韓国からの援軍 第1話:描く人間が足りない
作者のかつをです。
本日より、第十九章「韓国からの援軍 ~作画崩壊と戦った制作デスク~」の連載を開始します。
今回の主役は、80年代以降のアニメ制作を縁の下で支え続けた「海外スタジオ」と、彼らと日本を繋いだ制作スタッフたち。
華やかなブームの裏で起きていた、国境を越えた共闘の物語です。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
テレビアニメのエンドロール。そこには数多くのカタカナやアルファベットの名前が並んでいる。作画監督、原画、動画、仕上げ、背景。特に動画や仕上げの項目には、中国や韓国、ベトナムといったアジア圏のスタジオや個人の名前がずらりと連なっている。
私たちは、日本のアニメが海外のクリエイターの力によって支えられていることを、知識としては知っている。
しかし、かつてその「海外発注」が、単なるコスト削減ではなく、崩壊寸前だった日本のアニメ制作現場を救うための、文字通りの「緊急援軍」として始まったことを知る者は少ない。
物語の始まりは1980年代。
日本はバブル景気の入り口に立ち、アニメ業界もまた空前の好景気に沸いていた。
テレビアニメの放送本数は爆発的に増加し、さらにOVAという新しい市場も誕生していた。
「作れば売れる」
出版社、玩具メーカー、レコード会社。あらゆる企業がアニメ制作に乗り出した。
しかし、ここで物理的な限界が訪れる。
「描く人間が、いない」
日本中のアニメーターをかき集めても、仕事の量に全く追いつかなくなっていたのだ。
どんなに企画が素晴らしくても、実際に絵を描く手がなければアニメは完成しない。
スケジュールは逼迫し、現場は疲弊しきっていた。
ある制作会社の制作デスク(現場の指揮官)、田中(仮名)は頭を抱えていた。
来週放送予定の話数の、動画マンが一人も確保できない。
国内のスタジオには何十件も電話したが、どこも「手一杯だ」と断られた。
このままでは「作画崩壊」どころか、放送に穴が開く。
(当時はまだ「作画崩壊」という言葉はなかったが、放送された絵が紙芝居以下のクオリティになる恐怖は常にあった)
「どうすればいいんだ……」
深夜の制作進行ルーム。重苦しい空気の中で、先輩プロデューサーが田中に一枚の名刺を差し出した。
「韓国だ」
「韓国のアニメスタジオに頼むしかない」
当時、韓国はアメリカのアニメの下請け制作などで技術力を高めつつあった。
地理的にも近く、時差もない。
そして何より、そこにはまだ「描ける手」があった。
しかし、それは未知の領域への挑戦だった。
言葉は通じるのか。
日本のアニメ独特のニュアンスは伝わるのか。
そして、どうやって原画を運び、完成品を回収するのか。
インターネットもデジタルデータもない時代。
海を越えた制作ラインの構築は、まさに命がけの兵站確保作戦だった。
田中は震える手で、ソウルの市外局番を回した。
それが、日本アニメのグローバル化という、新しい時代の幕開けになるとは知らずに。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十九章、第一話いかがでしたでしょうか。
80年代のアニメブームは、制作現場にとっては地獄のような人手不足との戦いでもありました。国内だけではパンクしてしまう。その危機的状況が、海外への目を向けさせたのです。
さて、韓国への発注を決めた制作デスク。
しかし、データ送信などできない時代、物理的にどうやって原画を運んだのでしょうか。
次回、「海を渡る原画」。
空港を舞台にした、知られざる運び屋たちの物語です。
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