東洋のディズニーを目指した者たち 第6話:伝説の始まり
作者のかつをです。
第三章の第6話をお届けします。
努力がついに報われる瞬間。
今回は『白蛇伝』がいかにして当時の日本社会に大きなインパクトを与え、そして未来へとそのバトンを繋いでいったのか。その輝かしい成功の物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
週末の映画館。アニメ映画の興行収入が100億円を突破したというニュースがスマートフォンに流れてくる。アニメが実写の邦画やハリウッドの大作を抑え、その年の興行収入ランキングのトップに輝く。それはもはや珍しい光景ではなくなった。アニメは日本の映画産業を支える巨大な柱の一つとなっている。
私たちは、その成功を当たり前のものとして享受している。
しかし、その輝かしい歴史の全ての始まりとなった記念すべき「最初の一歩」があったことを知る者は少ない。
一本のアニメ映画が日本中の人々の心を初めて一つにした、あの日の物語を。
1958年10月22日。
その日は日本のアニメーション史において永遠に記憶されるべき特別な一日となった。
東映動画第一作、日本初の総天然色長編漫画映画『白蛇伝』が、ついに全国の映画館で一斉に公開されたのだ。
東映は持てる力の全てをこの映画の宣伝に注ぎ込んだ。
新聞には大きな広告が打たれ、ラジオからは主題歌が流れた。
公開初日、映画館の前には朝から親子連れの長い長い列ができていた。
そして客電が落ち、スクリーンに色鮮やかな動く絵物語が映し出された瞬間。
館内は今まで誰も体験したことのない魔法のような空間へと姿を変えた。
子供たちはスクリーンの中で生き生きと動き回るパンダやレッサーパンダの愛らしい仕草に歓声を上げた。
大人たちはその息を呑むほどに美しい色彩とディズニー映画に決して劣ることのない滑らかな動きに目を見張った。
これが本当に日本人の手だけで作られたものなのか。
敗戦からわずか13年、この国はこんなにも素晴らしい夢の世界を作り出せるようになったのか。
クライマックスで白娘が流すあの美しい涙のシーン。
館内のあちこちで子供も大人も一緒になって涙を拭っていた。
映画は空前の大ヒットとなった。
それは単なる商業的な成功ではなかった。
この一本の映画が日本人の心の中に「国産アニメーション」という新しい文化への誇りと愛情を植え付けたのだ。
そしてその熱狂は海の向こうへも伝わっていった。
『白蛇伝』はヴェネツィア国際映画祭で特別賞を受賞。
アメリカでも公開され「PANDA and the MAGIC SERPENT」というタイトルで高い評価を得た。
大川博が抱いた「東洋のディズニー」という途方もない夢。
その夢は白亜の城に集った名もなき若者たちの血と汗と涙によって、見事に現実のものとなった。
この日この瞬間。
日本のアニメーションは単なる国内向けの娯楽から、世界に誇るべき「文化」へとその大きな大きな第一歩を踏み出したのだ。
そして客席の暗闇の中。
この映画を食い入るように見つめる一人のまだ無名な若者の姿があったかもしれない。
彼の名は宮崎駿。
この白娘のひたむきな姿に心を打たれた彼は、やがてアニメーターになることを決意するのである。
伝説は次の伝説を生み出していく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
実際に高校生だった宮崎駿監督がこの『白蛇伝』を観て感銘を受けたというエピソードは非常に有名です。一本の映画が一人の天才の運命を大きく変えたのです。
さて、輝かしい成功を収めた東映動画。
しかしその「城」はやがて大きな変革の時を迎えます。
次回、「スタジオという名の学び舎(終)」。
第三章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。
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