宮崎駿とスタジオジブリの船出 第3話:最高の職人だけを集めろ
作者のかつをです。
第十八章の第3話をお届けします。
ジブリのクオリティを支えたのは、宮崎駿という一人の天才だけでなく、彼に食らいついていった名もなき職人たちの技術でした。
今回は、その緊張感あふれるリクルートと現場の空気を描きました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
「下手な奴はいらない。上手い奴だけを呼んでこい」
スタジオジブリの制作現場で、宮崎駿の方針は冷徹なまでにシンプルだった。
彼が目指すのは、従来のテレビアニメのレベルを遥かに超える、圧倒的な密度と動きを持った映像だ。
そのためには、彼の手足となって動ける超一流のアニメーターが必要だった。
しかし、設立当初のジブリは、社員を抱える余裕などなかった。
作品ごとにスタッフを集め、完成したら解散する「召集方式」を取らざるを得なかった。
鈴木敏夫や制作担当者は、電話帳を片手に日本中のアニメーターに連絡を取った。
「宮崎駿の新作をやる。参加してくれないか」
その誘いは、アニメーターたちにとって魅力的であり、同時に恐怖でもあった。
宮崎駿は、業界でも有名な「仕事の鬼」だ。
彼の要求水準はとてつもなく高く、少しでも線が乱れれば容赦なくリテイク(描き直し)を命じられる。
彼の机の周りには、常に怒号と緊張感が漂っているという噂だった。
それでも、腕に覚えのある職人たちが次々と吉祥寺に集まってきた。
彼らは知っていたのだ。
宮崎駿の下で働けば、間違いなく「凄いもの」が作れるということを。
そして、自分の技術が極限まで試されるということを。
集まったのは、個性豊かで扱いの難しい職人ばかりだった。
天才的なエフェクト作画で知られる者。
メカニックを描かせたら右に出る者はいない者。
繊細なキャラクターの芝居を得意とする者。
彼らは、ジブリという名の「虎の穴」に、自ら飛び込んできたのだ。
給料は、当時のアニメ業界の相場からすれば破格の良さだった。
「良い仕事には、良い対価を払う」
それは、労働組合運動に熱心だった高畑勲と宮崎駿の、譲れない信念でもあった。
しかし、その分、求められる成果は厳しかった。
スタジオの中は、静まり返っていた。
鉛筆が紙を走る音と、時折響く宮崎の鋭い指摘の声だけが聞こえる。
「違う! 風はこう吹くんだ!」
「重力が感じられない! やり直し!」
宮崎は自らもペンを握り、驚異的なスピードで原画を描き直していく。
スタッフたちは、その圧倒的な才能の奔流に必死で食らいついた。
そこは、和気藹々としたサークルではなかった。
互いの技術を盗み合い、高め合う、真剣勝負の「道場」だった。
こうして集められた精鋭たちによって、ジブリ第一作『天空の城ラピュタ』の制作が本格的に始動した。
彼らの指先から生み出される一枚一枚の絵が、やがて空に浮かぶ伝説の城を築き上げていくことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
当時のジブリは、70人から80人ほどのアニメーターを作品ごとに集めていました。彼らはプロジェクトが終わるとまた別のスタジオへと散っていきましたが、その経験は業界全体のレベルアップに大きく貢献しました。
さて、精鋭たちが集まった吉祥寺のスタジオ。
そこはどのような場所だったのでしょうか。
次回、「吉祥寺の小さな城」。
熱気と煙草の煙に包まれた、伝説の仕事場へご案内します。
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