東洋のディズニーを目指した者たち 第3話:フルアニメーションという理想
作者のかつをです。
第三章の第3話をお届けします。
後の「リミテッドアニメ」全盛の時代を知る私たちにとって、この「フルアニメーション」への狂信的なまでのこだわりは驚くべきものがあります。
今回は初期の東映動画を支配していたその理想主義の空気を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
深夜テレビのチャンネルを回すと数多くのアニメ番組が放送されている。そのほとんどはキャラクターの口だけが動く「口パク」や同じ動きを繰り返す「バンクシーン」が多用されている。いわゆる「リミテッドアニメ」だ。これは決して手抜きではなく、週一放送という過酷なスケジュールの中で物語を語るために最適化された日本独自の進化の形である。
私たちは、その表現に何の疑問も抱かずに物語を楽しんでいる。
しかし、かつて日本のアニメーターたちがその正反対の、あまりにも贅沢でそしてあまりにも過酷な「理想」を追い求めていた時代があったことを知る者は少ない。
東映動画に入社した森康二や大塚康生といった若き才能たち。
彼らを待っていたのは実践的な作画作業ではなく、徹底的な基礎訓練と座学の日々だった。
スタジオの一室には大きなスクリーンが設置され、毎日のようにディズニーの長編アニメーションが繰り返し上映された。
講師として教壇に立つのは戦前からアニメ制作に携わってきた藪下泰司や山本早苗といったベテランたちだ。
彼らは若者たちに一つの絶対的な基準を叩き込んだ。
「我々が目指すのはこれだ。一秒間に24枚の絵を全て違う絵で動かす『フルアニメーション』。これこそが本物のアニメーションなのだ」
それは衝撃的な言葉だった。
一秒24コマ。パラパラ漫画の要領で24回違う絵を描く。
その気の遠くなるような作業を映画の全編に渡って実践する。
キャラクターのまばたき一つ、指先のほんの僅かな動き、風になびく髪の一本に至るまで全てを描き切る。
そうでしかディズニーのようなリアルで滑らかな生命感は生まれないのだ、と。
それはもはや精神論の世界だった。
若きアニメーターたちは来る日も来る日もディズニーのフィルムをコマ送りで解析し、その動きの秘密をスケッチブックに必死に描き写した。
キャラクターが歩き出すその瞬間、なぜ腰がわずかに沈むのか。
ボールを投げるその瞬間、なぜ腕が鞭のようにしなるのか。
大塚康生は特にその動きの探求にのめり込んでいった。
彼は休日になると上野動物園へと通い詰め、一日中動物たちの動きを観察し続けた。象のゆっくりとした重々しい歩み。猿の軽やかで予測不能な跳躍。その骨格の構造、筋肉の動きを徹底的にスケッチした。
「絵空事では人の心は動かせない。現実の生命の動きを完全に理解して初めて、それをデフォルメすることができるのだ」
それは神の領域に挑むような作業だった。
東映動画という白亜の城の中では、「ディズニーに追いつけ追い越せ」という一つの巨大な理想が宗教的なまでの熱を帯びて渦巻いていた。
コストや効率といった現実的な言葉はそこには存在しなかった。
ただ最高の表現を求める。
そのあまりにも純粋でそしてあまりにも無謀な理想こそが、この城を特別な場所にしていたのだ。
若者たちはその熱に浮かされるようにペンを握りしめた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
この徹底的な基礎教育とディズニー研究こそが、東映動画の、そして日本のアニメーターたちの技術レベルを飛躍的に向上させました。この「学校」としての機能が東映動画の最大の功績だったのかもしれません。
さて、理想の武器を手に入れた若きアニメーターたち。
いよいよ彼らは初めての戦場へと向かいます。
次回、「動かすことの喜びと苦しみ」。
日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』の制作がついに始まります。
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