戦時下、国策アニメの光と影 第4話:これは芸術か、プロパガンダか
作者のかつをです。
第二章の第4話をお届けします。
作り手は自らの作品が世の中に与える影響から逃れることはできません。
今回は戦争という時代の中でクリエイターたちが抱えた最も根源的な苦悩に焦点を当てました。
※この物語は史実を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
2025年、東京。
SNSのタイムラインにはあるアニメ作品の感想が溢れている。
「この作品のメッセージ性は素晴らしい」「いや、説教くさくて楽しめない」。
エンターテイメントに社会的なメッセージを込めるべきか否か。その議論はいつの時代も尽きることがない。
私たちは、その問いを自由に語り合うことができる。
しかし、かつて作り手たちが自らの作品の持つ意味に深く苦悩し、誰にも打ち明けられない葛藤を抱えていた時代があったことを知る者は少ない。
映画の制作は佳境に差し掛かっていた。
瀬尾光世の芸術への執念と若きアニメーターたちの血の滲むような努力によって、フィルムには奇跡のような映像が刻み込まれていった。
動物たちが日本語の「アイウエオ」を学ぶ牧歌的なシーン。
南方の島で動物たちが歌い踊りながら基地を建設していくミュージカルのようなシーン。
その一コマ一コマはディズニーアニメに勝るとも劣らない生命力と楽しさに満ち溢れていた。
しかしその映像の完成度が高まれば高まるほど、アニメーターたちの心の中にはある暗い影が広がり始めていた。
自分たちが今描いているものは一体何なのだろうか。
可愛らしい動物たちが笑顔で軍事訓練を受けている。
猿の兵士がパラシュートで敵地に降下していく。
鬼ヶ島に見立てられた敵の拠点。それを正義の味方である桃太郎が征伐する。
その物語の根底にあるのは紛れもない「戦争の肯定」だった。
この映画を観た純粋な子供たちの心に、「戦争は楽しいものだ」「兵隊さんは格好いい」という刷り込みを与えてしまうのではないか。
自分たちのペン先が少年たちを死地へと向かう片道切符を渡しているのではないか。
それは芸術を追求したいという純粋な思いとは全く相容れない罪悪感だった。
ある夜、一人の若手アニメーターが瀬尾の元を訪れた。
「監督……僕たちは正しいことをしているのでしょうか」
その震える声での問いに瀬尾は何も答えることができなかった。
彼自身もまた同じ葛藤に苛まれていたからだ。
しかし彼は監督だった。このプロジェクトを止めることはできない。
彼は自分にそして若いスタッフたちに言い聞かせるしかなかった。
「我々はただ最高の映画を作るだけだ。その評価は後の時代が決めるだろう」
それは答えになっていない答えだった。
彼らは自らの葛藤を胸の奥深くに押し込めた。
そしてただ目の前の一枚の絵の完成度を高めることだけに、全ての神経を集中させた。
そうでなければ正気ではいられなかったのだ。
芸術か、プロパガンダか。
その答えの出ない問いを、彼らはインクの匂いが立ち込めるスタジオで来る日も来る日も自らに問い続けていた。
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『桃太郎 海の神兵』は一見すると可愛らしい動物たちの映画ですが、その根底には当時の日本の植民地政策を肯定するような強いメッセージが込められています。その二面性こそがこの作品の複雑な魅力でもあります。
さて、様々な葛藤を乗り越え映画はついに完成の時を迎えます。
しかし彼らを待っていたのはあまりにも残酷な運命でした。
次回、「完成、そして敗戦」。
歴史の大きなうねりが彼らの努力を飲み込んでいきます。
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▼作者「かつを」の創作の舞台裏
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