美術監督、世界観の創造 第4話:雲の専門家、森の専門家
作者のかつをです。
第十章の第4話をお届けします。
一人の天才に頼るのではなく、チームとして組織としてクオリティを高めていく。
今回はそんな日本的な「ものづくり」の強さが、いかにして美術スタジオで確立されていったのか、その物語を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
あるアニメ制作会社の求人サイト。「背景美術スタッフ募集。特に、メカニック、銃器の作画経験者、優遇」。現代のアニメ制作は高度に専門分化している。背景と一口に言っても、自然物を描くのが得意な者、人工物を描くのが得意な者。それぞれのスペシャリストがチームを組むことで、ハイクオリティな世界観が作り上げられていく。
私たちは、その「専門分化されたチーム制作」を、当たり前の効率的なシステムとして認識している。
しかし、かつて、たった一人あるいは数人の美術監督が全ての背景を背負っていた時代があった。その属人的な職人技がいかにして組織的な「知」へと進化していったのか。その物語である。
1970年代後半から80年代へ。
アニメは巨大な産業へと成長し、その世界観はますます多様で複雑なものとなっていった。
もはや一人の天才的な美術監督の力だけで、全ての背景を描き切ることは物理的に不可能になっていた。
小林七郎が率いる「小林プロダクション」や、中村光毅が率いる「デザインオフィス・メカマン」。
美術スタジオは、この増大する需要に応えるため、新たな制作体制を模索し始めていた。
その答えが「専門分化」だった。
スタジオには何十人もの若い背景スタッフが所属していた。
彼らはそれぞれ得意なモチーフを持っていた。
ある者は、空を描くことにかけては天才的だった。
彼は来る日も来る日も、ただひたすらに様々な表情の「雲」だけを描き続けた。
夏の入道雲の力強さ。秋のうろこ雲の繊細さ。嵐の前の不気味な暗雲。
彼はやがて『雲の男鹿』と呼ばれる伝説的な職人となる、男鹿和雄だった。
また、ある者は鬱蒼とした「森」を描くことを得意とした。
彼は一本一本の木々の葉の形、幹の質感、そしてその森全体が呼吸しているかのような生命感を表現する術を知っていた。
あるいは、冷たい金属の質感を描かせたら右に出る者はいない「メカ」専門の職人。
温かい家庭の食卓の湯気まで描き出す「小物」専門の職人。
美術監督の仕事は、もはや自らが全ての絵を描くことではなくなった。
それぞれのシーンに最もふさわしい専門の職人を配置し、彼らの能力を最大限に引き出す。
それはさながらオーケストラの指揮者のような役割だった。
「この空のシーンは男鹿君に任せよう」
「この宇宙戦艦のブリッジは〇〇君のメカの腕が必要だ」
それぞれのスペシャリストが自らの持てる技術の全てを注ぎ込み、一枚の絵を作り上げる。
そして、その何百枚もの絵が組み合わさった時、そこに調和のとれた一つの壮大な「世界」が現出する。
それは一人の天才の感性だけでは決して作り得ない、多様で奥行きのある世界だった。
この高度な分業体制こそが、日本のアニメの背景美術のクオリティを安定的に、そして飛躍的に向上させた最大の原動力となったのだ。
一人の天才の時代から、チームの時代へ。
背景美術の現場で起きたこの静かな革命が、やがて日本のアニメ産業全体の強さの源泉となっていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
『雲の男鹿』こと男鹿和雄さんは、その後スタジオジブリに移籍し、『となりのトトロ』や『もののけ姫』など、数々の作品で美術監督を務めることになります。彼の描く日本の自然の美しさは、まさに国宝級です。
さて、最強のチームを手に入れた美術スタジオ。
彼らの筆は、ついに物語の魂の領域にまで迫ります。
次回、「筆跡に宿る魂」。
一枚の絵に込められた職人たちの、見えざるメッセージとは。
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