韓国からの援軍 第2話:海を渡る原画
作者のかつをです。
第十九章の第2話をお届けします。
ネットのない時代のグローバル化。
それは人間が物理的に移動するという、極めてアナログでタフな作業によって支えられていました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
制作進行がパソコンのアップロードボタンを押す。数ギガバイトのデータが光回線を通じて瞬時に海外のスタジオへと送られる。数日後、完成した動画データがサーバーに納品される。物理的な距離は、デジタルの力でゼロになった。
しかし、かつてその距離を埋めるために、毎日飛行機に乗り続けた男たちがいたことを知る者は少ない。
1980年代半ば。
田中たち制作スタッフにとって、羽田空港と金浦空港を結ぶ空の便は、文字通りの「生命線」だった。
日本のアニメーターが描いた「原画」。
これを韓国のスタジオに届け、動画と彩色の作業を行ってもらい、完成したセル画を日本に持ち帰る。
FAXで送れるような画質ではない。
原画そのもの、セル画そのものを、物理的に運ばなければならないのだ。
その役目を担ったのは、「運び屋」と呼ばれる専門の業者や、制作進行たちだった。
彼らは「カット袋」と呼ばれる、分厚い茶封筒の束を詰め込んだ巨大なボストンバッグやジェラルミンケースを両手に抱え、飛行機に飛び乗った。
その荷物は重く、そして何よりも「重い」責任があった。
もしこの荷物を紛失したら。
もし税関で止められて時間を浪費したら。
その瞬間に、今週の放送が落ちる(放送できなくなる)。
「絶対に手放すな。これはアニメの命だ」
彼らは機内でも荷物を足元に置き、片時も離さなかった。
韓国に到着すると、現地のスタジオのスタッフがバイクや車で待ち構えている。
荷物を手渡し、簡単な打ち合わせをする。
「このカットは特に重要です。表情に気をつけて」
「わかりました、明後日の便で戻します」
とんぼ返りで日本へ戻ることもあれば、現地のスタジオに泊まり込んで作業を見守ることもあった。
天候が悪く飛行機が欠航した時の絶望感。
税関職員に「これは商業用の貨物ではないか」と怪しまれ、必死で「サンプルだ」と言い張った冷や汗。
彼らは、国境という壁を、物理的な移動と情熱だけで乗り越えていた。
この「空輸」による制作体制が確立されたことで、日本のアニメは量産体制を維持することができた。
韓国のスタジオは、「早くて、安くて、上手い」という驚異的なパフォーマンスで、日本の制作現場を救ったのだ。
彼らが運んでいたのは、単なる紙やセル画ではなかった。
日本中の子供たちが待っている「来週の放送」という夢そのものだったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
当時、頻繁に韓国へ渡るアニメ関係者は、マイレージがとんでもないことになっていたとか。彼らのパスポートは、入国スタンプで真っ黒だったそうです。
さて、原画は無事に届きました。
しかし、そこで最大の問題が発生します。言葉の壁です。
次回、「言葉と文化の壁」。
ニュアンスを伝えることの難しさに直面します。
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