傾国の美女は、女傑を誕生させる
「はぁ⋯⋯」
貴族の屋敷ほど大きくはないが、そこそこの規模の家の応接間のソファーに腰掛けたカスタネア・デンバーは、ため息を吐いた。
彼女と向かい合わせの席にいる少年は、彼女の通う裕福な平民のための学校でも、特に有名な男子生徒だったからだ。そう──
ある一人の女生徒の、一番の取り巻きとして。
ピンク掛かった金の髪に、大きな翠の瞳。小さな顔に華奢な身体。染み一つない白い肌は、輝くような美しさだった。
ミルヴィー・レイクス。この美少女は、平民学校に入学してきた時から注目の的だった。
一つは、その妖精じみた可憐な美しさで。もう一つは、ある男爵家の婚外子だという噂で。
彼女と同じ年に入学してしまった女生徒は、皆、劣等感を持ったことだろう。カスタネアも、その一人だった。
子供の頃から、『栗色のサラサラ髪に大きな空色の瞳──しかも、とびきり可愛い。将来、カスタネアは、誰よりも美人になるぞ!』と周りから言われて、自分でも他の少女たちよりも美しいと思っていた。けれど、ミルヴィーを見た瞬間、それは『平均的な美人』という意味でしかないと、思い知ったものだ。
カスタネアの家は祖父の代からの、言わば成り上がり商人で、老舗の──高位貴族とも取り引きをする商家からは下に見られていたが、より商才のあった父が事業を拡大させると、それもなくなった。
しかし、どれほど財を持っていても、未だ爵位を持ってはおらず、カスタネアは平民学校へと入学した。
この国は、ほんの五十年ほど前までは貴族の子弟しか入学が許されない王立学院しかなかった。
しかし、隣国で革命が起き、王政が崩壊すると、この国でも同じように王政の廃止を訴える者が続出し、一時は混乱したが、当時の王が賢王だったため、結局、王政は崩壊しなかった。
それでも王侯貴族の権利が縮小され、議会でも平民が半分以上占めるようになると、平民のための施設が増えていく。
教育機関もその一つで、その中でも質が高い教育をと、多くの学費が必要となるこの学校が開校されたのである。
しかし、五十年経った今では、高等学問を学ぶというよりは裕福な家の者同士の見合いの場と化しており、デンバー家の次女であるカスタネアも、まさにその一人であった。
ところが──13歳になり入学した途端、一人の女生徒に、将来有望な──つまるところ見映えのいい男子生徒たちの視線を、全て持っていかれる羽目になってしまった。
それでも積極的にアピールしていた女生徒たちもいたが、二ヶ月ほど経つと、諦めたかのように、彼女たちは声掛けをやめてしまった。
ミルヴィーが在学した一年間、この四年制の学校は見合いの場ではなく、本来の姿──学業中心へと回帰していたことは、何とも皮肉な話である。
一年間──そう。彼女は入学して一年後、貴族専用の王立学院へと転校していった。
噂では、男爵家の奥方が亡くなり、男爵の妾だったミルヴィーの母親が後妻になったことから彼女自身も男爵令嬢となって、入学許可が下りたとのことだった。
その後の学校は、彼女に好意を寄せていた男子生徒たちにとっては、意味のない学び舎だったのかもしれない。特に、熱心に彼女について回った男子生徒たちは、放心していた。
それとは反対に、カスタネアを含めた女生徒たちは、ホッとしていた。
ミルヴィーの性格が悪かっただとか何かをされた訳ではなかったが、彼女の浮き世離れした美しさを見ると、自分の容姿が恥ずかしく感じられたからだ。
実は、カスタネアも他の女生徒たちも、ミルヴィーとは一言も話したことがない。彼女の周りには何時だって誰かしら男子生徒がいたから、機会がなかったのだ。
それからさらに二年後、さすがにもうミルヴィーの影響もなくなり、心が軽くなったカスタネアは、両親からある話を聞かされた。
それは、高位貴族とも取り引きしている名門の大商会の子息との婚約話であった。
同じ学校の一つ年上の少年──グレイ・モンバールと言う名だという彼は、名を聞いただけでは姿が思い浮かばなかった。
しかし、顔見せの当日──カスタネアが見た顔は、何時だってミルヴィーの隣に陣取っていた男子生徒の見慣れた顔だった。
そして、冒頭へと戻る──
(絶対、無理!つーか、困る!!)
今だって黒髪の──整った彼の顔を見る度に、セットでミルヴィーの輝くような美しい顔が浮かんでくるのだ。
「あの⋯⋯カスタネアさんは、三年生でしたよね。他に誰かとお付き合いされたことはありますか?」
(ねーよ!アンタたちのせいで!)
この三年間で──金は持っているが品性には欠ける砕けた口調の友人を持ったおかげで、大分、言葉遣いが悪くなったカスタネアであった。
「いいえ──そんな機会もありませんでしたから。ほほ!」
本当ならば『初っ端からアレで、心が折れたわ!!』と叫びたかったが、それでも理性を総動員させ、表向きは良家の子女を演じる。
「そう、ですか⋯⋯」
そうよ。それは薄々分かってたんでしょ?
グレイ少年の青い瞳を見ながら、心で呟く。
ミルヴィーが学校を去った後、取り巻きたちや遠くで彼女を見ていた多くの男子生徒は、半年ほどするとようやく立ち直り、普段の生活に戻っていった。そして、それまで眼中になかった──目には映ってはいたがそれだけだったはずの女生徒たちに、猛アピールを始め、中にはすぐに交際を申し込んでくるケースもあった。
それとは真逆に心が冷えていった女生徒たちは、表向きは丁寧に断り、裏では罵倒しまくった。
『今さら、何よ!』
『私たちじゃ、彼女の代用品にもならないでしょ!?』
『一年間の屈辱──私は、一生忘れないわよ!!』
てなもんである。
カスタネアもまた、同感だった。特にこのグレイは、名門大商会の跡継ぎで顔も良かったから、ミルヴィーの本命だと目されていたのだ。
しかし、商家としては格上であるモンバールに、こちらから断ることは、立場上、難しい。どうしても、グレイの方から断ってもらう必要があった。
「あの⋯⋯グレイさんは、ミルヴィーさんのことがお好きでしたのよね?よく、連れ立っていらしたもの」
こうなったら、彼女への想いを思い出してもらって、破談に持ち込みますか。
「お二人はどちらも美男美女で、お似合いだと思っていましたのよ?」
「そ、それは⋯⋯」
おお、顔色が変わった。なんつー、分かりやすい男。
「今でもあのお美しいミルヴィーさんのことを、よく思い出しますの。女のワタクシでさえそうですから、身近にいらした貴方にとっては、忘れ難い方でしょう⋯⋯」
「⋯⋯いえ、最近は⋯⋯そうでもありません。あの、よろしければこれからもお会いしたいのですが⋯⋯」
⋯⋯困った。つーか、察し悪っ!!この人、商人に向いてないような気がするんだけど!?
失敗したわ。けど、この路線でチクチクすれば、過去のことをネチネチ言う女として嫌われるかも!!──よし、頑張るのよ、カスタネア!!
その後──観劇に行った帰りには「ミルヴィーさんほどではありませんでしたが、美しい女優でしたわね!」と言い、食事に誘われた時には「そういえば、学内の食堂でよくミルヴィーさんと食事をされていましたよね」と言い、校内でバッタリ会った時には「あそこでよく、ミルヴィーさんと話していらっしゃったわね」と言い、共に登校しようと言われた時には「⋯⋯」の後、『ウザっ!!』と続けそうになった。危ない。
しつこい。あれだけ「ミルヴィーさんが」と言ってるのだから、いくら何でも私の真意が分かってるはずなのに⋯⋯もしかして、モンバール家って、経営が傾いてんの??
その後も学校内だけでなく外でも声を掛けられ、カスタネアは疲れていた。グレイの美少年顔も、もはやヘノヘノモヘジとしか思えない。
ストレスからか、肌荒れが酷くなってきた頃──思いもよらぬ形で救われることとなった。
「申し訳ないけど⋯⋯君とは合わないようだ。この話は無かったことにするよ」
グレイの言葉に、ヒャッホー!っとは言えず、俯いて歓喜の表情を隠したカスタネアは、「そう⋯⋯ですか」と、短く応えた。
やったね!!
ミルヴィーが市井に出戻ったという噂を聞いてから一週間──思ったよりも遅くの破談だった。
何でも王立学院で男女の騒ぎを何度も起こしただけでなく、王太子まで惑わせたと、学院内で処分を受け、追い出されたという話だった。
ついでに男爵家からも除籍されたが、金銭的な援助だけは受けているらしい。
でも、正直、彼女が何かしたというよりは、周りの男どもが勝手に何かやらかしたんだろうな⋯と、思っている。
傾国の美女──多分、ミルヴィーはソレなのだろう。
それから一年後、私は学校を卒業し、実家の商売を手伝うようになった。
グレイ・モンバールは、数年後、予想通りミルヴィーと結婚したが、何故か高位貴族からモンバール家は嫌われ、あっという間に没落した。おそらく、ミルヴィーの過去のそれと、グレイの商才の無さが原因だろう。
それからさらに数年後には、離婚したミルヴィーが新王の妾妃になったという話を聞いたが、その噂話を聞いた時には、王政の廃止、及び身分制度の撤廃が議会で承認されていたので、特に興味は無かった。
新時代──これから平民だけの国となり、新しい制度もドンドン作られるだろう。今から思えば、今の私があるのは、ミルヴィーのハーレムのおかげかもしれない。
でなければ、入学初っ端から恋だの愛だのに浮かれて、学業がおろそかになっていただろう。あの顔だけ男のグレイにも、皮一枚で騙されていたかもしれない。
もしかして傾国の美女とは、時代の変わり目に誕生するものなのかも⋯⋯などと思ってしまった。
若い頃は、彼女のような輝くような美しさを切望したし、妬みもしたけど──あんな風に自分の容貌に振り回される人生は、ゴメンだわ。
カスタネア・デンバーは、政変後のこの国で商人として大きく成功し、女傑として名を残した。
しかし、彼女はその時代には珍しく、生涯独身で貫き通したという──
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