50年後の遺書
これは今から50年後に
なくなっているボクからきみへの
ある意味、告白……
いやいやいや
そんなのじゃないな
もっと軽い感じの
そうだね
ちょっとしたメッセージ
あるいは伝言
ボク、いい人ではないんだ
知ってるでしょう?
だからきみの幸せなんか願わない
ひたすらボクの満足を願うし
ボクの生活が最後まで穏やかで
あっさりマイルドであることを第一に願う
きみだってそうでしょ
にんげんっていう
生きものなんだもの
でも、その満足の片隅に
きみは確かにいて
それなりに笑っていてほしいし
難しい顔していたら
なんてもったいないんだろうって
思ってしまうから
ボクは自己満足のためだけに
きっときみにも満ち足りていてほしいと
願うかもしれないね
だからもし
50年後のきみが家族に囲まれて
幸せにしているなら
よかったねって
思うかも
…いや、違うかな
そんなわけないだろ
フツーにうらやましいし
たぶんきみはボクのことなんか
覚えちゃいないだろう
でも、もしきみが万一
そのときに独居老人してるなら
訪ねていってあげようか
その頃、足はないんだけどさ
◇
ある日、帰宅したら郵便受けに、差出人のない手紙が入っていた。
不思議に思って封を開けてみたところ、出てきた便箋に書いてあったのが冒頭の手紙である。
誰がこんなポエムを送ってきたんだろう?
宛先は書いていない。
そもそも中身に心当たりがなさすぎるので、この手紙は間違って届いたんだろうと思った。
管理人さんに相談して、しばらくアパートの掲示板に貼り紙を出してもらうことにした。
『50年後の遺書』預かっています。
〇〇号室 〇
しばらく待っても誰も取りに来なかったので、郵便局に転送か差し戻しをしてもらおうと思って封筒を持っていくと、差出人が分からなければ受け取れないという。
しかたないので持ち帰って、机の引き出しに入れておいたら、そのまま忘れてしまった。
何年も経った頃、アパートを引っ越すことになり荷物を整理していたら、その手紙が出てきた。
管理人さんに預けるかとも思ったが、それは無責任なような気がして、それに、その不思議な手紙をずっと(忘れていたとはいえ)持っていたからだろうか、なぜか手放し難いような気がして、結局そのまま持ってきてしまった。
それから何年経っただろう。
なんの因果か分からないが、また同じ街に住むことになり、昔の部屋がちょうど空いていると言われたので、じゃあそれで、と同じ部屋に住むことになった。
部屋の扉を開けたとたん、変わらない間取りに変わらない窓からのベランダ越しの景色が、一気に昔のことを呼び起こしていく。
まだ若かった頃のこと。
記憶は白くてぼんやりして、なんとなくオレンジ色をしていて、それなりに喜怒哀楽あったような気がするのに、全てが遠く感じられる。
ふと、若いってことは、未来のための時間が多いってことなんだと思った。
まだ何も確定していない。だから全てが暗闇の中で、その暗闇が永遠に続くように錯覚するけれど、歩んでみれば意外に平気で、それなりにやってこれた。
消えていった時間は、淡くて遠くにある。
そしていつかは誰かが隣にいた気がして、それはリアルとは限らなくて、でも、はっきりとは思い出せない。
引っ越しのトラックが着いた音がして、玄関から次々と荷物が運び込まれていく。
特に広くもない部屋に家具が収まって、ほっとひと息ついた時に、ふと、業者さんではない人影が、視界にあることに気づいた。
「やっと終わったね!」
笑顔で、笑っていた。
誰だろうと思った。
しばらくは、何もしないでその部屋で過ごした。
不思議と腹は減らない。
喉も乾かない。
窓からの景色だけは季節に合わせて変わっていった。
夏の光、秋の風、紅葉した葉のカーテン越しに見た夕日に、葉の落ちた初冬……。
そうして季節がひと巡りする頃になって、ようやく分かった気がした。
とうとう自分にも、この日が来てしまっていたのだ。
今は令和何年だっけ。
平成? 違う気がする。
目を閉じてみた。変わらない室内が見える。手に触れるカーテンの感触も、テーブルも、リモコンも。全てがいつも通りだ。
戸棚を探す。
気に入っていた本を取り出してみる。
全てが鮮明に見えていた。
……目は閉じたままだったのに。
この世界はきっと、自分が作り出した世界だ。
自分は今、生きていない。
だから時間は止まって、何もかもが変わらない。
違うのは、もうじきアパートが建て替えで壊されちゃうということ。
自分はアパートに住みついているうちに、アパートと同化するようになったから、もうじき一緒に壊されて、それから後は存在できなくなるだろう。
ああ、工事の音が聞こえる。
壁を取り壊す音が聞こえる。
観念してみれば、それもしかたないような、別にそれでいいような気がして、なんだかすんっと落ち着いてきた。
と同時に、アパートの思念が伝わってきた。
それは思いがけず、優しい優しいもので、その想いに触れていると、なんだか泣けてくる。
アパートが案じるのは、全て、住民たちのことだった。
角部屋のお爺さんのこと、よちよち歩きだった幼児が少年になり青年になり、出て行った日のこと、遅くまで残業していたサラリーマンのこと、掃除のおばちゃんたちのこと…。学校帰りに泣いていた少女のことは特に気にかけていた。
アパートは全てを案じていたけれど、ただ見守って、雨や嵐からは守り、晴れた風を通してやっていた。
今、住民はいない。
このアパートも、本当はどこもがらんどうになっているのだ。
カーテンも、本もなく。
帰ってきたよ。
きみは、ここにいたんだね。




