「声優」誕生の物語 第3話:アニメの口に合わせる技術
作者のかつをです。
第九章の第3話をお届けします。
「プレスコ」か、「アフレコ」か。
それは今もなおアニメの表現を左右する重要なテーマです。
今回はその制作手法の違いがいかにして日本の声優文化を独自の進化へと導いたのか、その歴史のifに迫りました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
あるアニメのメイキング映像が動画サイトで公開されている。そこには声優がまだ線画の状態のキャラクターの映像(ラフ動画)に合わせて声を吹き込んでいる様子が映し出されている。キャラクターの口の動きはまだ大雑把だ。しかし声優は台本に書かれたセリフの長さを正確に把握し、後の完成映像にぴったりと合うように完璧な尺で演技を行っている。
私たちは、その「尺を合わせる」というプロの技術を、当たり前の神業として感嘆の目で見ている。
しかし、その神業がそもそも全く逆の順番で行われていた時代があったことを知る者は少ない。
声が先か、絵が先か。
その制作手法の違いが、日本とアメリカのアニメ文化の決定的な違いを生み出す分岐点となった物語である。
生放送の吹き替えという地獄の訓練を経て、超人的な技術を身につけた「声の役者」たち。
彼らの新たな主戦場となったのが、『鉄腕アトム』に始まる国産のテレビアニメだった。
しかし、彼らはそこで新たな、そして全く質の違う困難に直面することになる。
海外ドラマの吹き替えでは手本となる俳優の演技があった。
その口の動き、呼吸、感情の起伏。それに合わせることさえできればよかった。
しかしアニメは違う。
目の前にあるのはまだ感情の宿っていない、ただの線画。
そのキャラクターがどんな声でどんな話し方をするのか。
それをゼロから創造するのは、全て自分自身の想像力と表現力に委ねられていた。
そして何よりも彼らを悩ませたのが、アニメ特有の「口の動き」だった。
彼らが手本としていたディズニーアニメ。
そこでは「プレスコ(プリ・スコアリング)」という手法が採用されていた。
まず先に俳優がセリフを自由に収録する。
そしてアニメーターはその声の演技に合わせて、キャラクターの口の動きを一枚一枚緻密に描いていくのだ。
だからこそ、あれほど自然で豊かな表情が生まれる。
しかし週一放送という絶望的なスケジュールの中で戦う日本のアニメ制作の現場に、そんな悠長な手法を採用する余裕などあるはずもなかった。
日本のアニメは「アフレコ(アフター・レコーディング)」方式を選ばざるを得なかった。
まず先に絵を完成させる。
キャラクターの口の動きは、あ、い、う、え、お、といった数パターンの汎用的な形(口パク)で描かれる。
そして声優は、そのすでに完成された絵の口の動きに合わせてセリフを吹き込んでいくのだ。
それはプレスコとは全く逆のアプローチだった。
俳優たちは困惑した。
「この3回しか口がパクパクしていない絵に、『おはようございます』という9文字のセリフをどうやって入れろと言うんだ!」
それはもはや演技ではなかった。
決められた短い時間の中にいかに言葉を詰め込むかという、パズルのような作業だった。
彼らは試行錯誤を繰り返した。
セリフの語尾を早く切る。言葉と言葉の間を極限まで詰める。
そうして彼らは次第に、アニメの口パクに自然なセリフを乗せるための独自の神業的なテクニックを編み出していった。
この「アフレコ」という制約。
それは声優たちにより高度な技術を要求した。
そして結果的に、キャラクターの絵の動きとは独立した声だけの演技の豊かさを追求させるという、日本独自の「声優」文化を育む土壌となった。
絵に声を合わせるのか。
声に絵を合わせるのか。
そのささやかな制作手法の違いが、日本のアニメをディズニーとは全く違う「声の文化」へと進化させていく大きな分岐点だったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
宮崎駿監督や高畑勲監督のスタジオジブリ作品では、クオリティを追求するため今でもプレスコ方式が採用されることが多いです。しかしほとんどのテレビアニメは、予算とスケジュールの都合上アフレコ方式で作られています。
さて、アフレコという特殊な技術を身につけた声の役者たち。
しかし彼らの地位はまだ決して高いものではありませんでした。
次回、「俳優たちのプライド」。
「声優」という言葉が生まれる瞬間の物語です。
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