デジタルアニメの夜明けと職人たちの選択 第2話:効率か、味か
作者のかつをです。
第二十章の第2話をお届けします。
初期のデジタルアニメに対する違和感。それを覚えている読者の方も多いかもしれません。
「綺麗だけど、何かが違う」。その感覚の正体と、現場の葛藤を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
「なんだ、こののっぺりした色は」
デジタル彩色によって仕上げられたテスト映像を見て、ベテランの色彩設計家は眉をひそめた。
画面の中のキャラクターは、確かに指定通りの色で塗られている。はみ出しもないし、塗り残しもない。完璧だ。
しかし、そこには決定的に欠けているものがあった。
「深み」だ。
セル画のアニメには、独特の「揺らぎ」があった。
絵の具の厚み、筆跡のわずかなムラ、セルを重ねた時に生まれる影。
それら物理的な要素が、画面に温かみと存在感を与えていた。
しかし、デジタルで塗られた色は、あまりにも均一で、冷たく、平面的だった。
当時のモニターの解像度や色域の限界もあり、それはまるでプラスチックの人形が動いているように見えた。
「こんなのはアニメじゃない。ただのデータの塊だ」
「効率、効率って言うけど、一番大事な『画の力』が落ちてるじゃないか」
現場からは、デジタル化に対するアレルギー反応が噴出した。
特に、長年セル画と向き合ってきた職人たちにとって、自分の技術が「クリック一つ」で代替されることは、プライドを傷つけられる耐え難い屈辱でもあった。
一方、デジタル推進派のスタッフたちも必死だった。
彼らは彼らで、新しい表現の可能性を模索していたのだ。
「確かに今の段階ではセル画の質感には勝てないかもしれません」
「でも、デジタルならセル画では不可能なことができるんです」
彼らが提示したのは、複雑なグラデーション処理や、半透明の表現、そして何層にも重ねた光のエフェクトだった。
セル画では、セルを重ねすぎると色がくすんでしまうため、重ねられる枚数には限界があった。
しかし、デジタルには物理的な厚みがない。
理論上、無限にレイヤー(層)を重ねることができる。
雨の表現、魔法の光、複雑なメカニックの質感。
デジタルならではのリッチな画面作りが可能になる。
「味がないなら、新しい味を作ればいいんです」
若いデジタルスタッフたちは、従来の「セル画風」を再現することに固執するのではなく、「デジタルならではの新しいアニメのルック」を作り出そうと試行錯誤を繰り返した。
効率を求める経営陣と、味を求める職人たち、そして可能性を信じる若者たち。
スタジオの中では、連日激しい議論が交わされた。
それは単なる技術論争ではなく、アニメーションという文化の「定義」を巡る、哲学的な戦いでもあった。
そして、その議論に強制的な終止符を打つ出来事が、静かに、しかし確実に近づいていた。
「セルの生産終了」。
そのニュースは、業界全体を震撼させることになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
初期のデジタルアニメは、線がパキッとしすぎていて目に痛いと言われることもありました。そこから現在の「馴染む」画面作りになるまでには、膨大な試行錯誤があったのです。
さて、議論を続ける現場に、逃れられない現実が突きつけられます。
次回、「絵の具の匂いが消える日」。
物理的な限界が、時代の転換を決定づけます。
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