「声優」誕生の物語 第1話:顔の見えない役者
作者のかつをです。
本日より、第九章「声に魂を宿した役者たち ~「声優」誕生の物語~」の連載を開始します。
今や絶大な人気を誇る「声優」という職業。
しかしその始まりは決して華やかなものではありませんでした。
今回はその知られざる黎明期の物語に光を当てます。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京・日本武道館。
数万個の色とりどりのペンライトが波のように揺れている。ステージの上では今をときめく若手声優たちが歌い踊り、ファンからの割れんばかりの歓声に笑顔で応えている。彼らはもはや単なるキャラクターの「声」の担当者ではない。ライブ、写真集、SNS。その一挙手一投足が注目を集める、現代の新しいアイドルの形だ。
私たちは、「声優がスターである」という華やかな光景を当たり前の日常として受け入れている。
しかし、かつて彼らの仕事が「声の出演」と呼ばれ、俳優としては一段格下の顔の見えない日陰の仕事と見なされていた時代があったことを知る者は少ない。
物語の始まりは1950年代後半。
テレビという新しいメディアが日本のお茶の間に普及し始めた頃。
そのブラウン管の中で人気を博していたのが、『スーパーマン』や『ローハイド』といったアメリカから輸入されたテレビドラマ、いわゆる「海外ドラマ」だった。
もちろんその音声は英語。
日本の視聴者が楽しむためには日本語への「吹き替え」が不可欠だった。
その吹き替えの仕事を担っていたのが、まだ売れない若手の舞台俳優や映画俳優たちだった。
彼らにとってそれは、俳優としての本業が軌道に乗るまでの糊口をしのぐための「アルバイト」という意識が強かった。
顔が画面に映らない。
自分の演技ではなく、外国の俳優の口の動きにセリフを合わせなければならない。
それは俳優としてのプライドをくすぐるような仕事では決してなかった。
業界内での地位も低かった。
ギャラは映画や舞台に出演するのに比べて遥かに安く、クレジットに名前が載ることすら稀だった。
彼らは文字通り「顔の見えない役者」だったのだ。
そんな日陰の仕事に一つの転機が訪れる。
1963年、国産初の週一テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の放送開始である。
毎週毎週新しい物語が生み出されるテレビアニメ。
そこには当然、毎週新しいキャラクターが登場する。
その膨大な数のキャラクターたちに声を吹き込む人間の需要が爆発的に高まったのだ。
その新たな仕事を担ったのもまた、あの海外ドラマの吹き替えで糊口をしのいでいた若き俳優たちだった。
しかし彼らはすぐに気づく。
アニメのアフレコ(アフター・レコーディング)は、海外ドラマの吹き替えとは全く質の違う新しい演技の技術が求められるということに。
外国の俳優という手本はない。
目の前にあるのはまだ色のついていない白黒の線画。
その無機質な絵の中に、自分たちの声だけでゼロから「感情」と「人格」を吹き込んでいかなければならない。
それは俳優としての創造性を試される挑戦的な仕事だった。
最初はアルバイト感覚で始めた仕事。
しかし彼らの中から次第に、この「声だけの演技」という新しい表現の奥深さにのめり込んでいく者たちが現れ始める。
まだ誰も名前をつけていない新しい専門職。
後の「声優」というスターダムへと続く長く険しい道のりの最初の
一歩が、今静かに踏み出されようとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第九章、第一話いかがでしたでしょうか。
声優という仕事のルーツが海外ドラマの吹き替えにあったというのは、意外と知られていない事実かもしれません。まさにテレビという新しいメディアが生み出した新しい職業でした。
さて、日陰の存在だった「声の役者」たち。
しかし彼らが持つ特殊なスキルは、テレビというメディアの進化と共に急速にその価値を高めていきます。
次回、「生放送とアドリブ地獄」。
彼らがいかにしてその神業のような技術を磨き上げていったのか。その壮絶な現場の物語です。
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