赤い彗星、年越しHに散る
※本作はフィクションです。
実話かもしれないし、そうじゃないかもしれません。
―平成N年・ある地方都市の夜にて―
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・施設とは一切関係ありません。
年越しH――それは0時をすぎて、彼女とつながっていることを意味する。
オレの譲れない儀式だ。祝うとか祈るとか、だいたいどうでもいい。0時をまたいで一緒にいる、その一点に青春の全ポイントを賭ける。バカと言われても構わない。若さとはだいたいそういう勘違いの総称だ。
平成N年の大晦日、夜十時。
勤め先の棚卸しがようやく終わった。肩は鉄板、腰はコンクリ。だけど、胸の内に点火したのは本能ターボ。
「あと二時間。いける、間に合う。」
赤いSW20 MR2――通称・赤い彗星に滑り込む。雨。路面はテカテカ。街灯が伸びて、世界がにじむ。
オレ(心の声)「いいか、儀式に遅刻はない。0時直前で到着、こたつ、みかん、テレビ消灯、からのH――」
アクセル、少し深め。
リアが、ヌルっと解けた。
カウンターを当てる暇は、なかった。
「うわっ――!」
MR2はベイブレード。
回転、回転、さらに回転。
そして、よりによって――機動隊本部の塀に、ドン。
金属が悲鳴を上げ、ボディがよじれる。
雨に薄められた赤い塗料が、夜の壁にマーキングのように残る。
肩に電撃。首に鉄杭。視界が白く、耳だけが雨を拾う。
オレ(心の声)「終わった。年も、青春も、儀式も」
……出てこない。
誰も。
機動隊本部なのに、静まり返っている。
(後で考えれば、大晦日の特別警戒で全員出払っていたのかもしれない。オレは奇跡的に無人の要塞へ自爆したのだ。)
MR2は、かろうじて動いた。
歪んだハンドルを握りしめ、アパートへ。ガタガタ鳴く赤い彗星と、ガタガタ震えるオレの肩。
ドアを開けると、彼女が立っていた。
「……どうしたの、その顔。」
「……事故った。」
一瞬、彼女の目に心配が灯る。ほんの刹那。
すぐ、深い息。まぶたが下りる。
「……そっか。年越し、台無しだね。」
「いや、オレも……間に合うつもりで……儀式、っていうか、その――」
「“儀式”って何回言うの。バカ。」
彼女はコタツ布団をめくり、静かに潜りこんだ。
リモコンが小さくカチャ、と音を立て、テレビの音量が下がる。除夜の鐘が外から薄く届く。
オレ(心の声)「……年越しH、終了のお知らせ。」
首と肩の痛みが、じわじわとカウントダウンを上書きしていく。
オレの0時は、ただの痛みの境界になった。
元旦。
目が覚めると、天井がいつもより遠い。首が回らない、体がいうことをきかない。
彼女が湯気の立つマグを差し出す。
「飲める?」
オレは頷く。
一口、二口。生き返る。……が、すぐ言われた。
「初詣、行くんでしょ?」
「う、うん、だけど、待って、車は廃車、オレも廃人だし……足がない。」
「……“どうにかする”のが、あなたでしょ。」
冷徹、というよりイベント至上主義の正論。
この人にとっての正月は、こたつ→初詣→甘いものと、決められた順番で進まねばならない。
……分かる。分かるけど、こっちの首は今終わっている。
仕方なく、オレは電話を取る。
免許取り消しをくらっているバカ友達へ。
「助けてくれ。事故って足がない。初詣が待ってる。」
『お前、生きてたの? ニュースになってない?』
「笑え。今は笑ってくれ。」
『で、MR2、逝った?』
「完全に。」
『……じゃ、白いのやるわ。どうせ乗れねーし。鍵、ポスト入ってっから勝手に持ってけ。あけおめ。』
受話器を置く。
彼女が少しだけ口角を上げる。「行けるのね。」
オレ(心の声)「行ける、のか……? 首、肩、魂、全部パーツ欠品だけど。」
タクシーで友の家の前到着。
そこには、白い巨体。スープラMA70。
クラッチ、岩かよ。シフト、なんとか。ステア極小でオモステかと思えるほどきつい。
そしてシャコタンが最悪だ。段差が容赦なく首を攻めてくる。
あのバカ、バネ何枚切ったんだよ。しかしバカというか車を貸してくれた大切な友達だ。
「うっ……」
一速、二速。首が抗議し、肩が反乱を起こし、でも右足は踏む。
彼女が隣で腕を組む。無言。窓の外の冬空に、吐息だけが白い。
「痛い?」
「痛くない。痛くない……ことにする。」
「無理しないで。けど初詣には行くって約束だし。」
この“譲歩ゼロの優しさ”が、彼女らしい。
ムードが壊れるくらいなら、物理で支える。彼女なりの平常運転なのだ。
神社の参道……人混み、一歩一歩が地獄のようだ……そして、石段。
一段、首。二段、肩。三段、意地。 「ウウウッ」
賽銭。
オレは手を合わせ、目を閉じ、こう祈った。
「今年は事故りませんように。 あと、0時の儀式は次回必ず達成できますように。」
彼女は隣で微笑む。「……次回って、来年の大晦日?」
「……カレンダーを、一年分、丸で埋めておく。重要なこと。」
おみくじ。
彼女:中吉。
オレ:小吉(首・肩に注意。年の境、無理は禁物)。
「遅ぇよ!!」
境内に、初笑いが一本、まっすぐ飛んでいった。
帰り道。
白い巨星は静かに走り、オレの首も静かに悲鳴を続ける。
彼女がぽつり。
「ねえ、昨日ね、こたつで待ちながら、女子向けの雑誌を見てたの。結婚式の費用のページ、丸つけちゃった。」
「今、その話しする?」
「私達って、そういう未来の話も含めて、大切なんだよ。」
オレは笑った。
可愛い=正義。若さ=火薬。
俺は女を見る目は、なかった。
でも、今はそれも含めて笑える。笑うしかない。
1年後、彼女とは別れた。その話し別のときにでもしよう。
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俺は今でも遠回りして家に帰る事がある。
赤い彗星が散った、あの無人の要塞の前を通るためだ。
うっすら残る、赤い痕跡。
通りすがる同じ赤いスポーツカーに、つい心の中で呟いてしまう。
「その車あぶねーぞ」
けど危ないのは、車じゃない。若さだ。
若さは、ブレーキの存在を知っているのに忘れる病気のことだ。
……これを読んでる人は思うだろう。
「機動隊本部に突っ込んで誰も出てこないとか、そんな話ある?」って。
安心してほしい。これはフィクションだ。
フィクションだ。……たぶん。
若い頃のオレは、確かに女を見る目がなかった**。可愛い=正義、ムード=法。
でも、だからこそ言える。
青春とは、バカで、痛くて、そしてめっぽう笑える。
そして、笑える思い出は、だいたい本人が痛い目に合うとき生まれる。
読了ありがとうございます。
ここまで読んで「バカか、こいつww」と思っていただけたなら、作者としては本望です。
大晦日の赤いMR2、年越しHの儀式、機動隊本部の塀。
青春とは、まともに考えればアウトな出来事を、当時は全力でやらかしてしまう病のことです。
もしこれが本当に実話だとしたら……?
いやいや、安心してください。これはフィクションです。
フィクションです。……たぶん。