103階
ある国の国際都市にはかつて、102階建ての高層ビルがありました。
低層階はオフィスで、中高層階はホテルとマンション、最上階は100階で、高級レストランとなっていました。
101階と102階はオーナーさんのペントハウスでした。とても広くて豪華な、バルコニーのあるお家です。
室内には趣味の良い家具や彫刻作品と四季折々の草花が飾られて、少し前までは世界のセレブたちが毎晩のように集ってパーティーをしていましたが、オーナーさんご一家が新しく家を建ててからは、ほとんど人の気配がなくなり、たまに清掃会社のスタッフの方がやってきて、掃除をして帰るくらいになりました。
いずれここは売り払われるか、貸し出されるかするのでしょう。
102階の上にはもう一つ階がありました。
屋上階です。
その階にはエレベーターでは行くことはできませんでしたが、非常階段からは特別な鍵があれば行くことができました。
扉を開けてまず目に飛び込んでくるのは、いろんな機械でした。
高層ビルを保つためには空調とか水道のタンクとか、たくさんの機械や設備が必要なのですが、その屋上にも何台もの機械が並んでいて、毎日ごうごうと音を立てていました。
いざという時のためのヘリポートもありましたが、幸いなことに、使われることはありませんでした。
いろいろな機械に隠れるようにして、屋上の隅の方にぽつんと一軒、機械のための設備室がありました。
扉は二つあり、ひとつは非常階段に向かって開く扉、もうひとつは屋上に向かって開く扉です。
設備室の中は案外広く、管理人さんが仕事をするためのコントロールルームがあり、それに隣接して休憩室がありました。休憩室にはいざという時には泊まれるように、ユニットバスと簡易キッチンまでありました。
そのビルの管理人さんは他にいくあてもなかったので、小さな機械室の部屋に、おひとりで住み込んでいました。
休憩中には小さなテーブルがあり、簡易の冷蔵庫とお鍋にお皿が大小二枚、コップが一つ、ありました。
窓にはビルの備品のブラインドがかかっていましたが、ビルができた時から替えていないので錆び付いていて、半分だけ空いた状態で止まっています。
窓際にはベッドがあり、ラジオが一台、たんす代わりの木箱がひとつありました。それとなぜか、流木のかけらが一本に、きれいな桜貝の貝殻が一枚、木箱の上に並べて飾られて、窓からの光を浴びていました。
管理人さんの一日は、夜明け前から始まります。
朝はごみ出しの準備です。この国ではごみは皆さん、大きなコンテナに放り込み、週に三回、大きなごみ収集車がやって来て、ごみの入ったコンテナごとひっくりかえすようにして車の中に入れていきますから、管理人さんはコンテナを表に出して、ひっくり返されて空になったコンテナのお掃除をして戻すだけです。
それから、汚れた場所の掃除。といってもお掃除の方は他にもいますから見回りだけ。どこかが壊れたら修理しますが、たまにしかすることはありません。
そういうわけで、管理人さんは空いた時間、つまりほとんどの時間を屋上のコントロールルームで過ごしていました。
コントロールルームには大きなパネルがあって、さまざまな機器からの信号が表示されていました。管理人さんはときどきその表示を眺めて異常がないことを確認し、必要な時だけ操作しました。
何か不具合があればアラートが鳴ります。アラートが鳴った場合は本社の人間とやりとりして対応することになっていますが、管理人さんが管理人になってから、もう十年以上経ちますが、その間にコントロールルームを使うことになったのは、大きな地震があって緊急停止が行われた時と、嵐で街の外を流れる川が氾濫して、このビルの地下が浸水した時くらいでした。
管理人さんはあまり話さない人でしたが、朝、住人と顔を合わせた時は挨拶だけはしました。昼には何と言っていいか分からなくなるらしく、無口になりましたが、会釈だけはしていました。
住民はみな、そういう人なのだと分かっていましたから、特に気にすることもなく、名前の分からないこの管理人さんのことを、103階さん、と呼んでいました。
遥か遠くに地平線、それから広い空に、雲。
それをコントロールルームの横の窓から、下半分だけ開いているブラインド越しに眺めることが、管理人さんの毎日でした。
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