9.アルバイトまたはワーキングプア
ナナ子の部屋で、ナナ子は明かりもつけず座っている。
ナナ子は、ショックを受けていた。もう少し早く犯人を見つけていれば、悲劇は防げたかもしれない。
そんな思いをもっていると、高家の刀自であるクズハがナナ子の部屋に入ってくる。
「お前が悩んでも何のたしにもならんのじゃ。」
ナナ子がしっぽを垂らしてうなだれる。
「どうすれば、善かったコン?」
クズハが明かりをつける。
「あの犯人は、目立った事をしたから話題になっているが、あの犯人のような孤独で誰にも見放されたフリーターは至るところにいる。」
ナナ子が驚いたように聞く。
「そんなに希望がないのコン?」
「ただあの犯人のように他者を巻き込んで自殺しないだけじゃ。」
この国は、とりあえず維持されているが、国家としては、もう寿命がつきかけている。家で言えば、雨漏りだらけの状態。一番分かりやすいのは、人口増加率の低下である。
「自分たちに希望も未来も見つけられないなら、どうして家庭を、まして子供を持とうするのじゃ?」
彼らに今、必要なのは目標としての希望であり、それを実現する為の未来なのだ。そうでなければ、彼のような自爆犯罪の悲劇は繰り返さる。
「ナナ子ができる事は、まず人々の新しい希望を示すことじゃ。」
ナナ子が顔をあげる。
「その為に、福老に聞くことコン。」
ナナ子はやっと立ちあがる。
次の日、ナナ子の部屋にはサラもいた。サラもあの悲劇を繰り返さない為に、もっと力が必要だと考え、ナナ子の部屋で、瞑想に参加している。もちろんノンもミツルも参加している。
ただノンはなかなか瞑想に集中できなかった。一番簡単なビンドウ(一点に集中する方法)でも、雑念がすぐ浮かんでヨダレが垂れてしまう。
やっと瞑想の時間が終わって御菓子タイムになると、ノンはとたんに目がキラキラと輝きだす。この為に、早朝読書会、放課後武道訓練の後に、瞑想まで頑張ったのである。
期待に胸を膨らませ、しっぽを振るノンに、ナナ子が一枚の地図を拡げて見せる。それは広範囲の地図で、ナナ子がノンに聴く。
「どの辺りが気になるのコン?」
しばらく見ていたノンはある場所を示す。
それを見てナナ子がまた、ノンが示した場所を拡大した地図を
印刷し、ノンに見せる。
「ここワン。」
再度ノンがある場所を示し、ノンはお腹に手をあてる。
ナナ子が詳細な地図をまた見せる。
「ここワン!」
ノンはお腹を抑え、トイレに向かう。
しばらくトイレで出せるものを全て出してヨレヨレのノンが戻ってくる。その時、ノンの前に置かれていたのは、くず湯だった。ノンが恨めしそうにナナ子を見る。ナナ子は細目を光らせて言う。
「お腹を壊していたので、くず湯にしたのコン。」
はーとため息をついて、くず湯を食べるノンだった。一方、お小遣いがピンチで、カステラを出さなくてほっとしているのはナナ子だった。
ノンたちが、地図で場所を特定していた日の前日、深夜にある一人のアルバイトが入滅帝札を数えていた。
「一枚、二枚、三枚、四枚、・・・・・一枚足りない。」
説明書には、445枚分の記述があるが、何度数えても一枚足りない。足りない一枚の名前は、滅帝
彼は夜が明けると、包丁を買いに部屋から出た。
彼の両親は、オウム族の教師だった。その為、彼は小さい時から理不尽な扱いを受けていた。
彼は真面目にしていれば教師の子供だから当たり前であり、真面目でなければ教師の子供なのにと言われた。それが彼の全てについての評価だった。
「やってられるかよ!」
彼が叫ぶ。
教師は、子供に物事を教えて給与を貰う職業である。しかし、親も子供も、理想の人を求めてしまいがちでもある。
タダロウの前世でも、銀ぱち先生というドラマが大流行したのは、社会の願望をドラマにしたからだった。
実際の教師は人の子、人の親であり、物事についての知識はあっても、ただの人である。
ただの人が理想を求められ、ストレスの捌け口にされるのが教師の子供である。
教師の子供は、外で教師の子供というだけで、他の子供たちからいじめを受けやすい。
その上、家の中でも、教師である親から、ストレス発散の被害者になりやすい。
その上、なぜ勉強しなければいけないか?という教育に対する根本問題がある。
教育基本法は、人格の完成を目標とするが、そんな事を、どうして勉強ができるだけの教師に可能なのか?
「やってられるかよ。」
彼は疲れた声で言う。
その上、教育内容が既に情報時代に合わない。
当たり前だ、内容が百年近く前にできた内容である。
彼は、親からストレスを受けとり、人生における失敗者としてアルバイトになってしまう。
そもそも、本来、教師に出来る事は、社会に出たときに社会で役立つ基礎知識を、教え伝えることだが、今の社会での必須である情報社会の基礎知識は、多くの教師には分からない。
今や、多くの若者がアルバイトになっている。もちろん、アルバイトでも、人生の通過点、つまり何か目的があるアルバイトであればまだいい。
彼は、親の期待に応える事に失敗したアルバイトだった。彼が心に闇を抱え、入滅帝札を手にいれるのは、必然だった。
彼は、保険料(税金)の無駄遣いにしか見えない寝たきり老人ホームへと包丁を持って歩いている。
その頃、ノンたちは彼のアパートに着いていた。しかし、アパートの扉が開いている。ノンが叫ぶ。
「いないワン。危ないワン!」
前回の反省でノンたちにサラも参加していた。急がなけれ悲劇が繰り返される。これがノンたちの認識だった。
彼がふらふら歩いている。それをノンが見つけ四足で走って叫ぶ。
「待ってワン!」
彼が振り返った時、ノンが首を少し傾け微笑む。
ノンが可愛くキラキラした目で彼を見つめる。
久しぶりに呼びかけられた彼は驚く。そのすきにミツルもサラもナナ子も彼に追い付く。
まだ、彼は包丁を持ったままである。
「税金の無駄遣いを始末する。ほっといてくれ。」
「なぜ、税金の無駄遣いを始末するコン?」
ナナ子が問いかける。
「あんな死に損ないがいるから、保健料が高いんだ!」
フリーターにとって、消費税、所得税、保険料、年金の支払いは、深刻な負担だ。特に保険料は負担が大きく、しかも本人の努力に関わらず増えていた。
「なぜ病気の原因に税金を掛けようと叫ばないコン?」
「病気の原因に税金を掛ける?」
少し、話ができるようになったので、ナナ子が病気原因税について説明する。
これは、例えばガンについて言えば、タバコがガンに直接関係していることは明白である。だからガンの治療費のうち、タバコで上昇した分については、タバコのガン治療税として、タバコに課税してかとる方法である。その他も病気に直接的に関係する物には、税金を掛け医療費を回収する。これが病気原因税である。
少し落ち着いたので、ノンが質問する。
「つらかったのワン?」
彼は、ノンを見て泣き始める。そして小さい時から教師の子供であるというだけで、いじめを受けたり、親にもあたったり、親からもあたられたりしたことは、語りだす。
「親も、他人もみんなで、俺の過去をバカにしやがって。」
その時、突然ミツオが歌い出す。
「誰かさんと誰かさんが麦畑、イチャイチャしているいいじゃないか。ブー。」
サラも続いて歌い出す。
「僕には居ないけど、何時かは誰かさんと麦畑ニャ。」
彼が自信なさげに言う。
「俺にも、何時かはイチャイチャできるかな?」
ノンが力を込めて言う。「挑戦ワン。」
皆から言葉をかけられた彼が、自分の辛かった思いを語り出す。語り終わった彼が包丁をしまう。
彼が包丁をしまってから、ノンたちは彼のアパートへ行き、入滅帝札を手にいれる。
この世界が、少しだけ違った世界になって、少しだけ安心した内心のタダロウだった。
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(面倒くさいことが好きな人へのぼやき:教育)
あくまで、著者のぼやきのように思っています。
たかが教育、されど教育。
教育の目標に理想を掲げ、教育現場も、社会もどうしようもない現場になっている。
まず、教師の採用試験は筆記試験であり、どうして人格の完成を子供たちに示すことができるのか?
無理だと考える。
では、何が教師たちに可能なのか?
これは、社会に出たときに十分な収入が得られる基礎知識を教え、伝えることだろう。
これが情報社会において難しい。
プログラミングを教えれば、情報社会の基礎知識だと考えるかも知れない。
確かにプログラミングは、基礎知識ではあるが、それは、小学校で教わるカタカナ、ひらがなレベルである。
情報社会の核は、コンピューターである。これは持ち運び可能なスマホと、それ以外に大きく分類できる。
さて、ここでコンピューターには、ハードウェア、オペレーティングシステム、ソフトウエアがあるといい始めると、きっと面倒くさい話だと多くの人は思うのではないか?
ザックリと言えば、カタカナ、ひらがなを理解したから情報社会の基礎知識が分かるというのは、カタカナ、ひらがなが読めるから、文章に書いてあることが理解できるという幻想だ。
敢えて言えば、情報社会という世界は、今までの産業社会とは大きく違う。
これも、ザックリと言えば、江戸時代の社会と文明開化後の社会ぐらい違う。その認識の上で未来を考えることが必要だ。
あー、また、ぼやいてしまって申し訳ない。