宮崎駿とスタジオジブリの船出 第1話:ナウシカの奇跡
作者のかつをです。
本日より、第十八章「風の谷の職人たち ~宮崎駿とスタジオジブリの船出~」の連載を開始します。
今回の主役は、日本が世界に誇る「スタジオジブリ」。
その設立前夜、宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫という三人の男たちが交わした熱い魂のやり取りを描きます。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
金曜日の夜、テレビでは『金曜ロードショー』が放送されている。画面の中では、青い服を着た少女が金色の草原を歩いている。何度目の再放送だろうか。それでも、その圧倒的なクオリティと深いメッセージ性は、色褪せることなく視聴者を釘付けにする。「ジブリ」。そのブランドは、今や品質保証の代名詞だ。
私たちは、宮崎駿が世界的巨匠であることを当たり前のように知っている。
しかし、かつて彼が「視聴率が取れない」「地味だ」と言われ、企画が通らない不遇のアニメーターだった時代があったことを知る者は少ない。
これは、商業主義の荒波の中で、たった一人の編集者と二人の天才が起こした、奇跡のような船出の物語である。
物語の始まりは1980年代初頭。
アニメ雑誌『アニメージュ』の編集長、鈴木敏夫は、一人のアニメーターの才能に惚れ込んでいた。
宮崎駿。
東映動画出身の彼は、卓越した技術と演出力を持ちながら、自分のオリジナル企画をなかなか実現できずにいた。彼の描く企画書は、テレビ局や玩具メーカーの担当者には難解すぎたのだ。
「ロボットも出ない、派手な必殺技もない。こんな地味な企画、子供には受けませんよ」
企画はことごとくボツになった。
鈴木は、そんな宮崎に一つの提案をする。
「宮さん、原作がないなら、自分で描いちゃえばいいんですよ。漫画を」
それは、業界の裏口入学のような提案だった。
「原作付きのアニメ」なら企画が通りやすい。ならば、既成事実として雑誌で連載してしまえばいい。
こうして『アニメージュ』誌上で連載が始まったのが、漫画版『風の谷のナウシカ』だった。
鈴木の狙いは的中した。
宮崎が描く緻密で壮大な世界観、そして自然と人間の対立という重厚なテーマは、当時アニメを「卒業」しつつあったハイティーン層の心を強烈に捉えた。
「これを映画にしたい」
機は熟した。鈴木は徳間書店を説得し、博報堂と組んで劇場版アニメの制作に乗り出す。
監督は宮崎駿。プロデューサーには、宮崎の盟友であり、論理的な思考で彼を支える高畑勲が就任した。
1984年3月。
映画『風の谷のナウシカ』公開。
結果は、大ヒットとは言えなかったかもしれない。興行収入はそこそこだった。
しかし、その映画がアニメ業界に与えた衝撃は、核爆発のようなものだった。
「アニメでここまで描けるのか」
腐海と呼ばれる菌類の森、巨大な蟲たち、そして空を舞うメーヴェの浮遊感。
そこには、子供騙しではない、大人が本気で作った「映画」があった。
この一本の映画の成功が、全ての始まりとなった。
しかし、宮崎と高畑、そして鈴木の野望は、そこで終わるものではなかった。
彼らは、この成功を足がかりに、アニメ制作の常識を根底から覆す、前代未聞の「実験」に乗り出そうとしていたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十八章、第一話いかがでしたでしょうか。
『ナウシカ』は厳密にはスタジオジブリの作品ではなく、制作は「トップクラフト」というスタジオが行いました。しかし、この作品の成功がなければジブリは存在しなかったでしょう。
さて、映画を作り終えた彼ら。
普通なら「次はテレビシリーズでも」となるところですが、彼らは全く逆の道を選びます。
次回、「もう、会社には縛られない」。
理想の制作環境を求めた、男たちの決断です。
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