東洋のディズニーを目指した者たち 第1話:大泉に城が建つ
作者のかつをです。
本日より、第三章「白蛇の涙 ~東洋のディズニーを目指した者たち~」の連載を開始します。
戦争の時代が終わり、舞台は戦後の復興期へ。ここから現代に直接繋がる日本のアニメ産業の本当の夜明けが始まります。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京・三鷹。
緑豊かな公園の片隅に、世界中から観光客が訪れる夢の美術館がある。スタジオジブリ。その名前はもはや単なるアニメ制作会社ではなく、一つの文化的なブランドとして世界に轟いている。京都アニメーション、ufotable、MAPPA。現代の日本にはそのスタジオ名だけで作品のクオリティを保証するほどの信頼とブランド力を持つ制作会社がいくつも存在する。
私たちは、その「スタジオ」という存在を当たり前のものとして認識している。クリエイターが集い技術を磨き、独自の作風を確立していく創造の拠点。
しかし、その輝かしい歴史の本当の原点がどこにあったのか。
戦後の焼け跡からたった一人の男が抱いた、あまりにも壮大な夢から始まった知られざる物語である。
物語の始まりは、敗戦からまだ10年も経たない1950年代半ばの日本。
人々は戦争の傷跡から立ち直り、娯楽にそして未来への希望に飢えていた。
映画会社・東映の社長であった大川博は、そんな時代の空気を敏感に感じ取っていた。彼は辣腕の経営者であると同時に熱烈な映画愛好家でもあった。そして彼の心を誰よりも強く捉えていたのが、海の向こうからやってくるウォルト・ディズニーの色彩豊かなアニメーション映画だった。
『白雪姫』、『バンビ』、『シンデレラ』。
その圧倒的な映像美と夢に満ちた物語は、戦後の日本人に鮮烈な感動を与えた。
大川は暗い映画館の中でスクリーンに映し出される夢の世界を見つめながら、一つの燃えるような野心を抱いていた。
「いつか我々日本人の手で、ディズニーに匹敵する、いやそれを超えるアニメーションを作ってみたい」
それは当時の日本の国力や技術力を考えれば、無謀とも思える途方もない夢だった。
周囲の役員たちは誰もがそのアイデアに首を縦に振らなかった。
「社長、アニメは金がかかるばかりで儲かりません」
「そもそも日本にディズニーのような技術を持つ人間がいるのでしょうか」
しかし大川の決意は揺るがなかった。
彼はこれが未来の日本の重要な文化産業になると確信していたのだ。
子供たちに夢と希望を与えること。そして日本の文化をアニメーションという形で世界に発信していくこと。
彼は私財を投じる覚悟で計画を推し進めた。
1956年、東京・練馬区大泉。
広大な土地に当時としてはおよそ考えられないほどの、最新鋭の設備を備えた巨大なスタジオの建設が始まった。
鉄筋コンクリート造りの冷暖房完備。数百人が同時に作業できる広々とした作画室。最新の撮影機材を備えた撮影スタジオ。
それはもはや単なる仕事場ではなかった。
誰もがその白くモダンな建物を畏敬の念を込めてこう呼んだ。
「白亜の殿堂」、あるいは「アニメの城」と。
まだアニメーターという職業すら世間に認知されていなかった時代。
大泉の地に一つの巨大な「城」がその姿を現そうとしていた。
それはこれから始まる日本のアニメーションという壮大な伝説の、幕開けを告げる狼煙だったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第三章、第一話いかがでしたでしょうか。
東映の社長、大川博の「東洋のディズニーを目指す」というたった一つの、しかしあまりにも強力なビジョンがすべてを動かしました。彼の情熱がなければ後の宮崎駿も高畑勲も生まれなかったかもしれません。
さて、立派な「城」は建ちました。
しかしその城で戦う「兵士」がいなければ意味がありません。
次回、「集え、若き才能」。
まだ何者でもない未来の巨匠たちが、希望を胸に城の門を叩きます。
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