『ガンダム』、リアルロボットという革命 第5話:プラモデルが語り始める
作者のかつをです。
第十五章の第5話をお届けします。
打ち切りアニメの商品化。
その常識破りの大逆転劇。
今回はガンダム復活の最大の功労者である「ガンプラ」の誕生秘話に焦点を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
一人の父親が小学生の息子にプラモデルの作り方を教えている。「いいか、パーツはニッパーで丁寧に切り離すんだぞ。ヤスリをかけるともっと綺麗に仕上がる」。息子は父親の手元を真剣な眼差しで見つめている。彼が作っているのは父親が子供の頃に夢中になったロボットのプラモデルだ。世代を超えて受け継がれるものづくりの喜び。
私たちは、「プラモデルが親子の絆を繋ぐ」という幸福な光景を当たり前の文化として享受している。
しかし、かつてそのプラモデルというメディアが、一度は死んだはずの物語に再び命を与え、巨大なブームの起爆剤となった奇跡の物語があった。
『機動戦士ガンダム』は打ち切りという不名誉な形でテレビの画面から姿を消した。
しかしその物語の火種は決して消えてはいなかった。
ヤマトの時と同じように、その熱狂の中心にいたのは中高生以上の若者たちだった。
彼らはガンダムのリアルな世界観に熱狂し、そして『アニメージュ』をはじめとするアニメ雑誌がその熱狂の受け皿となった。
雑誌は競うようにガンダムの特集を組んだ。
富野監督のロングインタビュー、詳細なモビルスーツの設定資料。
その深度のある情報がファンの知識欲を満たし、熱をさらに高めていった。
そしてその熱狂にもう一つの決定的な火を注ぐ存在が現れる。
玩具メーカー「バンダイ」である。
当時のバンダイはまだキャラクター玩具の世界では後発の存在だった。
彼らは王者ポピーやタカトクトイスの牙城を崩すための新しい武器を探していた。
バンダイの企画担当者の目は、ガンダムの熱狂の渦の中心で一つの現象が起きていることに気づいていた。
それは「模型少年」と呼ばれるマニアックなファンたちが、市販の戦車や飛行機のプラモデルを改造し、自分たちの手で「ガンダム」や「ザク」を作り上げているという現象だった。
「……これだ」
担当者は直感した。
ガンダムのファンが求めているのは完成品の合金玩具ではない。
自らの手であのリアルな「兵器」を組み立て塗装し、そして自分だけの世界観に浸るという、より高度な楽しみ方なのだ。
バンダイは賭けに出た。
彼らはサンライズからガンダムのプラモデル化の権利を破格の安値で買い取った。
打ち切りアニメの商品化。
それは業界の常識では考えられない無謀な挑戦だった。
そして1980年7月。
記念すべき最初の「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」が発売された。
「1/144スケール ガンダム」。
定価300円。
それは子供たちがなけなしの小遣いで買える絶妙な価格設定だった。
そしてその中身は革命的だった。
それまでのキャラクタープラモデルが接着剤が必要で、可動部分もほとんどない子供だましのものだったのに対し、ガンプラは接着剤不要のスナップフィット方式を採用し、関節が自由に動く画期的な設計だった。
この小さな箱は瞬く間に日本中の模型店から姿を消した。
子供たちは熱狂した。
アニメの中で見たあのモビルスーツを自分の手で作り上げる喜び。
説明書を読み込みパーツを組み合わせ、少しずつ形になっていく興奮。
ガンプラは単なるおもちゃではなかった。
それはガンダムの世界観を追体験するための最高のメディアだった。
「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」
子供たちは自分で作ったガンプラを手に名台詞を叫び、自分だけの戦争ごっこを繰り広げた。
プラモデルが物語を語り始めた瞬間だった。
このガンプラという黒船の襲来が打ち切りアニメガンダムを社会現象へと押し上げる、最大の原動力となっていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
このガンプラの大ヒットは「キャラクタープラモデル」という新しい巨大な市場を生み出しました。バンダイがその後玩具業界の絶対的な王者へと上り詰めるその全ての始まりが、この300円のガンダムでした。
さて、プラモデルが火をつけた熱狂。
その炎はついにアニメ本編へと燃え移ります。
次回、「伝説の始まり」。
あの新宿での歴史的な一日がやってきます。
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