⑲ 東京バトル9。恋人の証明。『ラブラブなハグをお願いしまする……!』
「ハァ、ハァ……」
膝に手をつき、息を整える和奏と僕。
和奏に絡んでいたふたり組からなんとか逃げきった僕たちは、先ほどいた商業ビルから遠く離れた場所で体を休めていた。
「ご、ごめんなさい、優……セルフレジで支払いしたあと、本屋さんの出入り口のところに『岬トライ&アングル』のポスターが貼ってあったから、それを見に行ったの……そうしたら、さっきのふたりに声掛けられて、店の外に連れ出されて……!」
「そういうことだったのか……和奏、ケガとかはない……?」
手首に目をやると、先ほどの男たちに摑まれていた部分が、すこし赤く腫れていた。
「あたしは大丈夫よ……それより優のほうは……? あいつらにヘンなことされてない……??」
不安げな和奏の顔。
「僕はなんともないから、安心して……?」
「そ、そう……? でも、ほんとうにありがとう……! あんな人たち相手に、怖くなかった……?」
「……なんだか、困ってる和奏を見たら、体が勝手に動いちゃってね……怖いとか考えてなかったよ……」
「……そうなんだ。やっぱり、優って、そうなのね……」
「え……?」
「うぅん、なんでもないの……」
目を細め、薄く笑む和奏。
思わずドキリとした僕は、慌てて話題を変える。
「……でも、和奏も気を付けてよね……?
危なくなったら、さっさと防犯ブザー鳴らすとかさ……」
「……ふふっ。優って、ホントかわいいわね……」
「はぁ? どんだけかわいく女装したって中身は男だからね? ……さっきの男たちみたいに、いつ、和奏のこと襲っちゃうか、分からないんだから……」
「優は、そんなことはしないわよ。こんなにかわいいんだもの……」
──あくまで、僕を『女の子』として見てくる和奏。
(もっと、僕を男として意識してほしいな……)
ここ数週間。綺麗なリップをつけたり、かわいい洋服を着て浮かれていた僕。
──ふと、そんな感情が湧いてくるのだった。
◆◆◆◆
ひと呼吸ついた僕たちは、本日の目的地、映画館へと到着。
『東京バトル9《ナイン》』という都内有数の映画館らしい。コアなアニメ映画や、舞台挨拶が頻繁に催されているそうで、映画好きにはたまらない、聖地的な場所なのだとか。
和奏は館内に入ると、コートを脱ぎ、先ほど購入した黒のセーターが入っているアパレルショップの袋に仕舞う。
館内は休日ということもあり、大勢のお客さんでごった返していた。
まず、グッズ売り場で和奏が、『岬トライ&アングル』のタイトルロゴがあしらわれた、劇場限定の文庫ブックカバーを購入。
「あたしね、映画館に行った時、観た作品のブックカバーがあったら絶対買うの。本読むの好きだから、その日の気分に合わせてカバーを変えて、テンションあげるのよっ」
その後、売店で飲食物を買うため、2人で列に並んだ。
「ご注文お伺いします!」
「『岬トライ&アングル』のポップコーンセットを1つと、アイスコーヒーを2つお願いします」
順番がきて、慣れた様子で注文をする和奏。
『岬トライ&アングル』のポップコーンセットというのは、メインキャラクター三人をイメージしたフレーバーポップコーンの、コンプリートセットらしい。
フレーバーはそれぞれ、主人公の岬がストロベリーキャラメル、親友の触愛がティラミス・ハニーソルト、そして、後輩の三隅が、アフタヌーンミルクティーというラインナップ。
ふたりでシェアして食べるのが前提のメニューなようで、ひとつでもかなりのボリュームがあるようだ。
「『岬トライ&アングル』のポップコーンセットひとつに、アイスコーヒーふたつですね、かしこまりました!」
復唱する店員さん。
しかし、その口元には、『待ってました!』 と言わんばかりの、艶然とした笑みが浮かんでいた。
「お客様っ! 実は、現在、『岬トライ&アングル』とのコラボキャンペーン中でして、ポップコーンセットをご注文いただいた女性同士のカップル様限定で、特製アクリルスタンドを差し上げておりますっ! お客様方は、カップルでいらっしゃいますかっっ?!」
鼻息荒く、まくし立ててくる店員さん。
横にいる和奏へと視線を向ける。
「え……?! コ、コラボ……っ??」
豆鉄砲でも食らったかのように、目を白黒させている和奏の顔があった。
──どうやら、コラボキャンペーンの情報は、初耳だったらしい。
「……はっ、はいっっ!
あたしたち、カップルですっっ!!」
目を血走らせ、勢いよく手を上げながら、宣言しはじめる和奏。
……いや、カップルなのは間違いないんたけどさ……! アクスタ欲しさに、すさまじい執念だな……!?
「や、やっぱりカップルさんですよね……! では、カップルの証明をいただきたいのですが、よろしいでしょうか……?」
ちょっと、かしこまる店員さん。
「証明?! なんでもやります!」
「そ、そうですか……!
では、ちょっとハズカシイかもしれないですが、お2人で、ラブラブなハグをお願いしまする……!」
──ラ……、ラブラブな……、ハ、ハグっ?!
和奏の勢いに押されたのか、噛みまくりの店員さん。
──そう考えていると突如。正面から強い圧力。
僕の胸に押し当たる、ふたつの大きな膨らみ……。
──わ、和奏が僕のことを、全力ハグしている……!
その、互いの心拍音までダイレクトに伝わってしまいそうなその密着度合い。
「──ッッ!」
僕の頬へと、彼女がくちびるを押し当てた。
「──あたしたち、どう見てもカップルでしょう……?」
……満足そうに、
蠱惑げな微笑みを浮かべる和奏に。
店員さんも黙ってコクコクとうなずきを返すばかりだった。
◆◆◆◆
ポップコーンと紙コップ2つが載ったトレイを手に持った僕。
「和奏、そこの椅子、空いてるから座りなよ?」
「ありがとう、優……」
椅子がひとつしか空いていないため、和奏に座ってもらう。
「ねぇ、優……、飲み物もらっていいかしら……?」
「うん、いいよ」
トレイから紙コップを取った僕。
和奏に渡そうと、手を伸ばす——と、
──ドカッ!
背後から背中に軽い衝撃。
後ろを振り向くと、小さな子供がパタパタと走り去っていくのが見えた。
(あぶないな……)
ゆっくり前方へと向き直る。
「え……、和奏……その服っっ?!」
──和奏の着ているピンクのセーター。
その大きな胸元に、
茶色い大きなシミが広がっている……。
「もしかして……、」
手の中にある紙コップに目をやる。
──フタがはずれ、氷しか残っていない……。
どうやら、
先ほど子供がぶつかってきた衝撃で、
紙コップのコーヒーが、
和奏に掛かってしまったようだ……!
「ご、ごめん……っ!
大丈夫……、な訳ないよね……?!
どうしよう……!?」
慌ててしまう僕。
そんな僕に、和奏が優しくニコリと笑いかける。
「大丈夫よ……、優。
こっちは無事だったから……」
アパレルショップの袋を掲げると、
そこから先ほど購入した黒のブラウスを取り出した。
◆◆◆◆
こぼれてしまったコーヒーの代わりに、キチンとフタを閉められるペットボトルの飲み物を買ってきた僕。
すると、ちょうど和奏も着替えを済ませて、フロアに戻ってきた。
「お待たせ……」
「あれ……コートも着たの? 暑くない……?」
トイレに入り、濡れたセーターを着替えて戻ってきた和奏。しかし、ブラウスの上にコートを羽織ってしまっている。
館内は暖房が効いており、外ならともかく、ここだと暑いのではないだろうか。
「平気よ……。さっき飲み物がかかって冷えちゃったの」
「そっか……、気付かなくてごめん……」
「うぅん……。そろそろ入場開始だから、列に並びましょう?」




