰囲気の街だ。
「どこに行こうかしら?」
「……決めてなかったの?」
「家から遠い場所を選んだだけだから……近場だと、知り合いに見つかるリスクが高いでしょ? ……そう言えば、さっきは配慮が足りなくて、ごめんなさいね……?」
先ほどの、溝ヶ淵駅でのことだろう。
「うぅん……和奏が抱きしめてくれて、なんだか安心した。ありがとう……」
「ふふっ、よかったわ……さっ、行きましょ?」
彼女は僕の手を摑むと、ふたりで街の中へと歩みを進んでいく。
◆◆◆◆
駅から五分ほど歩く。
本日の和奏は、長い黒髪をポニーテールに結んでいる。普段はしていない銀縁の眼鏡までかけている。変装のつもりだろうか……?
「あっ、見て!」
突然走り出す和奏。
「そんな大きな荷物抱えて走ったら危ないよ! じゃない……危ないわよっ!」
自ら言葉遣いを訂正しつつ、急いで彼女を追いかけた。
◆◆◆◆
「これ可愛くないっ?」
ちょこんと、地面にかがんだ彼女。
店先の床に置かれたケース内に並ぶ、小さな食器たちを指差している。
「たしかに可愛いな……いえ……可愛いわね」
僕の言い方に、和奏の表情が渋く染まる。
「……無理してあたしみたいな話し方しなくてもいいと思うけど」
「いや、万が一知り合いに見つかったら、言葉遣いでばれそうでだし……」
「……その前に、声だけであなたって分かっちゃうかもしれないわよ?」
……どっちにしろ詰みだし!
そんなやりとりをしていると、和奏が通りの向こうを見て木製の看板を指差す。
「あっちに喫茶店があるわよ。少し休みましょう?」
視線を向けると、段差を下りたところに小さな店が見えた。
『喫茶 時代家』と、看板に店名が記されている。
ひとりで入るには、ハードルが高そうな店だな……。
しかし、今はひとりではない。頼もしい味方。僕の彼女である和奏がいる。
「……うん、ちょっと休んでこっ!」
僕は、明るく答えるのだった。
◆◆◆◆
すこし緊張しつつも、喫茶店、時代家の扉を開ける。
カランコロンと小気味いい音が店内に響いた。
カウンターには、顎髭を蓄えた、強面の渋いマスター。そして、テーブルを拭いているウェイトレスさん。
店内は昭和レトロ漂う雰囲気で、黒電話や、レコードプレイヤーなど懐かしい品々が、そこかしこに並べられている。
ウェイトレスさんが掃除の手を止めて、こちらへとやってきた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「ええ」
「では、ご案内致します」
ちょっとおしゃれな、その店内。
──や、やっばり、ちょっと緊張してきたかも……!
思わず、隣に立つ和奏のブレザーの裾を、指先で摑んでしまう。
「こちらのお席にどうぞ。フフッ……ごゆっくりしていってくださいね……?」
ウェイトレスさんの目が、僕の手。
和奏のブレザーを摑んでいる、その手を見ている。
み、見られた──!
あまりの恥ずかしさに、慌てて手を離す僕。
「……どうしたの?」
上目遣いに和奏が訊ねてくる。
「いや、ウェイトレスさん見てたから……」
「そう? 気にしなくていいのに……」
不満げに漏らしつつ、トートバッグを足元へ静かに下ろす。
すこしして、先ほどのウェイトレスさんが、温かいお茶と、メニューを運んできてくれた。
僕の前に丁寧な仕草でお茶を置いてくれるウェイトレスさん。
「熱いから気を付けてくださいね?」
ニコリとこちらに微笑みかけてくる。
「あ、ありがとう……」
小さな声で答えた僕。
──ウェイトレスさん、もしかして、女装だって勘づいてる……??
「ね、ねぇ、和奏……ウェイトレスさんに男だってばれてないかな……?」
「……そう? どう見ても、素敵な女の子よ……鏡見る?」
和奏がバッグから手鏡を取り出し、こちらに見せてくる。その鏡に反射する、僕のキラキラとした顔。
「うっっ……」
──その輝きに、眩しさに、思わず目を逸らしてしまう。




