砂漠化した世界と死ねない僕
世界が砂漠化したというのに、僕は死ぬことができない。
きみに不老不死にされたから。
きみはマッドサイエンティストで、きみ自身も不老不死だ。
僕を死ねないからだにしたきみが憎い。
きみへの復讐を唯一の生きがいとして、僕は生きている。
人類は滅亡した。
正確に言えばきみと僕は生き残っているが、不老不死になった僕たちはもう人類とは呼べないと思う。
亡霊みたいなものだ。
あの日、凄惨な笑みを浮かべて、きみは僕を刺した。
アーミーナイフで心臓をつらぬかれたというのに、僕は死ななかった。
胸から血をだらだらと流して、Tシャツは真っ赤に染まった。
僕はわけがわからなかった。どうして僕はナイフを突き立てられてぽかんと突っ立っているのだろう。
「あはははは。成功した。大成功だ。あなたは死なない。私は不老不死の術を完成させた」
美しすぎる科学者として有名なきみは、哄笑し、拳銃を自分の口の中に入れて、引き金を引いた。
弾丸は後頭部から飛び出したが、それでもきみは立っていた。
「うひひひひ。不老不死だ。あなたと私は不老不死になったんだよ」
それからいろんなことがあった。
戦争や戦争や戦争や戦争や戦争があって、人類は滅亡し、ほとんどの種も巻き添えになって滅びた。
世界は砂漠化した。
でもきみと僕は生きている。
至近距離で核ミサイルが爆発したこともあったが、死ななかった。
砂丘が延々とつづき、地平線に太陽が沈もうとしている。
きみは蠍をつかまえてバリバリと噛み砕いている。
「不老不死になったのに、腹は減る」ときみは言う。
「食べなくても死なないけどな」と僕は答える。
「でもお腹は空くんだよ」
「なまの蠍なんて死んでも食べたくない」
「死なない人がそんなこと言ってもな~」
日が沈み、月が昇り、星が輝き、天の川が空を流れる。
僕はきみの顔を殴る。
「痛っ。いきなりなにすんだよ」
「きみに復讐する」
「なんでさっ」
「僕を不老不死にした。頼んでもいないのに」
「ひとりだけ不死になるのは嫌だったんだよね~」
「殺してやる」
殴る殴る殴る。蹴る蹴る蹴る。
僕はきみをめった打ちにする。
撲殺するつもりで殴る殴る殴る。
きみの顔面はつぶれ、僕の拳は砕ける。
蹴殺するつもりで蹴る蹴る蹴る。
きみの肋骨は全部折れ、たぶん内臓に突き刺さっている。
それでもきみは死なないのだ。
「痛いなあ。不老不死でも痛覚はあるんだよ」
ぼろぼろになってもきみは、にへらと笑う。
僕はさらに殴りつづける。
殴り疲れて眠るまで。
日が昇り、目が覚めたとき、きみはいなくなっていた。
「痛いのは嫌なので別れます。追わないでください」と砂の丘に文字が書かれていた。
僕は追った。
あくまでもきみに復讐するために。
死なないきみを追っている。
海は干上がり、世界は砂漠化している。
宇宙船がどこかに隠されていて、地球外に逃げられでもしない限り、いつか僕はきみを見つけられるはずだ。
どうすればきみに復讐したことになるのだろう。
僕は死なないからだにされた。
渇いて喉がひりひりして空腹で胃がずきずきして寂しくて退屈で眩しくて死ぬほど死にたいのに死ぬことはできない。
この恨み、このつらさ、どうすれば復讐したことになるのだろう。
生きながらきみの皮を剥いてやろうか。
かつてきみは僕の恋人だった。
僕たちは深く愛し合っていた。
「このしあわせが永遠につづけばいいのに」
あるとき僕が言うと、きみは腕を組んで「う~ん」と唸った。
そのときからきみは研究を始めたのだ。
いまとなっては、僕はまったくきみを愛していない。ただ憎しみがあるだけだ。
きみは僕ときみのふたりだけしか不老不死にしなかった。
不老不死に特殊な物質が必要でふたり分しかなかったのか、それともきみが不老不死になるのは僕たちだけでいいと考えたのか、それはわからない。
とにかく人類は死に絶え、きみと僕だけが地上に残された。
生き残りがいないか僕はずいぶんと捜したものだが、いまに至るまで発見できていない。
砂漠にもいろいろある。
砂粒だらけの砂漠。
砂と蠍とサボテンがある砂漠。
砂と湧き水があって、泉に魚が泳いでいる砂漠。
岩だらけの砂漠もある。
「それは砂漠なのか。岩漠じゃないのか」
「砂漠だよ。荒地みたいなのは、どれもこれもある種の砂漠なんだよ」
きみはいつかそう言って笑った。
だから廃墟も砂漠だ。
東京砂漠に図書館が残っていて、僕はずいぶんと長くそこに滞在した。
きみがいなくなって話し相手を失って、僕は退屈しきっていた。
本を読んで読んで読んで読んで読んで……読んで読んで読んで読んで読んで……そして図書館の本を全部読了してしまった。
ニューヨーク砂漠にも図書館が残っていた。
僕は英和辞典で英語を勉強して、その図書館の本もすっかり読んでしまった。
各地で図書館を見つけて、いろんな外国語を学んで、読んで読んで読みまくった。
そして地上の本という本をすべて読み終えてしまった。
僕は有史以来もっとも本を読んだ人間になった。
だからといって賢いわけではない。
カルタゴ図書館で読書したとき、僕は東京図書館で読んだ本の内容を少しも思い出すことができなかった。
そんなことより復讐だ。
きみはいったいどこにいるのだろう。
きみと別れて、どれほどの年月が流れたのだろう。
星座の形は変わり果て、僕が憶えている星座はひとつもなくなってしまった。
「私は宇宙の専門家じゃないんだ。オリオン座もわからない」
「あそこに3つ星が並んでいるのが見えるだろう。あれがオリオンの三ツ星だよ」
思い出は脳裏に刻まれて残っている。
「世界大戦が始まったね」
「僕は死にたい」
「世界が終わっても、あなたと私は終わらないよ」
「死なせてくれ……」
「あなたは死なない。私と永劫に生きる」
「きみの愛は重すぎる」
思い出が僕を泣かせる。
きみが恋しくて泣くのか、きみが憎くて泣くのか、僕にはもうわからない。
日が昇り、日が沈み、日が昇り、また日が沈む。
そして日が昇り、目が覚めて、僕はなんとはなしに地平線を眺めた。
人の姿が一瞬見えて、砂丘の彼方に消えた。
きみだ。僕は全力疾走した。砂を蹴って駆けた。
走って、きみを垣間見て、走って走って走って、きみに追いすがる。
「待ってくれーっ」
僕は叫ぶ。
きみは立ち止まらず、去っていく。僕は追う。
きみを見失ってしまった。
きみが歩いていった方角へ進みつづける。
西か東か北か南か。
方角なんてわからない。
僕は鞄を持っている。
皮の鞄はぼろぼろで、黒くて艶があったのに、いまでは白っぽくなっている。
その中にアーミーナイフが入っている。
きみが僕の心臓を刺したナイフだ。
ぴかぴかだったその刃物は、茶色く錆びてふたつに折れてしまっている。
心臓の痛みを憶えている。
氷のように冷たい感覚だった。
寒いところに来た。
ものすごく寒いので、極地だと思う。
北極か南極かどちらかはわからない。
そこにきみは凍って横たわっていた。
かちんこちんに凍っているが、死んではいないはずだ。
僕はきみを持ちあげ、暖かいところへ運んだ。
太陽の光がきみを温め、溶かして、きみは眩しそうに顔をしかめて立ちあがった。
「おはよう」
「おはよう」
「きみに復讐しようと思う」
「私もあなたに復讐したい。せっかく凍りついて意識を失っていたのに、起こされてしまった。私はもう生きていたくないのに」
「僕だって生きていたくないよ」
「私は世界中の本を読んだ」
「僕も読んだよ」
「私は新たに星座をつくって、ひとつひとつ名前をつけた」
「それはやってないな」
「私は人生に飽き飽きしてる」
「僕だって同じさ」
僕はもうきみを殴ろうとは思わなかった。
「宇宙の終わりまで生きるんだ。僕はきみを憎みつづける。きみはそれを感じながら生きつづける。それが僕のきみへの復讐だ」
「宇宙が終わっても、私たちは終わらない」
「想像もできないな」
きみは僕の隣に座って太陽を見た。
目が焼けるほど痛いはずだが、きみはずっと太陽を眺めていた。
僕はきみの横顔を見て、綺麗だと思った。美しすぎる科学者と呼ばれたときの美貌を保っている。
不死はろくでもないが、不老は悪くない。