君への贈り物
加藤雄希は学校鞄を持ち上げて、席を立とうとした。すると、隣に座っていた花坂美由紀に声をかけられる。
「ゆうちゃん、最近二組に転校してきた島田茂也って知ってる?」
雄希は鞄を机に置き直して、首を傾げる。
「そんなに詳しくは知らない」
美由紀は周りに人がいないか確かめてから、小声で喋り始めた。
「これ、最近流れてる噂なんだけどね……島田くんって、盗み癖があるらしいの」
思いもかけぬ発言に、雄希は目を見開く。
「盗み? 誰か盗まれたやつがいるの?」
「なんか、その辺は情報が錯綜してて。単に噂の域を出ないんだけど。ある人が失くし物をして、次の日学校へ行ったら、島田くんがそれを持ってきて使ってるんだって。何食わぬ顔でよ」
雄希は腕を組んで考えた。
「本当に噂の域を出ないって感じだな。何を盗まれたかも定かじゃないし」
「だから、ゆうちゃんに話したんじゃない。これ以上エスカレートしたら風紀が荒れるでしょ? どうにかしてよ四組のリーダーさん」
リーダーという響きは雄希の口元を自然と綻ばせる。大好物のキーワードだったが、他人に知られてはイメージダウンになるので、自然に振る舞う。
「いや、わかった。調べてみるよ。できうる限りで」
「そうこなくちゃ! ゆうちゃん頼んだよ!」
次の日の昼休み、島田茂也のいる二組を覗いた。廊下側の一番前の席に座っていた田所正泰に話しかける。
「田所、島田茂也いる?」
田所は眠そうにこちらを見ると首を振る。
「多分今ゴミ捨てに行ってるよ」
「サンキュ」
雄希は階段を二階分降りて、靴箱で靴を履き替えた。校庭に出ると、校舎を回って焼却炉へ向かう。焼却炉はもう使用禁止なのだが、一時的なゴミ置き場になっている。そこに、茶色の落ち葉や笹の葉が入った袋を持った男子生徒がいた。なんとなく見覚えがある。瞳が大きく童顔で、背は低いので、どこか女の子のような風貌。島田茂也だ。
「あっ、島田くん。どうも」
島田茂也は怪訝そうな顔をしている。誰だっけ?という表情だ。単刀直入に行くか、回り道をするか。雄希は悩んだが、どちらも並行してできることかもしれないと思った。つまり、島田茂也に近づきつつ、他の人の証言を聞く。やってみるか、と思っていた。
「どうも……えっと……」
「あ、俺、四組の加藤。加藤雄希。よろしく」
島田茂也は「ああ……初めまして」と頷いた。
「いやー大変だね。昼休みにゴミ捨てなんて。先生誰だっけ? 丹沢?」
「ああ、う、うん……」
島田茂也は誰とでもフレンドリーに話せるタイプではない、とわかった。陰キャだな、と。だから意外だった。こいつに人の物を盗む度胸があるだろうか。無理だろ、と直感で思う。
「急にごめんな。ちょっと島田くんと喋ってみたくてさ。また会いにきていい?」
雄希は白白しく嘘をついた。こんなふうに色んな振る舞いができる自分を誇っていた。
島田茂也は口元を歪めたが、出てくる言葉は「うん、別に、いいけど……」だった。
その日はそれで別れて、あとは二組の生徒の証言を聞くことにした。慎重にする必要があった。証言集めをしていることが島田茂也にバレたらややこしいことになる。だからまずは再び田所に話しかけ、廊下に呼び出す。
「何? 島田のこと探ってんの?」
田所は眼鏡を押し上げ、こちらを見下げる。成長期で身長が爆伸びしているのだ。
「あんま大きな声出すなよ。あのさ、島田って、盗み癖があるって本当?」
「えっ? 盗み……あーー、あれか」
「あれ?」
「島田って、よく女物のストラップとか、文房具とか持ってくるんだよ。それを、周りの女子たちが盗んだ!って騒いでる……のかな? ある種のいじめだよね」
雄希は頷いた。やはり、あの島田茂也が盗みを働くなんて無理難題。この問題は早々に片がつきそうだった。
「島田は濡れ衣を着せられてるってことだな」
「ってか……他の噂もあるね。逆に、女子が貢いでるんだとか。つまり、女子が、島田に贈り物をした上で告って玉砕。それを逆恨みして、『あいつ、人のもの盗んだ』っていいふらした、なんて……」
これには雄希は懐疑的な視線を送った。ありえないだろ、と呆れる気持ちもあった。
「島田のどこがいいんだ?」
田所はギョッとする。雄希は慌てて首を振った。駄目だ、これではリーダー失格だ。
「いや、だからさ、転校してきたばっかりの島田に、私物を貢いでる女子が、噂になるくらいだから何人もいるんだろ? でもさ、超イケメンとか、わかりやすい魅力もなしに、なぜそんなにモテるんだろうな」
「僻みか?」
笑顔に戻った田所にホッとして、雄希は続ける。
「まあな。で、今度は盗まれた側の意見も聞きたくて。誰かいない?」
「あーー、うーーん。あっ、あいつどうかな。高橋泉がそんなこといってた気もする」
雄希は放課後、高橋泉にアポを取って、一緒に帰ることになった。
泉ははっきりいって美人だ。それに付随する性格の悪さもしっかり備えている。噂が本当だとすれば、島田茂也に告白したことになってしまいそうだったが、やはりそれはないのではないか、と雄希は思う。
「あー、島田のことね。うん、盗まれたよ」
だから、泉が断言した時は度肝を抜いた。
「ま、マジ?」
雄希は自転車を押し歩きしながら、混乱する己を冷静になれと叱咤した。
「前さー、ピンクのシャーペン使ってたの。そしたら、いつの間にかなくなってて。そしたら、国語のテストの時、あいつが落としたの。見たらうちのじゃん! ってなって。意味わかんなくて、あれ?盗まれた?って」
「ふざけんなっていわなかったの?」
「それがさー……うちも、いおうと思ってたんだけど、なんか、妙な記憶があって……」
「記憶?」
「うち、島田にシャーペンあげた気もするんだよね」
「は?」
「だから、盗まれたとは思うんだけど、盗まれた!ってむかついた時に、ふっと、あれ?あげたのうちじゃね?って思うんだよ」
雄希は首を傾げざるを得なかった。泉のいったことはどういう意味なのか。他に何か盗まれたことのある女子を知らないか、と聞いたところ、「うちは知らない」と言われた。家に帰って、自室に向かったところ、手に持っているスマホから着信音が鳴った。LINEだった。
『はぴー。どう?情報集めは順調?』花坂美由紀だ。
『いや。暗礁。泉が盗まれたけど、あげた気もするんだと』
『あげた気?なんじゃそら』
『しらね』
『そっかー。まあ、頑張って』
『これ、何がゴールなんだと思う?島田の冤罪を晴らす?それとも不可解な記憶の改竄?』
『弱音珍しいね。続けてればわかるかもよ』
そこで雄希はスマホを机の上に置いた。
あくる日は再び島田茂也に会いにいった。給食の時間を終えて、二組の生徒が寛いでいるところに、雄希はずかずかと入っていった。島田茂也は丸い目をもっと丸くしてこちらを見ていた。雄希は一人で教室の隅の机に座っていた島田茂也に近づいていく。
「こんちは」
島田茂也は「こん……ちは」と呟くようにいう。
「びっくりさせちゃった?」
「いや……」
「島田くん。引っ越してきたんだよね。どこから?」
「いや……隣の学区から」
「なんかあったの?」
「う、うん、色々……」
雄希は、なるほどね、と思った。多分以前の中学校で何か問題があったのだろう。端的にいうといじめの標的にされた。
「ねぇ、島田くん。例えばだけどさ、今、この中学どう? 居心地」
「居心地……普通……」
「なんか、周り、そわそわしてない? 大丈夫?」
「そわそわは……わ、わかんない」
雄希は埒があかないな、と内心ため息をつく。
「誰かが、何かを盗んで、色々噂になってるみたいで」
雄希は、思わせぶりに切り出してみた。島田茂也はギョッとした表情をする。そして、唇がわなわな震え始める。
「ち、違う……僕は」
「大丈夫。全部聞くから、ゆっくり話してごらん」
島田茂也は上目遣いに雄希を見た。もう、どうしてマークされているか悟っているのだろう。
「あれは……あの、僕は、本当に、女子がボールペンや消しゴムをくれるっていうから、もらっただけなんだ……た、頼んだんじゃなくて、本当にくれるっていうから……だからもらって、もらったからには使わないと悪いかな、と思って、使ってたら、盗んだっていわれるんだ」
「それ、どういうことだと、自分では思うの?」
「……い、いじめられてるのかも」
雄希は頷いた。自分の想像通りの結末に至りそうで満足する。事をややこしくした泉の証言はただの勘違いということにしよう。
ここで、リーダーとして取るべき行動は。雄希は考えた。いじめられっ子をみすみす見逃してやり過ごすのは良くない。
「島田くん。今日、ちょっと一緒に帰ろうよ。美味しいケーキ屋知ってんだ」
「えっ」という驚愕の表情を見せる島田茂也。多分、この男子生徒はこういう友情を知らないんだろう。雄希は、急に哀れになって、島田茂也を誘ったのだった。
雄希は自転車を押しながら、島田茂也とそぞろ歩いた。雄希が一方的に喋ってばかりいたが、ケーキ屋でケーキを頬張って、紅茶で喉を潤すと、島田茂也の表情も幾分柔らかになった。もちろん警戒心は解いていないが、校門を出た時に比べれば、間にある壁が薄くなった、という気がした。
「そっかそっか。なるほど、そういう家族構成か。姉ちゃん欲しかったから羨ましいなー」
「いや、そんな。だって、う、うるさいよ凄く」
「いやいや。兄貴も意外とうるさいんだぜ」
趣味や家族構成の話を一通り終えると、奇妙な空白ができた。そこで、つと、島田茂也が喋り出した。
「あの、加藤くん……僕、その、いっておきたいんだけど」
島田茂也から話を切り出すのは本日初だったので、雄希は姿勢を正した。
「何?」
「あの、僕の、噂。盗んでるって。あれ、僕にも原因があるのかも」
「いじめられる原因があるってこと? そうは思えないな」
口ではいくらでも適当なことをいえる雄希だった。
「と、いうより、僕が、物欲しそうな顔をしてるんだと思う……僕、子供の頃から貧乏で、みんなが買ってるお菓子や漫画も買えなくて、でも頂戴とか貸してっていう勇気もなくて、子供の頃から、近所の神社に毎日お参りに行ってたんだ。大きくなったら、なんでも手に入りますように、って、いつもお願いしてたんだ。その神社は、千回お参りすると、願いを叶えてくれるっていう噂があって……。とうとう、この中学校にくる少し前に、千回のお参りを終えたんだ。そしたら、いろんなものがもらえるようになって……」
雄希は、ほくそ笑んでいた。見ろよ、美由紀、これがリーダーの風格だ。島田茂也はとうとう自ら語り出した。やってやった。まあ、島田茂也の話の内容は、正直『こいつ結構ヤバめだな』に尽きるのだが。精神的に追い詰められているのだろう。いじめられるって大変なんだな。俺にはわからないけど。
二人はケーキ屋を出て、再び歩き出した。
「……皆、本当にいろんな贈り物をくれるんだ。くれるんだけど……」
大きな交差点に差し掛かって、信号待ちをしてる時、島田茂也は雄希を見る。雄希も島田茂也を見た。
「こんなに、いい贈り物を貰ったのは、は、初めてだよ」
「ははっ、この程度ならいくらでも。また行こうぜ」
雄希はその時だけは何か魔法がかかったような上機嫌で答えた。随分キザなお礼の仕方だな、とやや不思議に思ったが。次の瞬間。
反対車線を走っていたトラックが前触れなく横倒しになってこちらに向かってくる。数台の走行車が巻き込まれ、荒々しい音を立てて、目の前の電柱を薙ぎ倒す勢いで迫る。島田茂也はグッと目を閉じて、手を合わせる。助けて、助けてと祈る。爆音と悲鳴の中、目を開けるとーー目の前で脳天を破られて内臓を剥き出しにして倒れている男子生徒。明らかに、雄希が盾になってくれたのだ。島田茂也は涙した。もう生きてはいないとわかったからだ。島田茂也は流れる涙を拭こうともせず立ち尽くす。通りすがりの大人が叫んで走ってくる。そっと目の前にハンカチをかけられ、惨状の目に届かない場所まで連れていかれる。
「加藤くん……」
島田茂也は、近くのホームセンターの駐車場で退避することになった。最後にこんな贈り物を受け取ることになるなんて。
「……加藤くんにもらった命は大切に使わせてもらうね……」
地面に夥しい血を流して倒れる男子生徒のスマホの着信音が鳴る。
『ゆうちゃん、どう? 調査は捗ってる?』
そのLINEに答える者はいない。