アニソンが“ビジネス”になった日 第1話:テレビまんがのうた
作者のかつをです。
本日より、第八章「レコード会社の賭け ~アニソンが“ビジネス”になった日~」の連載を開始します。
今回の主役はアニメの作り手ではありません。
アニメという文化をビジネスの側面から大きく育て上げた、レコード会社の名もなき開拓者たちの物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京・渋谷。
スクランブル交差点の巨大な街頭ビジョンに、人気アニメのオープニング映像が大音量で映し出されている。歌っているのは今をときめく超人気ロックバンドだ。その楽曲はオリコンチャートの一位を記録し、年末の紅白歌合戦への出場も確実視されている。「アニソン」という言葉はもはやアニメファンだけの専門用語ではない。J-POPのメインストリームを牽引する巨大な音楽ジャンルとして確固たる地位を築いている。
私たちは、「アニソンがヒットチャートを席巻する」という光景を当たり前の日常として受け入れている。
しかし、かつてアニメの主題歌がただの「テレビまんがのうた」と呼ばれ、音楽業界の片隅で子供向けの商品としてひっそりと扱われていた時代があったことを知る者は少ない。
物語の始まりは1960年代半ば。
『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の大成功によって「週一テレビアニメ」という文化が日本中に根付き始めた頃。
子供たちは毎週テレビの前でヒーローの活躍に胸を躍らせ、そしてそのオープニングで流れる主題歌を声を張り上げて合唱した。
♪て、て、て、鉄腕アトム~
♪ぼ、ぼ、ぼくらは、少年探偵団~
そのキャッチーで覚えやすいメロディは瞬く間に子供たちの心を掴んだ。
学校の休み時間、帰り道。どこからともなくその歌声が聞こえてくる。
それは間違いなく一つの社会現象だった。
しかし音楽業界の大人たちは、その熱狂をどこか冷ややかな目で見ていた。
当時の音楽の主戦場はあくまで「歌謡曲」だった。
美空ひばりや石原裕次郎といった大スターが歌い上げる大人のための愛と人生の歌。
それこそが「本物の音楽」であり、レコードとして売れる価値のある商品だった。
それに比べて「テレビまんがのうた」はどうだろうか。
歌っているのは顔も知れない児童合唱団や子役の歌手。
歌詞は子供だましで単純明快。
メロディは確かにキャッチーだが芸術性など皆無。
それは音楽業界のエリートたちから見ればまがい物だった。
あくまでアニメ番組の宣伝のための付属品。
レコードとしてわざわざお金を出して買うような代物では断じてないと考えられていたのだ。
実際に当時発売されていたアニメの主題歌レコードは、そのほとんどが「ソノシート」と呼ばれる安価なペラペラのビニール盤だった。
それは雑誌の付録として無料で配られるか、あるいは駄菓子屋の店先で子供たちがなけなしのお小遣いで買うようなチープな商品だった。
その熱狂と過小評価。
その巨大なギャップの中にまだ誰も気づいていない巨大なビジネスチャンスが眠っている。
その鉱脈の存在にいち早く気づいた一人のレコード会社の男がいた。
彼の名は木田高介(仮名)。
日本コロムビアに所属する若き音楽ディレクターだった。
彼はヒットチャートの数字だけを追いかける同僚たちとは少し違う視点で街の空気を感じ取っていた。
「子供たちがあれほど熱狂して歌っているんだ。これが売れないはずがない」
彼のその直感が、やがて業界の常識を覆す大きな賭けへと繋がっていく。
アニソンという巨大な帝国が築かれるその最初の槌音が、今鳴り響こうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第八章、第一話いかがでしたでしょうか。
今では考えられないことですが、当時は本当に「アニソン」という言葉すらなく、その地位は非常に低いものでした。まさに見向きもされない存在だったのです。
さて、時代の空気を敏感に感じ取った若きディレクター。
しかし彼の前には社内の古い常識という分厚い壁が立ちはだかります。
次回、「子供の歌は売れない」。
彼の孤独な戦いが始まります。
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