デジタルアニメの夜明けと職人たちの選択 第3話:絵の具の匂いが消える日
作者のかつをです。
第二十章の第3話をお届けします。
道具がなくなるということは、それを使っていた職人の技術も失われるということ。
時代の波とはいえ、あまりにも残酷な現実がそこにはありました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その通達は、まるで死亡宣告のように淡々と届いた。
「富士写真フイルム、セル画用フィルムの生産終了を決定」
2000年代初頭。
写真業界のデジタル化に伴い、需要の減ったアニメ用セルの生産ラインを維持することが、もはや経済的に不可能になったのだ。
他のメーカーも次々と撤退を発表していた。
これは、「デジタルか、アナログか」という選択の余地がなくなったことを意味していた。
描くための「キャンバス」そのものが、この世から消えてしまうのだ。
アニメスタジオは、パニックに近い状態に陥った。
倉庫に残っているセルを買い占める動きもあったが、それは一時しのぎに過ぎない。
どんなにアナログにこだわりたくても、物理的に作れなくなる日が、数年後に確実にやってくる。
「……終わったな」
ある制作会社の彩色の部屋で、ベテランの女性スタッフが呟いた。
彼女の周りには、何百色ものアニメカラー(セル専用の絵の具)の瓶が並んでいる。
その一本一本の色味を、彼女はすべて記憶していた。
湿気の多い日は絵の具の粘度を調整し、急ぎの時はドライヤーの風を当てて乾かす。
その指先には、何十年分の職人技が染み付いていた。
しかし、その技術はもう必要とされなくなる。
会社は、急速にデジタルへの移行を進めた。
彩色の部屋からは絵の具の瓶が片付けられ、代わりに無機質なパソコンとペンタブレットが並べられた。
「明日からは、このソフトを使って色を塗ってください」
渡されたのは、マウスと電子ペン。
絵の具の重みも、筆の感触もない。
画面上のパレットから色を選び、クリックするだけで、指定された範囲が一瞬で塗りつぶされる。
「便利だねえ……」
誰かが力なく笑った。
確かに便利だ。絵の具を洗う手間もないし、服が汚れることもない。
でも、そこには「塗っている」という実感がなかった。
スタジオから、あの独特の酢酸の匂いと、絵の具の香りが消えていった。
それは、日本のアニメ制作現場が半世紀にわたって守り続けてきた「工房」としての空気が、無機質な「オフィス」へと変わっていく瞬間だった。
多くのベテラン職人たちが、このタイミングで業界を去る決意をした。
「機械相手の仕事は、私にはできないよ」
寂しそうに笑って筆を置く彼らの背中は、一つの時代の終わりを告げていた。
強制的なデジタル移行。
それは、日本のアニメが生き残るために避けては通れない道だったが、同時に多くの貴重な財産を失う痛みでもあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
『サザエさん』だけは、2013年までセル画での制作を続けましたが、それも最後にはデジタルへと移行しました。セル画は今や、コレクターズアイテムとしての価値を持つ「過去の遺産」となっています。
さて、多くの職人が去る中で、残ることを選んだ者たちもいました。
彼らはどうやってデジタルと向き合ったのでしょうか。
次回、「ベテランのプライドと涙」。
新しい道具を前にした、職人の意地を描きます。
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