戦時下、国策アニメの光と影 第3話:ディズニーを超えろ
作者のかつをです。
第二章の第3話をお届けします。
どんな状況であってもクリエイターはクリエイターである。
今回は国策映画という枠組みの中で芸術家としての野心を燃やした、瀬尾監督の情熱に焦点を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
映画館のIMAXスクリーンにハリウッドの最新CGアニメーションが映し出されている。実写と見紛うほどのリアルな質感。キャラクターの髪の一本一本、肌の毛穴までが精緻に描かれている。その圧倒的な映像美に観客はただただ感嘆の息を漏らす。
「日本の技術もすごいけど、やっぱりディズニーやピクサーは別格だな」
そんな会話がどこからか聞こえてくる。
しかし、今から80年も前にこの国で本気でディズニーに追いつき追い越そうとした男たちがいたという事実を知る者は少ない。
空襲警報が鳴り響く絶望的な制作環境。
しかし監督である瀬尾光世の心の中には、恐怖や焦りとはまったく別の炎が燃え盛っていた。
それは芸術家としてのあまりにも純粋で、そして強烈な野心だった。
海軍省から与えられた潤沢な予算。
そして日本中から集められた最高の技術を持つアニメーターたち。
「これはチャンスだ」
彼は確信していた。
これは単なる国策プロパガンダ映画を作るための機会ではない。
当時世界最高峰とされていたウォルト・ディズニーのアニメーションに、日本の技術がどこまで迫れるのかを試す絶好の機会なのだ、と。
彼の脳裏には数年前に観て全身に衝撃が走った一本の映画があった。
ディズニーの『ファンタジア』だ。
クラシック音楽とアニメーションが完璧に融合したあの総合芸術。
あの滑らかな動き。豊かな色彩。奥行きのある画面。
「我々もあれに匹敵するものを作らねばならない」
瀬尾の要求は現場のアニメーターたちを困惑させた。
彼は戦時下の物資も時間も限られた状況であるにも関わらず、一切の妥協を許さなかったのだ。
キャラクターの動きは限りなく現実に近い滑らかな「フルアニメーション」を目指した。
一枚の背景画を何層にも分けたセルに描き重ねて撮影することで、立体的な奥行きを表現する「マルチプレーン・カメラ」のような当時最先端の技法も積極的に取り入れた。
そして何よりも彼がこだわったのが「影」の表現だった。
それまでの日本のアニメではほとんど描かれることのなかったキャラクターや物体に落ちるリアルな影。
この影を描き込むだけで画面の情報量は爆発的に増え、世界に圧倒的な現実感が生まれる。
それは果てしなく地道で困難な作業だった。
影の形、影の濃さ。光源の位置を常に計算しながら、何千何万枚ものセル画に一枚一枚手作業で影を描き込んでいく。
「監督、こんなことをしていたら納期に間に合いません!」
現場からは悲鳴が上がった。
しかし瀬尾は決して首を縦には振らなかった。
これは戦争なのだと彼は思った。
銃を持って戦うことだけが戦争ではない。
ペンを持ち筆を握り、アメリカの文化の象徴であるディズニーと表現の世界で戦う。
それもまたこの国のクリエイターとしての戦い方なのではないか。
彼の狂気にも似た芸術への執念が、極限状況に置かれたアニメーターたちの魂に静かに、しかし確かに火を灯していった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
実際に『桃太郎 海の神兵』で使われた技術は当時の日本のレベルを遥かに超えるものでした。その滑らかな動きは戦後この作品を観た手塚治虫に大きな衝撃を与えたと言われています。
さて、芸術性を追求する瀬尾監督。
しかしその思いはやがてある大きな「葛藤」を生むことになります。
次回、「これは芸術か、プロパガンダか」。
クリエイターたちの魂の叫びが聞こえてきます。
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