制作進行、地獄の誕生 第2話:深夜の首都高
作者のかつをです。
第六章の第2話をお届けします。
アニメ制作とは全く関係のない「運転技術」と「地理への詳しさ」。
それが初代・制作進行に求められた最も重要なスキルでした。
今回はそんな彼らの知られざるロードムービーに焦点を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
制作進行の鈴木はカーナビの画面を横目で見ながら、夜の環状七号線を滑るように走っている。これからあと三軒、担当アニメーターの自宅を回り原画を回収しなければならない。「便利な時代になったものだ」。彼は思う。カーナビが最短ルートを教えてくれる。スマートフォンのアプリで相手の作業の進捗状況もリアルタイムで把握できる。
私たちは、その効率的な制作管理システムを当たり前のものとして活用している。
しかし、かつて初代の制作進行たちがたった一枚の頼りない地図と勘だけを頼りに、迷宮のような夜の東京を走り続けていた物語があったことを知る者は少ない。
初代の「制作進行」として白羽の矢が立ったのは、虫プロの中でも特に体力と人当たりの良さを買われた数人の若い男性スタッフたちだった。
彼らはアニメの専門知識はほとんどない。
しかし彼らには他の誰にも負けない一つの武器があった。
それは「普通自動車運転免許」だった。
彼らに与えられた使命はただ一つ。
「放送日までに全ての素材を集めテレビ局に届けること」
その日から彼らの主な仕事場は、机の上ではなく一台の中古のライトバンの運転席へと変わった。
当時の東京はまだ道が迷路のように入り組んでいた。
首都高速道路もまだ部分的にしか開通していない。
彼らはしわくちゃの道路地図を助手席に広げ、インクの染みがついた指で必死にルートを確認しながら走った。
彼らが向かう先は様々だった。
杉並区にあるベテラン原画マンの自宅アパート。
世田谷区にある背景を専門に描く美術スタジオ。
調布市にあるフィルムを現像する巨大な現像所。
そして全ての素材が集まる終着点、港区にある撮影スタジオ。
点と点として東京中に散らばったそれらの制作拠点を線で結びつける。
それが彼らの仕事だった。
彼らの一日は夕方から始まる。
スタジオでその日に回収すべきカットのリストと地図を受け取ると、彼らは夜の街へと散っていく。
ライトバンのラジオからはFENの軽快なロックンロールが流れている。
しかし彼らの心は決して軽やかではなかった。
本当に今日中に全ての素材を回収できるのだろうか。
一人でも捕まらなかったら全ての工程が止まってしまう。
焦りとプレッシャーで乾いた喉をぬるい瓶のコーヒーで潤しながら、彼らはアクセルを踏み続けた。
タバコの煙だけが唯一の友だった。
まだ携帯電話など存在しない時代。
一度スタジオを出てしまえば彼らは完全に孤独だった。
道に迷っても誰にも助けを求めることはできない。
ただ自らの勘と記憶力だけを頼りに目的地を探すしかない。
雨の夜にはぬかるんだ未舗装の道にタイヤを取られた。
雪の朝には凍りついた坂道で立ち往生した。
それでも彼らは車を止めなかった。
この荷台に積まれたただの紙の束とセル画の一枚一枚が、テレビの前でアトムの活躍を待っている日本中の子供たちの夢に繋がっている。
その誇りだけが彼らを突き動かしていた。
深夜の東京の道を一台のオンボロのライトバンが走っていく。
それは日本のアニメの未来の歴史をその荷台に乗せて走る、孤独な命綱だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
当時の制作進行の武勇伝は数多く残されています。道が分からず交番で泣きながら場所を尋ねたという、笑えるようなしかし切実なエピソードもあったそうです。
さて、無事に目的地にたどり着くこと。
しかしそれは仕事の半分でしかありませんでした。
彼らを待っていたのはもっと厄介な人間との戦いでした。
次回、「お願いします、あと1時間だけ」。
制作進行のもう一つの重要な仕事、「交渉」の物語です。
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