美術監督、世界観の創造 第5話:筆跡に宿る魂
作者のかつをです。
第十章の第5話をお届けします。
背景美術の歴史を語る上で、決して避けては通れない怪物、『AKIRA』。
今回はこの作品がいかにして背景美術の概念そのものを変えてしまったのか、その狂気的な創造の現場に迫りました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
あるアニメファンの青年が、自宅の大画面モニターでお気に入りの劇場アニメを一時停止している。彼が見つめているのはキャラクターではない。その背景に描かれた荒れ果てた廃墟の風景だ。剥がれ落ちた壁のペンキ。錆びついた鉄骨。そこに差し込む一筋の光。彼はその一枚の絵から、かつてこの場所に人々の営みがあり、そしてそれが失われてしまったという長い長い物語を読み取っていた。「この質感、たまらないな……」。彼はため息と共に呟いた。
私たちは、「神は細部に宿る」という言葉を、当たり前のクリエイターの美学として理解している。
しかし、その細部に込められた作り手の見えざる「魂」が、時に物語の本質そのものを描き出してしまうという奇跡があることを、知る者は少ない。
1988年。
日本のアニメ史は一つの巨大な金字塔を打ち立てた。
その映画の名は『AKIRA』。
監督、大友克洋。
この作品がアニメの歴史を変えたのは、その過激なストーリーやキャラクターのデザインだけではなかった。
何よりも革命的だったのは、その圧倒的なまでに緻密に描き込まれた「背景美術」だった。
舞台は2019年のネオ東京。
崩壊と再建が入り混じる混沌のメガロポリス。
その世界の質感を作り上げるために、美術監督の水谷利春をはじめとする最高の職人たちが集められた。
彼らが目指したのは、もはや「アニメらしい絵」ではなかった。
彼らが目指したのは「実写と見紛うほどの現実感」だった。
例えば主人公金田が乗り回すバイクが疾走する高速道路。
アスファルトのひび割れ、タイヤの跡、そして道路の継ぎ目の金属プレート。
その一つ一つが執拗なまでにリアルに描き込まれた。
崩壊したオリンピックスタジアムの瓦礫の山。
一つ一つのコンクリートの塊の断面、そこから覗く鉄骨のねじれ具合。
その全てが物理法則に基づいて計算され、描かれた。
そして、その緻密さはやがて狂気の領域にまで達する。
美術スタッフの一人は、ネオ東京の街に存在する全ての看板の文字を一つ一つデザインした。
そこには「〇〇不動産」や「△△商店」といった架空の、しかしいかにも実在しそうな店名がびっしりと書き込まれていた。
もちろん、そのほとんどは画面には一瞬しか映らない。誰も気づかないかもしれない。
しかし彼らは手を抜かなかった。
なぜなら彼らは知っていたからだ。
神の視点からしか見えないようなディテールへのこだわり。
その狂気的なまでの情報の集積こそが、画面に圧倒的な「実在感」を生み出すのだということを。
そして、そのこだわりはついに物語の魂の領域にまで触れることになる。
映画のラストシーン。
全てが破壊され、そして新たな生命が誕生するその瞬間。
背景美術のスタッフたちは、その光景をただ美しいだけの絵として描かなかった。
彼らはその瓦礫の一つ一つに、筆の跡を荒々しく残した。
その生々しい筆跡。
それは破壊と再生のエネルギーそのものであり、作画スタッフたちの魂の叫びでもあった。
筆跡に魂が宿った瞬間だった。
この『AKIRA』の衝撃以降、日本のアニメの背景美術は単なる技術から、作り手の思想や魂を宿す「表現」へと完全にその次元を変えたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
『AKIRA』の背景美術のクオリティは、海外のクリエイターたちにも大きな衝撃を与え、『ブレードランナー』や『マトリックス』といった数々のSF映画の世界観に影響を与えたと言われています。
さて、ついに魂を宿した背景美術。
その職人たちの魂は現代にどう受け継がれているのでしょうか。
次回、「物語が始まる、その場所(終)」。
第十章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。
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